ただ、駆られるままに…/その5



やがて、カウンター内の女性職員ともう一人のパートらしき女性が、男性職員を連れて駐輪場に駆けつけてきた。

「皆さん、煙には近づかないでください。ああ、そちらの方は、もっと後ろに下がってもらえますか」

そう言って見物人を手で押し下げる動作をしながら、その職員の男性は手にした空き瓶をバイクの佇む地面付近に突き出し、煙をすくい上げるような動作を数回繰り返してから蓋をした。

”どうやら煙のサンプルをとっているようだ…”

職員たちの後方で、その作業を律子は冷静に観察していた。

更にその脇では、女性職員がスマホで煙を動画撮影をしている。
いわば、現場の証拠を映像で残すためだろうが、さすがに片手で鼻を押さえながら眉間にしわを寄せ、見るからに及び腰だった。

同様に、遠巻きに見物していた人たちも、みなケイタイやスマホを白い煙に向けていた。
もっとも、こちらは目の前に出くわした奇怪な現象への好奇心からなのは言うまでもない。

”たぶん私のバイク、今日の内にはSNSでネットに晒されるな…”

このことも律子は至って冷静に捉えることができた。
同時に、ここでもケイタイを所持していない不便さを痛感し、皆と同じ動作に加われない自分が歯がゆかった。

...


それから間もなくして、白い煙は悪臭を連れて消え去った。
実際、その間に律子が目にしたのはほんの1分弱だった。

「何か収まったみたいだし、消防署に連絡しなくてもよさそうだな」

「そうですね…」

図書館の職員たちがやり取りしている声は律子にも届いていた。

更に男性職員はバイクの真横まで近づくと、煙が起ちあがったあたりで半腰になり、土が露出している砂利敷きの地面に手を触れて確かめていた。
それは恐る恐る…。

...


律子はその後、視界の隅に顔を向けると、後方で見物していた一人の若い女性がその場へしゃがみ込み、顔に当て当てていた。
明らかに気分が悪くなったような仕草だった。

「どうしたの、気分悪いの?」

連れと思われるもう一人の女性が心配そうに同じ姿勢になって、肩に手を回して盛んに尋ねている。

律子は、反射的に信用金庫内での小峰夫人を思い起こした。

”この人はちょっと気分が悪くなっただけみたいだ…”

その様子から、律子は小峰夫人のように発作を起こすことはないと直感したのだ。

...


その女性に気づいた職員たちは、すでに二人の脇まで来ていて、中腰で声をかけていた。

「お客さん、大丈夫ですか?」

「今の煙のせいなら、救急車を呼んだ方がいいんじゃないですか?」

「うーん、そうだな…」

2人の女性職員は、座り込んでいる女性と上司と思われる男性に視線を往復させ、落ち着かない素振りを見せていた。

「…いえ、ちょっと臭いで気持ちが悪くなっただけです。この後、病院には自分で行きますから…」

「そうですか…。では、こちらも報告が必要なので、お手数ですが病院の診断の結果は、ご連絡いただけますでしょうか…」

そんなやり取りを済ませると、その女性はもう一人に支えられるように立ち上がり、そのまま病院に向かうようだった。

ここで他の見物人はその場から立ち去って、職員たちも何度かケータイのカメラで写真を撮った後、館内に引き上げて行った。

...


律子は内心、ホッとしていた。
ここで警察や消防署を呼ばれでもしたら、バイクの所有者である自分は事情を聞かれる。
場合によっては勤務先の騒動で動いているであろう、千葉の警察にも知らされる恐れだってある。

そもそも律子には、小峰夫人はあの異常な行動と発作で終わらないという予感があったのだ。
そうなれば、支店としては警察に知らせざるを得ない。
その場合、自分が聴取を受ける立場だということも当然承知していたので、律子は当初からその予測の元に行動していたのだ。

実のところ、もう警察の調べは自分にも及んでいると考えていた。
それだけでなく、失踪した自分を追ってくるだとうとも…。

”今、居場所を突き止められたら動けなくなる。その前にやるべきことがあるんだ、私には…”

こう自分に言い聞かせた上で、あえて律子は職員にあのバイクは自分のものだと話すことにした。

ある目的の為に…。