夢を見た。


そう、これは夢だ。

高校の頃の夢。



同じクラスになったお調子者の、ほかの奴らとは違う変な奴。

山野井暉。

何がきっかけだったかな。いつの間にか俺になついてきて、仲良くなったんだった。


ある日あいつと、名前について話してた。

どうして名前の話になったのかは思い出せないが、自分の名前の由来についてだ。

俺の名前は生まれた日のニュースを見てオヤジが付けたもので、「地球」をイメージしているらしいと話すと、あいつは感動にきらきらと目を輝かせながら言った。

「お前、地球なの⁈ 俺の名前は太陽のひかりで暉、双子の妹は月で朔って言うんだ。誕生日がコペルニクスの生まれた日で新月だったから、、父親が付けたんだ」

国文学者の父親がつけた名前なんだと、あいつは誇らしげに言った。


そうだ。奴には双子の妹がいるらしい。あいつに似てるのかな。あんなのが二人もいたら、ウザいだろうな。

うちの学校からは逆方向の電車に乗っていく、隣の市の女子高に通っているらしい。

俺だけじゃない、暉の周りの奴らはみんなあいつの双子の片割れに少なからず興味を抱いたよな。


「あの子は超人見知りで、男はもちろん、女でもとにかく人間が苦手なんだ。だからうちに遊びに来た時に妹の気配がしても、声をかけたり目の前に姿を表したりするなよ」

なんだよそれ?

そんなんで、普通に生活できるのか?

15,6にもなれば、挨拶くらいはできるだろうに。


隠されると、見たくなるのが人間の性分だよな。古今東西のおとぎ話でも、よく出てくるじゃないか? 「見てはいけない」と言われて、見ちゃうやつ。

あいつの家に遊びに行くたびに、俺は「山野井朔」を目撃するために綿密な計画を立て始めた。


同じくらいの時間帯に学校が終わったとしても、俺たちの学校のほうが近いから山野井家に行くのは俺たちのほうが早い。水曜日以外の毎日夕方の4時半前後に、玄関で「ただいま」というか細い声がかすかに聞こえる。5時半以降ならキッチンのすりガラス戸を閉めて、夕飯づくりをしている。だから暉の部屋に行くときに廊下を通っても、キッチンの中は見えない。

キッチンの戸を、間違ったふりして開けてしまえば簡単だ。だがそんなことをすれば、暉がめっちゃ怒るだろう。だから家の中での遭遇はあきらめて、家に帰ってくるところをこっそり観察してみる作戦に決めた。


ある日の4時17分、用事を思い出したと暉に言って帰るふりをして、曲がり角の塀に身をひそめた。


なんか俺って……ストーカーっぽいな。

そんなこともふと思ったけど。

好奇心がはるかに勝ってたんだ。


4時25分、くだんの女子高の制服を着た女の子が、ぼんやりしながら歩いてくる。

すこし色素の薄い、細くて柔らかそうなストレートのセミロング、背は高くも低くもなく、新しい制服はちょっまだ大きいみたいでシャツの襟から見える首筋は折れそうに細い。顔は暉には似ていない。小さな鼻、小さな口、小さな顔に大きな目。すごく目立つ感じではないけど、かわいい部類だと思う。そうだな、犬で言えばマルチーズとかプードルとか、そんな感じ。


――ほんの少し前に、暉と朔の父親違いのあの女子高生を見て昔の朔にそっくりだって思ったけど、そんなことをなんで知ってるか訊かれたら面倒だから黙ってた。あの子はこのころの朔に、雰囲気までもよく似ていた。


彼女は山野井家に入って行った。確定だ。

あれが、山野井朔。



俺の家庭環境は、けっこう変わっていたと自覚している。

お堅い職業の両親はプライベートではかなりお堅くない。

新米弁護士だったオヤジはある日の裁判でひとりの判事に一目惚れした。難攻不落と言われた3つ年上の美人判事を追い回し、ついには惚れさせてものにした。失敗したふりをして孕ませて、籍まで入れた。そして家族四人、幸せな家庭——が築けなかった。

もともと上昇志向の強かったその女は、結婚して子供を産んだぐらいではキャリアを諦めることはなかった。

既婚の女性判事は申し出ればある程度異動を考慮してもらえるのに、彼女にとっては家庭は二の次だった。

二番目の息子である俺が物心つくころには、すでにあちこちの地方で単身赴任していたし。

両親は仲が悪いわけではなかった。母親もアニキと俺に感心がないわけではなく、単に子供のあつかいが苦手だったみたいだ。

やがて完全に別居して、母はオヤジに言った。

「融君、私に遠慮しないで、彼女を作っていいのよ。もし本気で好きな人ができたら言って。離婚してあげる。一応、子供たちが成人するまでは、籍は入れておきたいけどね」

そいういわけで、家は母親不在、父親のカノジョもどきが時々出入りしていた。


4つ年上のアニキは、繊細な子供だった。そういう特殊な家庭環境にちょっと傷ついていたし、小さな弟には寂しい思いをさせないようにとつねに努力をしていた。それで母親以外の女を連れてくる父親のことを冷めた目で見ていた。

ああ、それを考えると、アニキがいちばん気の毒だな。身勝手な大人たちに振り回されて、弟のことまで心配して。


俺はアニキほど繊細な子供じゃなかったから、オヤジのカノジョもどきたちにもすぐになついてかわいがられた。

母親似の中性的な顔立ちのせいで、子供のころから女たちからはちやほやされた。自分がどんな態度に出れば、どんなことを言えばひとが喜ぶのか、自然と身についていった。

小中学ではよく女に告られた。でも面倒だからすべて受け流した。すると冷たいって噂が流れて、余計に注目されるようになった。

初めて女と寝たのは、中2の時だ。友達の姉に襲われたんだった。相手はハタチ超えた女子大生だったから、今思えばあれって淫行だよな。あの女は懲役2年だ。

高校に入っても俺のカオだけにつられて女がたくさん寄ってきた。それでも俺は誰とも本気で関係を築く気にはならなかった。だから公言してたんだ。面倒なのはいやだ、遊びなら付き合うけど、それ以外はごめんだって。


女なんてみんな似たり寄ったり。

俺を見せびらかしてほかの女に自慢したいだけ。

勝手に自分に都合のいいイメージを作り上げて勝手にすり寄ってきて、勝手に幻滅する。結局はみんな同じ。



――ところで、目的は案外簡単に果たすことができた。

山野井朔は実在した(暉を疑っていたわけじゃないが)。

何だろうな。

女に特別興味を持ったことなんて、今までに一度もなかったのに。


俺はそれから駅で、道で、彼女を見かけることが楽しみになった。

朝はわざわざ一駅戻って朔が電車に乗る駅から降りる駅まで、同じ電車に乗ることもあった。

特に冬はコートを着て制服を隠せるから、逆方向の電車に乗っても誰にも怪しまれなかった。時々は大胆にも、彼女の座る座席の前や、ふたつ空いた隣に座ってみることもあった。

今思うと、完全にストーカーだったな、俺。自分でもキモいわ。絶対に朔には黙っておこう。


毎週水曜日は朔のクラスは6時間授業で終わるからいつもより時間に余裕ができる(同じ女子高に通う女から聞いて調べた)。

大抵彼女は、市立図書館に行った。そう、水曜は、図書館で放課後を過ごすのだ。だから帰りはいつもよりちょっと遅い。


朔を見ていると、なぜだか安心するんだ。

その一方で、姿を見つけたときは全力疾走した後みたいに、心臓がどかどかとあちこちに跳ね上がる。

彼女と、西日が差し込む図書館で一緒に本を読んだりテスト勉強をしたりできたらいいのにな。


もし、普通に暉の家でばったり会って、知り合えるとしたら。

ひとことふたとこと、言葉を交わすことはできたかな。

俺に笑いかけてくれることはあったかな。


そんな妄想までするようになっていたっけ。



そしてあれは、そんなある日のことだった。