その6



「麻子‥、業者としてはその時調べた行為は、取引時にガス業者からの情報を得た時点で実施し、知り得た範囲で買主に告知しなければならないんだ。それを告げられた買い手は、それなら契約を解除すると言えば白紙で契約を戻すことができる。お父さんは、そうなるのが恐かった…。だから、その為に調べなかった。故意にな。民法上なら、お父さんに悪意があったことになる。宅建業者の義務を怠ったんだよ、お父さんは…」

私は父が18年間、このことに負い目を感じなから、誰にも言えず苦しんできたことを、この時初めて知りました。


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「…お父さんな、遅まきながら、行政にその時のことを話してこようと思ってるんだ。買主さんにも…」

「でも、お父さん、そんなことしたら…」

「ああ、宅建業法違反で処分を受ける可能性が強いよ。買主さんからは損害賠償責任を要求されるか、場合によっては裁判を起こされるかもな。そりゃあ、お前たちには迷惑をかけることになると思うが、今なら最小限で済むだろうから…。今さら免許を取り上げられても、お父さんはもう長くないし‥」

父はもっと早く”それ”をしたかったのでしょう。
でもできなかった…。
なぜなら、私たち家族の生活を支えるために、免許を取り上げられる訳にはいかなかったから…。


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「結局、お客さんより自己保身を優先したんだ。これからやろうとすることは、所詮、自己満足なんだけろうどな…」

私は涙が止まりませんでした。
死期を前にして、長い間胸を痛ませてきた自分への宿題をやり遂げる決断を自らに下した父…。

確かに、今さらってことなのでしょう‥。
ですが…、それでも所帯を持って自立した私には、そんな父の決意は立派だと思えました。


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その後、父は私に語った通り行動しました。
買主さんは損害賠償請求の措置を検討し、県庁からの行政処分は業務停止ということだったそうです。

そして、業務停止が終わった後、間もなくして父はこの世を去りました。
結局、買主さんも経営者が亡くなったということで、損害賠償請求は断念したそうです…。


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入院中だった父が亡くなる少し前、私たち家族3人、お見舞いで病室を訪れた時のことです。
その際、車のディーラーに勤務する夫の圭祐へ、父は穏やかな口調でこう語りかけました。

「…なあ、圭祐くん。君も仕事柄、いずれは独立をと考えてるかもしれないが、その時は、麻子から俺の”経験”をよく聞いてくれな。よーく考えて、それで決めてくれ」

父のその時のどこか遠い目は、おそらく忘れることはないでしょう。


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不動産業者としての父は、確かに民法上、”悪意”で自社物件を購入されたお客さんに対応してしまいました。
しかし、その宅建業に基づく不適切な行為に対して、父は長い間、苦しんできました。
それは自分の中にあった”善意”に向き合った姿勢をなくさなかったということではなかったでしょうか。

対して、区画整理の理事職にあった当該従前地の地権者でもあったその人の”悪意”はどうだったのか…。

二つの悪意を、”あの女性”をどう捉えているのかは、私には知り得ることはで来ません。
ただ、私にはその二つって、似て非なるものだと思えるのです…。


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ちなみに、例の区画整理事業地内に組み込まれた、いわくの従前地を所有していた当時の有力理事は、釣り船から転落して溺死したそうです。
死んだのはつい数年前らしいのですが、長い間、夢に出てくる”あの”女性の姿に怯えていたということです。

もしかすると…、当時の”内幕”に加担した”悪意”の理事たちは、今でも”あの”女性の夢に怯え続けているのかもしれません…。



ー完ー