黒のストレートチップ、ダークネイビーのイタリアンスタイルのスーツ、白いシャツ、ネイビーブルーのタイ。普段降ろしている前髪は自然に後ろに流している。文字盤がネイビーのシルバーステンレスベルトのスイス製の腕時計、右手の人差し指には車のスマートキーを引っかけている。

なにその、スーツのモデルみたいな登場の仕方。


「お疲れ。なに、三人とも、口開いてるよ」

はっ、と我に返る。

全員で蒼に見とれてた。

「挨拶、終わったの?」

「ああ、オヤジと飯食ってそのまま来た」

「うーわーぁ! 蒼さん、惚れる! 超絶男前!」

海里君がはしゃぐ。

「普段もすんごい男前だけど、ビジネスモードはさらに素敵ねぇ~」

妙子さんもはしゃぐ。


半年前、ホテルのバーで見かけたときは、結婚式のあとだったからフォーマルのダークスーツだったけど……

(弁護士が、そんなに色気だだ洩れでもいいの?!)

秘書だった頃に専務のスーツ姿を見慣れた私でも、動揺しちゃう。

専務は、アメリカンスタイルが多かったな。


「あれ? 蒼さん、あれは? 天秤のバッジ! つけないの?」

「んー、べつに義務じゃないからな。面倒くさいし。な、妙子さん、ちょっと朔借りるよ」

蒼は私の手をつかむと、階段を上がり始める。

「はいはい、ごゆっくり。飲み物ほしかったら言ってね。言わなければ、絶対、ぜぇぇーっったい‼ 邪魔しないから!」

ほほほ、と妙子さんがソプラノで笑う。妙子さんはもうすでに何日も前に勘付いているはず。バツが悪い。


屋根部屋に着くと、蒼は私のワークデスクの上にスマートキーを置いた(とういか投げた)。

「それ、どこの車のキー?」

「うん? ああ、しばらく乗る必要ないからって、アニキのXV乗っていいっていうから借りてきた」

蒼はスーツのボタンをはずして私の椅子にどっかりと座った。

「ちょっと、手を放してよ」

デスクのそばに立ったままの私は、まるで説教される部下みたいじゃない? 

「やだ」

「はい?」

ぐい、と引っ張られ、私は蒼の膝に乗せられる。

「これ! 一回やってみたかったんだよ。秘書を膝に乗せるシャチョウごっこ!」

「もう秘書じゃないよ!」

「あのワインくれた上司には、乗せられたことあったか?」

「そんなのあるわけないでしょ! ばかっ! そんなヘンタイ妄想のために私を連れてきたの?!」

「んー、そうだと言えばそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

蒼は私を抱えたままPCの電源を入れる。

PINコードは3523。

目の前でキーボードをたたく長い指を見つめる。

「私が降りたほうが見やすいでしょ?」

「いいから」

ん?

外国のサイト?

「朔、ペンとメモとって」

「あ、はい」

手を伸ばして言われたものを引き寄せる。すると蒼はなにやらメモし始める。英語だけど……専門用語が多すぎてよくわからない。ざっと画面から読み取れるのは、難民申請に関するものだということ。

「どうして難民?」

「今度、大学の先輩から頼まれてプロボノするんだ。その下調べ」

「では、あちらで広々とやられてはいかがですか? 先生」

私は窓辺の蒼の席を指さす。自分のラップトップもあるじゃない。

(今の体勢、書きづらくないの?!)

「んー、ちょっと。10分だけそのままおとなしく待ってくれ」

どうしてよ……

文句を言おうとしたとき、蒼のスマホが鳴る。蒼は画面を見てから私にも見せて人差し指を立てる。

暉からの着信だ。

「はい、なに? えっ? うん、うん。あー。そっか。わかった。うん」

通話を終えると彼は私を見て肩をすくめた。

「あいつ、今日の夕方帰るって言ったけど、明日の昼の便になるって」

「……なんで私じゃなくて、蒼に連絡してくるのよ」

「朔のことをよろしくってさ。ということで、俺は明日の午後帰ることにする」

「……いっそ、ウチに住めば?!」

「うん、それもいいな。そうすればいつでも朔と……」

「冗談だから!」

笑ってる。また笑ってる!


4時に上がりましょうということで、妙子さんと海里君が帰る。

私たちは離れを閉めて母屋に移動する。


蒼は客間に置いてある荷物から、いつもの楽な部屋着に着替える。そしてキッチンのダイニングテーブルで眼鏡をかけて調べ物の続きをしている。

その間私は夕飯を作る。

「今日私ね、女子高生を不審者から救ったの」

「は? どこで? どんな状況?」

蒼は眉をひそめて顔を上げる。

「午前中、スーパーの帰り道に、公園で。警察に電話するって言ったら、逃げて行ったわ」

「あんた、いつもは気が小さいくせにどうして」

「だって、嫌がって泣いてるのに、無理やり連れて行こうとしてたから。犯罪じゃない?」

「だとしても、誰か呼んでくるべきだったろう? 殴られたり刺されたりしたらどうするんだ? あんたも連れて行かれたかもしれないし、顔を覚えられて逆恨みに何かされるかもしれないんだ」

「……正直、そこまで考えなかった」

「猛省しろ、山野井朔。そしてこの次は迷わず通報しろ」

すごく心配しているようなので、はい、と素直にうなずいた。

「それで、助けたカメは、何かくれたのか?」

「えっ? あ、その子ね」

(女子高生をカメって。それじゃ私は浦島太郎?)

私は苦笑して続けた。

「うちのカフェを探してたって言うので、とりあえず連れてきてちょと話したの。高校時代の私みたいな子で、なんだか親しみを覚えちゃった。るなちゃんていうんだけど、これからもカフェに来てくれるって」

「なんだ、その子も月か」

「え?」

「ルナって、ラテン語で月って意味だろう? 朔と同じ、月だよ」

「ああ……ほんとだ」

るな。

月か。


妙に懐かしいし……何か縁があるのかな?