本日のHRが終わった時、玲人があかねにそっと問いかけてきた。



「高橋さん。今日の数学の授業、ちょっと分からなかったから、もし良かったら、今日の分、教えて欲しいんだけど」



ふぁーーーーーーー! 推しからのお願い事 is Special Surprise!!! 構いません構いません!! いくらでも付き合います!!



……という、脳内に響き渡るファンファーレの音を最後まで聞いてから、あかねは、隣の玲人を見て、良いよ、と返事をしながら机の上に教科書を広げた。



……と、その時。



「あかね、帰らねーの?」



帰宅準備を終えた光輝があかねの席までやって来た。



玲人は直ぐに光輝に気が付いて、事情を察したようだった。



「あっ、ごめんね。帰るんだったの?」



ああっ! そんな申し訳なさそうな顔をしないで欲しい!! ファンは推しの為なら彼氏だって婚約者だって、旦那だって二の次になるって、同じ玲人のファンだったチャット仲間から聞いている。


ましてや光輝は単なる幼馴染みだ。


ここであかねが光輝のことを無視しても、一般的な推し活として両者が納得するだろう。




「あー、気にしないで、暁くん。光輝とは毎日一緒に帰ってるから、たまには違う顔見て帰りたいじゃない。正直、この顔、もう飽き飽きしてるし」



あかねがそう言うと、光輝があかねの頭をゴチンと殴った。



「は? 俺は飽きてねーけど?」



「なによ。こんな平凡な顔、何処にでもあるでしょ。っていうか、あの諸永さんがあんたにお熱だったの、私、知ってるんだからね」




諸永桃花。去年の文化祭の生徒会主催人気フォト大会で、見事最多投票賞を獲得した美人。


女の子らしい性格も相まって、全校男子生徒の憧れの的の女子だ。


性格が良いから女子の友達もたくさんいて、あかねもその噂は聞き及んでいる。




そんな話題の的の美人が、玲人が転校してくるまでは学年一モテてた光輝のことを、憎からず思っていたことを知っている。


そのことを引き合いに出したら、光輝はしれっとした顔で、俺じゃお眼鏡にかなわないってさ、と関心なさそうに言った。



「は?」



「諸永は、今や時の人の暁にお熱だよ。知らなかったのか?」



「はあ??」




……知らなかった……。


幼馴染みというだけで、ツンケンした態度を取られていたけど、そんなにあっさり鞍替え? 


そうだとしたら私には『恋スル気持ち』なんてよくわかんないわ。


女子こわー。




などと光輝とやり取りをしていたら、玲人が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔であかねたちを見守っていたことに気付いた。




「あっ、ごめんね、暁くん。そういうわけで、光輝は勝手に帰るから……」



「いや、悪いよ、そんなの。小林くんもごめんね? 二人が付き合ってるって、僕、知らなかったから」




No――――――――――!!! それは誤解!! ゴカイなんです!! こんなゴカイではなんの魚も釣れないけど、玲人くんの勘違いという最悪の魚を釣り上げてしまったことについては、光輝に殺意を抱かざるを得ない!!




「ご……っ、誤解!! 誤解だよ、暁くん!! 光輝とは幼馴染みだってだけで、なーんの関係もないから!!」



「そう? でも、悪いから。明日なら良いかな?」



「も、勿論だよ!」




あかねが応えると、玲人はほっとしたように、じゃあ明日ね、と言って手を振ってくれた。



そうされることで、あかねは教室を出ざるを得なくなった。




うう、推しの即戦力になれないなんて辛い。



あかねは光輝と並んで学校を後にした。




(はああ……、折角玲人くんが頼ってくれたのに……。推しの力になれないなんて、ファンとして辛い……っ!! それもこれもみんな……)



ギッと隣を歩く光輝を睨む。



光輝はちょっと拗ねたような顔で謝罪してきた。



「……悪かったよ……。全く、あかねは本当に『玲人くん』が好きだなあ……」



「何言ってんの、当たり前でしょ。あんな、神のような人、他に居ないわよ!」



玲人に必要以上の誤解をされたことでプリプリ怒っていたあかねに、でもさあ? と光輝が続ける。




「人間は、神さまとは恋愛できないよ? だって、次元が違うじゃん」



凄く真面目な顔をして光輝が言う。



しかしあかねは吹き出して笑ってしまった。




「プッ! あは! あははは!!」



「何がおかしいんだよっ! 俺は、あかねの事、心配して……」

お腹を抱えて笑うあかねに、光輝は憤慨したように眉を吊り上げたかと思ったら、今度は情けない顔をして、あかねぇ、と、あかねを呼んで、肩に額をぐりぐりとこすりつけてきた。



まるきり、遊んで欲しい子犬がする仕草で、本当にかわいい。




「ばっかだなあ、光輝。玲人くんは私の……、ううん、みんなの神なの。恋愛しようなんて、これっぽっちも思ってないよ。
玲人くんを……、『FTF』を応援してたみんな、そうだと思う。神として画面の向こうに居て、民に笑顔という恩恵を振りまいてくれていて、其処にあるのは信仰が一番近い感情だよ。だから、神の為にだったら何でもできたの。
お布施(会費)を納めることも、布教活動(雑誌回覧)も、礼拝(配信)への出席(視聴)も、(推し)ファン(信者)として相応しい言動に気を配ることだって! そりゃあもう、ごく自然に出来ちゃうの! すごくない!? 
フツーに考えたら、バイトも出来ないのにお小遣いからお布施ねん出するのも、雑誌買うのも、配信見るのも懐的に大変なんだけど、推し活以外の事をぜーんぶ控えても苦にならないくらいに、推しへの敬愛が勝ってるの! 
そういう気持ちって、巡り巡ってその人を豊かにするんだよ!? それが出来る(推し)って、凄くない!? そんな人と恋愛なんて、ありえないって!!」



三角の耳をくてんと折ってこちらを窺う子犬のような光輝に、無理無理! と手を振って力説ののち、あははと笑ってそう言う。


光輝は、信じたんだか信じてないんだか分からないけど、あかねの言葉はちゃんと聞いてた。




「……そっか。俺、単純に、長い初恋だなあ、って思ってたけど、そういうんじゃないのか……」




「そうだよ、全然次元が違うよ! だって、私、推しが選ぶなら、きっとどんな人を彼女として発表されても受け入れられたもん! 推しが、間違った人を選ぶわけがないって、信じてるから!」




ぐっと、こぶしを握って力説する。


勿論その気持ちの前提としては、『FTF』で居て活動してくれることがあったけど、こうなってみると、もはや『FTF』で居てくれることすら前提じゃないのかもしれない。




玲人が玲人らしく居てくれれば、あかねはどんな人が彼女になろうとも受け入れられる気がする。


玲人の価値は、彼女の有無やその人の人格で決まるのではなく、玲人自身のこれまでの生きざまで決まるのだ。




そう考えれば、小学生の頃からずっと玲人を追っていたあかねが、玲人のことを、彼女込みで受け入れないわけがなかった。





『恋』として好きなのではない。



崇拝だからだ。





「だから光輝の心配は杞憂なの。でも、心配してくれてありがとうね。私にもいつか、優菜みたいに、好きなことを否定しない彼氏が出来るように祈ってて? してくれるなら、そのくらいの方がいいわ」



うん、と頷いた光輝の頭を撫でる。



随分背が高くなったけど、こういうところ昔から全然変わらない。


日々玲人()を間近で見ていて目がくらんでいたけど、あかねを見守ってくれる人はこんな風にいるから、民草としての幸せを考えようと思える。




「行こ?」




あかねが促す形で、二人は駅へと向かった。




夕焼けの色が、玲人の後光みたいな金色だった。