「アニー! 何言ってるのよ! わたくしはマリエル様に会えるのを楽しみにして……」
 慌てて馬車を降りようとするわたくしをアニーがものすごい力で引き留めた。
「お嬢様。それなら尚更、綺麗なドレス姿を披露すべきです。それに、これぐらいもったいぶるのも男女の駆け引きのひとつですよ」
 恋愛らしい恋愛を経験したことのないわたくしには男女の駆け引きの機微というものがよくわからないし、いつもその手の相談はアニーに乗ってもらっていた。
 だから彼女のその言葉に反論ができなかった。

 その間に、出迎えに来てくれていたマリエル様は引き返してしまわれたという。
「ほら、ごらんなさい。あっさり引き下がるような失礼で粗野な田舎者の男にライラ様のご尊顔を拝ませる必要はないんです!」
 客室に通されるとアニーは何やらマリエル様へ文句を言い始めた。

 待って。それちっとも駆け引きになってなくない?
 わたくしはさっぱり訳が分からないまま、客室に運ばれてきた夕食を食べた。
 モンザーク家のメイドに、恥ずかしながら着替えの持ち合わせがないことを伝えると新品の肌着と夜着をすぐに用意してくれた。
 明日のドレスに関しては、ダイアナ様のお下がりでよければ用意できるとのことで、それを了承し、紅茶で汚れたドレスを洗濯してもらうことにしたのだった。

 手の込んだ美味しい料理に使用人たちの行き届いた配慮。
 モンザーク辺境伯家のことをアニーは田舎者だなんだと罵倒しているけれど、ちっともそんなことはない。
 アニーへの疑念が膨らんでいき、就寝前についにわたくしの堪忍袋の緒が切れた。

「アニー。あなたの主人は誰?」
 低い声で問うとアニーは目を泳がせ、やや間があって答えた。
「もちろん、ライラ様です」
 
「とてもそうだとは思えないわね。あなたの今日の振る舞いはおかしかったもの。ずっと味方だと思っていたのに残念だわ。あなたに裏切られたわたくしがいま、どんな気持ちかわかる?」
 申し開きをしようとするアニーを手をあげて制した。
「言い訳は結構よ。これからあなたは、わたくしの前で『はい』以外の言葉を発することを禁じます。わたくしが主人だと言うのなら従えるわよね?」

 アニーは泣きそうな顔で「はい」と答え、頭を下げたのだった。