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ラストまでの仕事が終わり、私は無意識にも急ぎ足であの家に向かっていた。
雨が降っているにも関わらず、傘をも差さずに。
例え全て無意識だとしても、エントランスに着いてオートロックのその扉を開ける時は一瞬躊躇った。
踏み出せば、この先もう後戻りは出来ないと、身体が躊躇ったのだ。
心よりも先に身体はこの先が『イケナイこと』だと分かっているようで。
数秒その場に立ち止まってしまう。
そう。たった数秒だけ。
雨によって濡れた身体は少し湿気のような匂いがするし、タバコの匂いだって身体中に染み付いてる。
────ああ、嫌だ。
気分が悪くなってしまえば、躊躇っていた身体は脳からの指示により前へと動き始めてしまう。
慣れたようにエレベーターに乗って、32のボタンを押し、見慣れた扉に鍵を差し込み、迷うこともなく開ければ。
「あっ…」
瞳に映るのは、
「おかえり、凛。」
私の愛しい人。
ちょうど彼も今帰ってきたばかりなのか、帽子もメガネもマスクも付けたままで。
「うわっ、凛、ビショ濡れじゃん。傘はどうし…っ」
彼の言葉を最後まで聞かず、飛びつくように抱きついた。
勢いをつけすぎたのか、春は「おっと、」と瞬時に私の腰に腕を回して抱きしめつつも壁に身体を預ける形に。
「凛?」
「………………」
ギュゥ…と抱きしめる腕に力を込める。
言うのは、恥ずかしい。
けど、伝わって欲しい。
私は今、あなたに触れたくてたまらなくて
もっとこのぬくもりが欲しくて
甘い目と声で私を求めてほしくて──…
ただひたすらに春の胸板に顔を押し付けた。
今顔を見られるのはちょっと恥ずかしいから。
「りーん」
だけど、春のもう片方の手が私の頬を捕らえると、優しくもクイッと上を向かされる。
そのため隠していた顔が露にされて
「言ってくれないと、分かんない」
「っ……」
「俺はどうすればいい?」
「(分かってるくせに…)」
「んー?」
恥ずかしさのあまり言いづらそうにする私を見ては、とても楽しそうに口角を上げて。
「…………っ」
顔を覆い隠していたマスクは
いつの間にか下げられていて
端正な顔立ちが瞳いっぱいに映り、
私を見つめる瞳は意地悪でありながらも美しく
「凛。」
甘い声で名前を呼ばれては、恥ずかしさなんて吹っ飛んでしまうくらい心が耐えきれなくなった。
「私を……」
────あなたで満たしてほしい。



