律は踏み出すと、迷わずその頭に触れようとした。
記憶を消すことに固執する必要はなかったものの、無意識のうちに彼の醸し出す雰囲気にペースを乱された。
「!」
さっと身を引いて避けた彼の手が伸びてきた。
その指先が額に触れる。
その瞬間、律はがくんと脱力した。
崩れ落ちるように倒れたかと思うと、目を閉じて意識を失っている。
「な……っ!?」
うららは思わず口元を手で覆った。
一瞬の出来事だった。何が起きたのかまったく分からない。
さすがの冬真も動揺をあらわに彼を凝視するが、当の本人は至って飄々としていた。
「ああ、危ない。もしかしていま、記憶消されそうになった? 恐ろしい異能だな」
ふわぁ、とあくびまでしている。
「何を、しましたの!? この一瞬で佐久間さんを殺めた……?」
「いやいや、死んではないよ。────殺すと怒られちゃうし。彼はただ、眠ってるだけ。だから安心して」
彼は微笑んで言った。穏やかなのに隙がない。
その場に屈んだ冬真は律の息を確かめた。
確かに生きている。
「どんな異能なんですの……?」
「さあ? 何かな」
彼の態度はどこまでも掴めない。
敵意を剥き出しにしているわけではないのに、この威圧感は何なのだろう。
「あ、誤解しないで欲しいのは……俺は別にきみたちの敵じゃないってこと。いまのは不可抗力っていうか、自分の身を守っただけだから」
信じられるものか。冬真は心の内で彼を突き返す。
そんな内心を悟ってか知らずか、きびすを返した彼はひらひらと手を振った。
「じゃあね。起こせば目覚めるよ、いまならまだ」
“いまなら”……? その言葉の意味もよく分からないまま、冬真とうららは黙って彼を見送るほかなかった。
能力の全容を掴めず、迂闊に手を出せない。
その姿が見えなくなると、冬真は陽斗越しにうららに命じる。
「うらら、律を起こして」
言われるがままに屈み、歩道に横たわる律を揺すった。
彼はうっすらと目を開ける。
困惑したように、ゆっくりと上体を起こした。
「……?」
とっさに額に手を当てる。
痛くも痒くもないけれど、触れられた瞬間からの記憶が抜け落ちていた。
何が起きたのか、冷静になったいま考えてもまったく分からなかった。
「大丈夫?」
冬真が陽斗を介して尋ねる。
「ん……」
ぼんやりとする律は瞬きを繰り返した。おかしい。
さっきまで何ともなかったのに、何だか眠気を感じる。
それ以外には、特に異常はない。
本当にただ意識を失っていただけのようだった。
「眠らせる異能か……?」
そう推測しつつ、冬真は息をつく。
「懸念すべき相手が増えたなぁ」
いまの魔術師(睡眠魔法使い?)も冬真にとって相性が悪い。
眠っている人間の意識に入り込むのは困難で、さらには相手が眠っていては絶対服従の術も効かない。
また、そもそも発動する前にこちらが眠らされてしまうかもしれない。



