彼女は自身の家を見つめて立ち尽くしていた。
家も家族も恋しいし、心配なはずだ。
もっとも、家族は“友だちの家に泊まりにいく”という嘘を信じ込んでいるのだけれど。
そして、それは奇しくもいまから現実となる。
ぽん、とその頭に手を載せた。
我に返った彼女が振り向く。
「行こっか」
「……おう」
蓮は短く答える。
笑顔に翳りが見えるけれど、それ以上何も言えない。
「飛んでいく?」
「……いや、歩いてこうぜ」
夜風は冷たいはずなのに、不思議と寒くはなかった。
────たどり着いたのは、高々とそびえる立派なマンションだった。
白い外壁の上品な造りで、内装も高級感にあふれている。
「おいおい、こんなとこにひとり暮らししてんのかよ。しかも高校生が」
「びっくりだね……」
驚きを隠せないまま顔を見合わせた。
解錠された共用玄関のドアを潜り、エレベーターで最上階まで上がる。
ドア横にあるインターホンを鳴らすと、すぐに紅が顔を覗かせた。
「よく来たな。遠慮せず上がってくれ」
「お邪魔します……」
やや戸惑いを拭えないながら、小春は蓮とともに上がった。
廊下を進む彼女についていくと、広々としたLDKに突き当たる。
紅の部屋は全体的にシンプルですっきりとしていた。
洗練された家具が揃っていて、掃除も行き届いている。
「すげぇー……」
「わたしは必要最低限の生活を好むので持て余している。空室ばかりだ。今回はかえってそれが役に立ったみたいだがな」
淡々と答えた紅が、リビングに隣接するふたつのドアの前で立ち止まった。
「空いている洋室だ。それぞれ好きに使ってくれ。こんなときのために布団もある」
テーブルに椅子、布団一式と、まさに必要最低限のものが揃っている。
「ミニマリストっつった割には用意がいいな……」
訝しむように屈んだ蓮は、その布団にタグを見つけた。
小春は「あ」と呟いてしまう。
「これさっきパクッてきただろ」
「さて? 何のことか分からない」
紅は表情を変えることなく、淡々としらばくれた。
時を止められるということは、そういうこともできてしまうわけだ。
そういえば、紅は小柄な見た目とは裏腹に、たったひとりでアリスを運んでしまうほどの力持ちなのだった。
布団ふたつくらいもきっと余裕だろう。
「風呂は沸かしてあるから、いつでも入ってくれて構わない。食事はわたしが用意する。自分の家だと思ってくつろいでくれ」
それを聞いた蓮は小春に向き直った。
「今日は色々あって疲れただろ。先、風呂入ってこいよ」
「安心してくれ、水無瀬氏。脱衣所や浴室には鍵もある。向井氏のことはわたしが見張っておく」
「覗かねぇよ、ばか」
遠慮と容赦のないやり取りに思わずくすりとする。
「ありがとう」
────湯船に浸かると、いくらか気が抜けた。
ひとりになった途端、今日の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
じわ、と図らずも涙が滲んだ。
至を、そしてうららをあっけなく失った。
その事実が重く深く、胸に突き刺さる。
「……っ」
震える右手を見た。
至を貫いた感覚は、まだ色濃く残ったままだ。



