夕方にカフェに来た蒼は、海里君の報告によりふたりで屋根部屋で監視カメラを再生している。

「見たことない女だったな」

降りてきた蒼は首をかしげた。私は苦笑する。②じゃなかったんだ……



「何もされてないから……」

「うそです! じろじろと不躾な感じで見られてました! めっちゃ嫌な感じで! 何もされてなくないです!」

海里君が断言する。姉を侮辱された弟みたいで、かわいい。

「そうねぇ。値踏みするみたいに見てたわねぇ。見ていてちょっとムカついたわ」

妙子さんがうーんとうなる。

「海里、またその女が来たら朔と接触させないように」

「はい!わかりました!」


「過保護ねぇ。昨日のが余程、怖かったみたいね」

妙子さんがお皿を拭きながら苦笑する。え?

「怖かった?」

私は首をかしげる。蒼が? なぜ? 

「今朝、蒼君が言ってたわ。もしも自分があと3分でも遅くて朔が何かされてたら、傷つけられたり殺されたりしてたらと思ったら、ぞっとしたって」

ああ。

あの時の、あの人の脚を引っ張った時の、蒼の表情。

普段は冷静でひとをナメたような、何事も何手か先を読んでいるような余裕の表情なのに。

余裕なんてなくて、必死で、切実で、焦燥感と悲壮感に満ちて、それでいて安堵したような、何とも言えない表情だった。


「相手が女だからって安全だと思うな。海里も気をつけろ。刃物でも持ってたら、お前だって簡単に刺される可能性大だぞ」

「う……は、はい!」

だからって……海里君を脅さなくてもいいと思う……


午後4時、お客がいなくなったし早めに閉店しようかと話し合っていた時。ドアが開いて、おどおどと、ひとりの女性が顔だけ出して店内を覗く。暗めのブルーグレイのふわふわの髪を、後ろで一つにくくっている若い女性。

海里君が応対のためにドアに近づこうとしたとき、大テーブルでラップトップで仕事をしていた蒼が立ち上がり、絶対零度の低い声を彼女に向ける。

「おい。何しに来た」

その声に、私も妙子さんも海里君もびく、と肩を縮める。

青髪の女性は気弱そうに垂れ気味の目を細めてへへへ、と笑いながら店内に入ってきた。

ちょっと変わったデザインの白いロングシャツに、デニムのミモレ丈のペンシルスカート、レオパード柄のバレエシューズ。背中にはバックパックを背負い、手にはオレンジのバラや赤や黄色のガーベラの大きな花束。

「ごめんなさいっ! 暉の妹さんを怖い目に遭わせて……謝りに来ましたっ!」

彼女は勢いよく頭を下げた。そんなに急に120度くらい折り曲げたら、腰を痛めそう。私はそろそろとカウンター席から立ち上がり、海里君の隣に歩いて行った。

彼女は私が暉の妹だと悟ったらしく、ぐい、と花束を差し出してまた頭を下げた。

「い、妹さんですね。越智シオリと申します。この度は、私の知人がご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした!」

あー。このかたが、シオリさんね。


とりあえず閉店のタグを外に出し、シオリさんには大テーブルに座ってもらう。「ごゆっくり」と言って海里君と、妙子さんも先に上がる。

シオリさんは自分が罪を犯したわけでもないのに、身を縮めておどおどとしている。顔色も悪い。私とシオリさんのあいだには、椅子にのけぞり脚と腕を組んだ拒絶感と不快感を隠そうともしない蒼がイラつきながら座っている。

「あの、お、お怪我とかは……」

蒼の威圧にびくびくしながら、シオリさんはおそるおそる私に訊いてくる。

「はい、おかげさまで、どこもありません」

「本当にすみませんでした。まさかあんなことをする子だとは思わなくて。読者モデルからプロになった駆け出しの雑誌モデルなんですが、私がスタイリングを担当していて……たまたま雑談で暉は同級生なんだって言ったら、絶対に紹介してって懇願されて……」

ああ、そういえばシオリさんはスタイリストだって暉が言ってたっけ。

「警察の話では、前にも2,3件、ほかの男たちから相談や被害届や接近禁止命令の申し出が出てたらしい。いくら仕事関係で断りづらくても、そんな女をパワーインフルエンサーに紹介すればヤバイことが起きそうなぐらい、お前でもわかるよな?」

シオリさんは怖いらしく、蒼とは目も合わせられない様子。

「め、面目ございません。猛省しております。てか、あんた怖すぎなんだけど」

「今は仕事で海外だけど、まだこのことを知らない暉がこの場にいたら、罵詈雑言吐かれてお前はもっと怖い目に遭ってたに違いない」

シオリさんはさらに蒼白になる。

「あの夜だって、同窓会の追い飲みだってお前が俺たちを騙したよな? あれがそもそもの元凶だよな? お前だってモデルや俳優と仕事してるんだから、顔が売れてる人間のプライベートの人間関係の重要性、理解してるよな?」

――すべてが正論。ここは法廷ですか? という勢いの蒼に、シオリさんはぐうの音も出ない。ガミガミと説教されて、塩をかけられたナメクジのごとく彼女はどんどん小さくなってゆく。

「とにかく、これに懲りて暉と友達だって、お前の業界で赤の他人に自慢するのは自重しておけよ。こういう最悪のことになり得る危険性を、身をもってわかっただろう? それから今回のことはあいつが帰国してからこっちで知らせるから、フライングで謝罪メッセとか送るなよ。それであいつが仕事ができない精神状態になったりしたら、お前に損害賠償請求するからな? あいつにはしばらくは口きいてもらえないかもしれないけど、それは覚悟しておけ。あとは俺がうまくやるから、お前はもう一切触れるなよ」

「ありがとう。本当にごめんね。あんたも超怖いけど、暉がマジギレしたらもっと怖い。妹さん、ご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい」

もう一度シオリさんは私に頭を下げた。

「あかねに会ったら気をつけろよ。お前をぶっ飛ばすって言ってたから」

シオリさんがひっと小さな悲鳴を上げる。ぶっ飛ばすなんて言ってなかったよ。しばいたろかとは言ってたけど。


気の毒なほどしょぼくれて、シオリさんはうなだれながら帰って行った。

「あいつには大げさなくらいがちょうどいいんだよ。ちょうどシメてやろうと思ってたところだったし」

蒼はふんと意地悪そうに笑んだ。腹黒さMAX。だからってあかねさんを凶暴化しなくても。



今回のストーカーの襲撃事件は衝撃的でトラウマ級だった。


けど。


衝撃的な出来事はこの後もいくつか続くとは、この時はまだ思いもしなかった。