小春は不安気な表情で小さく首を横に振った。

「そっか、だよね。じゃ俺ひとりで行ってくるよ。拠点はどこだって?」

「待って。そんな状態で動くのは危険だよ」

 至は苦笑した。それは自身も自覚している。

「んん……困ったな。確かにこのままじゃ、いつ眠ってしまうか」

 おもむろに身体を起こした至は窓際へ寄り、落ちていたガラスの破片をひとつ拾い上げた。

 ぎゅう、と握り締めると、てのひらに鋭い破片が食い込む。

 血が滲んで、思わず顔を歪める。
 その痛みで何とか睡魔を振り払おうとした。

「無理、しないで」

「治しましょうか……?」

「そしたら痛みが消えちゃうから意味ないよ。気持ちだけ受け取っとく。ふたりともありがとう」

 至は弱々しいながら微笑みを向けた。

 冬真も祈祷師もアリスも、誰ひとりとして油断ならない相手だ。

 起こすわけにはいかない。
 何としても、自分が耐えるしかない。



 時刻は21時を回った。
 日菜は自宅へ帰ったものの、小春と至は廃屋に残っていた。

「小春ちゃんこそ無理しないでね。眠くなったらいつでも寝ていいから」

「ううん、至くんが眠らないように見張ってるよ。……そもそも、わたしには帰る場所もないし」

 ところどころ破れた革張りのソファーに腰を下ろす。

 埃を被っているものの、椅子としての役割を失ってはいない。

 この廃屋は、さながら秘密基地のようだった。

 どれも古びれてはいるけれど、ソファーやテーブルといった便利な家具が置き去りにされていて、拠点として使うには申し分ない。

 至は窓から夜空を眺め、いっそう強くガラス片を握り締めた。
 ぽた、と血が滴り落ちる。

「…………」

 小春は何気なく自身のスマホを眺めた。電源は切りっぱなしになっている。

「……1回くらい、返信してあげたら?」

 いつの間にかこちらを向いていた至が控えめに言う。

「きっといまも心配してるよ。蓮くんが」

 今日のことを思い返す。
 彼は心の底から小春のことを案じていて、害をなす存在には見えなかった。

 彼やその仲間には、すべてを明かしても平気かもしれない。

 というか、そうしてやりたい。あまりにも切なく儚い。

「でもわたし、彼のこと分かんないし……」

 小春は困ったように笑う。

「それを言ったら俺たちのことも分かんないでしょ? 毎日、目覚めるたび……自分のことすら」

 至は微笑を崩さぬまま言った。

 少し黙り込んでから、小春の顔にも同じような表情が浮かぶ。

「だけど、ふたりとも毎日教えてくれる。至くんは“味方じゃない”って言うけど、助けてくれてる」

 至は口をつぐんだ。
 それ以上は何も言わなかった。

「……っ」

 ふいに、ツキン、と刺すような頭痛がして、小春は思わず顔をしかめた。

 とっさに頭を押さえる。
 (きり)を突き刺され、ねじ込まれているみたいだ。

『……か? ……き……、……る』

 頭の中で微かに声がした。
 痛みがノイズとなって、うまく聞き取れない。

「……小春ちゃん? 大丈夫?」

 至はわずかに背中を浮かせ、苦悶(くもん)する彼女を見つめた。

 その瞬間、ぱちんと泡が弾けるように頭痛も声も消え去る。

「だ、大丈夫……」

 小春は戸惑いながらも笑ってみせる。
 額に触れて首を傾げた。

(何だったんだろう……?)