かくかくしかじか。


昨夜の出来事を、専務とディナーに行った後からかいつまんで説明する。


「何そんなばかな事やってんの、知らない男とワンナイトスタンド⁈ 頭おかしくなっちゃったの⁈」 


……ってくらいは怒られると思った。

でも違った。

翔ちゃんは椅子に座ったまま両足を子供みたいにばたつかせて全身で喜びを表現した。

「よくやった、朔! チョイス最高!」

しかも親指立て(サムアップ)まで。

「えっ?」

「別れた男よりもゴージャスで、のちのちまっっったくあとくされなさそうな男に、欲望を教わったんだね!」

恥ずかしさに耐えられず両手で顔を覆う私に、翔ちゃんは容赦ない。

「……」

「ふぅーん。今日はスタンドアップ(カラー)に太いリボンタイのブラウスなんて珍しいと思ったら……ふふ、なるほど」

翔ちゃんは自分の首筋を人差し指でちょいちょいと示す。

「しかも、パンツスーツなんてさぁ……もしかして全身あちこちにキスマークあるわけ?」

私は羞恥に耐えきれずにぎゃーと叫んで首をよこにぶんぶんと振る。

「か、翔ちゃん、あんまりいじらないでよ。まだ現実を受け止めきれてないんだよ」

「自分から誘うなんて、やっぱり朔にも、欲望はあったってことじゃない? 気づかなかっただけ。冷めてるって自分で思い込んでいただけで、いざとなれば本能で突っ走ることはできるってことがわかったんじゃない?」

「……なるほど。でも、もうしない。これ一度きりで、そういうの終わり」

「なんで? 後悔してるの?」

「後悔は……してないよ。それどころか、翔ちゃんの言っていた意味がわかったよ」

「何のこと?」

「その。か、体の相性ってやつ」

「あー。てか、それ……二度と会わない相手にか。もったいないなぁ。ホントに名刺とか何か、連絡先知らないの? きみの番号とか、残してこなかったの?」

「なにも。でもいいんだ。一生、知ることがないと思っていたことが……思いがけなく、知れたから」




――そうだよ。

正直な話、ずっと悩んでいたと言えば悩んでいた。

私って、不感症じゃないかって。

その行為そのものに対してだけではなく、恋愛全般において。

駿也は私にひとめぼれしたと言ったけれど、自分でひとめぼれなんてしたことがないから、初めのころはずっとからかわれているとしか思えなかった。

誰かから好きだ、付き合ってくれと言われるたびに緊張とか警戒はしたけれど、人から好意を寄せられることに素直な喜びとか幸せを感じたことがなかった。

いつも誰かに好意を寄せられて、後から自分も好きになる。

合意なく強引に関係を迫られたことも、幸いに一度もない。

好きな人と関係を持つことは特に好きな行為ではなく、相手が望むから受け入れるってだけ。

楽しいとも満たされたとも、思ったことは……正直、一度もなかった。

いつも冷めた自分がいて、行為の真っ最中でも「早く終わらないかな」なんて客観的に思ったこともある。

翔ちゃんの言うとおり、体の相性ってあるのかも、と実はひそかに思っていた。

悪くはないけど、良くもない。悪くないなら、それでいいと思っておくのがいいのかな? と。


それは「好き」という気持ちとは、必ずしも一致しないって……そこがよくわからなかった。

だって、好きじゃなきゃ、しないでしょ?

「好き」じゃない相手と寝るなんて、ありえないでしょ? と。



でも昨夜、それがやっと理解できた。

何よりも私は、自分自身に驚いた。

冷めた自分は一度も出てこないくらい、頭の中が真っ白だった。

まるで嵐の中、走り回っていたみたい。


喉が嗄れるほどの、自分の声とは信じがたいような嬌声。

肌に与えられるあらゆる刺激。

おなかの奥からぞくぞくと上り詰めてくる、なんだか怖い未知の快楽。

何とかして逃れようとするのに逃れられない、圧倒的な恍惚感。

やめて、とばかみたいに泣いてすぐ、やめないで、と縋りついて懇願する。

終わった……と安堵する暇もなく、すぐにまた与え始められる欲望。



私は……不感症じゃなかった‼




「朔? 今晩泊めて」

昼休みが終わるころ、珍しい人から電話が来た。

「えっ? (あき)? なに?」

それは、いつもどこにいるのか不定の、双子の兄だ。最後に声を聴いたのは、確か今年の初め。アルゼンチンにペンギンの行進を見に来たぜぇぇ! と、謎のメッセージが来てすぐ切れた。

「週末一緒に遊ぼうよ~」

「わかったよ。じゃあ、6時半ごろ、駅のロータリーに来てね」

「んー。おっけぇー」


私よりも1時間半早くこの世に生まれ出た暉は、たぶん私が受けるはずだった幸運も自分の分と一緒にすべて持って行って先に生まれてしまったみたいだ。男女の双子だから二卵性で、マンガとかドラマみたいにそっくりではないけど、物心ついた時から暉はかわいくて天真爛漫で、誰からも好かれていた。

「お前たちの名前は、逆にするべきだったかな……」

時折、父がすまなそうに言っていた。

私たちが生まれたのは2月19日。歴史上ではコペルニクスの誕生日とのことで、天体記念日なる日に指定されている。この日に生まれた男女の双子ということで、国文学の院生で神話の研究者だった父はギリシア神話から私たちの名前を付けた。

暉は太陽。朔は月を表す。ギリシア神話のアポロンとアルテミスも、双子の兄妹だから。

太陽のように明るい男の子と、月のような美しい女の子になってほしい。

でも……私だけは、親の願いに反してただの影になってしまった。人見知りで内向的な私を膝にのせて頭を撫でながら、父は古今東西、さまざまな古典文学の中の月の魅力について話してくれたけど……私には神秘的な美しさは、縁がなかったみたい。

暉は大学時代から夏休みを利用したり休学したりして、世界各地をふらりと放浪していた。ちゃっかり留学期間も含めると、もう何年も一つの場所に落ち着いていない。

今はトラベル・インフルエンサーとしてSNSでフォロワーが50万人以上いて、立派に職業としてやっていけているらしい。


帰国しても連絡なんてめったにしてこないのに。

一体、何の用だろう?