見て見ぬふり/その1



”見ちゃダメよ”

”あっち、見ない方がいい”

”目を伏せときなさい”

私は子供の頃、母からこんな類の言葉を年中、聞かされていた記憶が残っています。
ある程度の年齢に達すると、それは母へ一種の嫌悪感を伴って意識するようになりました。

要は、見て見ぬふりを許容する母の心根らしきものと、直結して捉えていたのです。

そして、結婚して子供が生まれてからも、母の発するそれらの言葉に対する抵抗感は拭えていませんでした。

あの日、母からある告白をされるまでは…。
それは、娘である私の決して知り得なかった、母が長い間胸の内に閉まっていた苦悩でもありました。


...


あれはちょうど1年前の春先、私が交通事故を起こし、検査入院していた時のことです。
持病を持つ母が、東京から見舞いに駆けつけてくれたのです。

ケガの具合はそう心配するほどではないということで、母は一安心したようで、ちょっと改まって切り出してきました。

「…瑛子、実は折を見て、あなたには伝えておきたいことがあってね。こんな時だからこそ、あなたには話しておこうと思うんだけど…」

「何よ、なんだか改まって…」

「あのね、今までずっと黙ってきたんだけど、あなたも家族を持つ身になったから、そろそろ知っていてもらうかと思って…。実はね、お母さん、”見えるのよ”。子供の頃からずっと」

私はさすがに母が何を言っているのか、すぐには理解できませんでした。


...


「見えるというより、感じるって言った方が正確かもしれないけど、人が発する特別な空気みたいなもの、それをね…」

ここでピンときました。

「お母さん、ひょっとして、私が小さいころから道端や電車のなかで、見ちゃダメってよく言ってたの、そう言うことだったの?」

「そう。最初に聞いとくわね。あなたは、見えないわよね?」

「うん。全然ない、そう言うの」

「そう、よかった…」

母は私がそう答えると、肩で一息つき、文字通り安心したという表情を浮かべていました。