やがて神様にお参りをして社を離れる。

「なに、お願いした?」

あかねが問うと、玲人は嬉しそうに応えた。

「そりゃあ、新年が充実してることと、あかねちゃんが僕の事好きになってくれるようにだよ。あっ、でもここの神さまは縁結びの神さまじゃないから駄目かな……」

玲人の言葉を聞いている限り、塚原から居なくなることは想像し難いけど、でも『新年が充実してること』は、もしかしたら復帰のことかもしれない。
玲人に、あかねちゃんは? と問われて、なにをお願いすればいいのだろうと悩んだまま、なにも願うことが出来なかったとは言えない。玲人の願いが復帰なら、その選択は素晴らしいと思うし、全力を持って応援したい。しかしその一方で、子供の我儘のような、塚原から居なくなってほしくない、という気持ちもあったからだ。

「そ、そうだな……。家族の一年の健康かな……」

ごくありふれた返答をすると、玲人は少し不貞腐れた。

「恋愛劇場が分かるようになりますように、とかだと思ってた」
「あはは。それでも良かったね」

笑うと、玲人があかねの顔を覗き込んだ。

「……僕はこの一年で、あかねちゃんの恋愛劇場に登場できるのかなあ?」

微笑む玲人に、彼があかねを諦めないで居てくれると知る。でも彼が居る場所は、塚原じゃなくなるかもしれない。あかねは激しい動悸の中で、玲人に尋ねた。

「で……も、さ……。玲人くんは芸能界に復帰、……するんでしょ……?」

やわらかな玲人の笑みが、サッと消える。それを見てあかねは悟った。

ああ、この話は本当なんだ、と。
あかねの隣から、いなくなるんだ、と。

あかねが心臓の拍動を抑えながらそれらのことを納得していると、玲人はあかねの動揺をスパッと切るように、冷徹な声でこう言った。

「その話、ホントだって言ったらあかねちゃんはどう思うの?」

玲人はとても冷たい目でその言葉をぶつけてきた。あかねは迷わず言うつもりだった。未だ全国にファンの居る玲人は、塚原なんかに埋もれてないで、その存在そのものでみんなを幸せにすべきだ、と。しかし。

「……、…………っ」

声、が。

出て、こない。

あんなに、一晩中、練習した、玲人の輝かしい未来への道を、見送る言葉が。

雑踏の中、はくはくと呼吸をする為だけに動く口は、息は吸い込むのにそれを吐き出すときに喉を震わせない。

(やだ)
違う。

(まだ知らない玲人くんをもっと知りたい)
凡人が捕らえていて良い人じゃない。

(もっと玲人くんと)
全国の女の子に夢を届ける人なのよ!

「…………っ!」

立ち尽くしたあかねが胸の前でぎゅうっと握った両手は、小刻みに震えていた。瞳孔を開くような目で玲人を見るあかねに、玲人は厳しい目つきを一転、やわらかい眼差しに変えた。

「あかねちゃんさ……、推しだからとかっていうこと関係なく、考えてくれないかな。僕が本当に……、アイドルに戻っても良いのかどうか……」

玲人の手が、あかねの握った手に触れて、そのこわばりを解いてくれる。緩く結んだあかねの手を、玲人の大きな手のひらが包んだ。冷えた空気の中そのぬくもりに、力の入っていた肩からすとんと脱力するのが分かった。それと同時に喉を塞ぐんじゃないかという大きな塊が、せりあがって来た。

「わ……、……わかんな、……い……。きのう、……は、……おいわい、しよう……って、き、……きめてた……、の、に……」

震える言葉はみっともない。未だどっちとも言えない自分の意気地のなさに泣けてくる。でも玲人はそんなあかねの答えを嬉しそうに聞いていた。

「そうやってさ、迷ってよ。僕を、ずっとあかねちゃんの頭の中に居させてよ。そうしていずれ、『暁玲人』としてあかねちゃんの恋愛劇場にファーストプレイヤーとして役を貰いたいな」

アイドルに戻るとも戻らないとも言わず、玲人はあかねだけを欲した。本当にこの人は、自分の決めたことを諦めない人だ。芸能界に戻るにしろ戻らないにしろ、あかねのことだけは諦めないと、そう言いたいんだ。

あかねはそれに対して答えうるべき覚悟を持っていない。玲人が桃花と別れてからというもの、あかねに対する意地悪は酷くなる一方だった。それがもっとエスカレートするんじゃないか、という辟易した気持ちも、なくならない。

「……、…………」

口の形を笑みには作ったが、肝心の言葉が出てこなくて、玲人に、いいよ、急がないから、と気遣われてしまう。返事を待たせている心苦しさから、でも……、と口ごもると、玲人はゆるく首を振った。

「どんな状況でも揺るがない、あかねちゃんの本心が聞きたいんだ。塚原に引き留めたいからとか、みんなの為に輝いて欲しいとか、そういう余分な理由は要らない。ただ、あかねちゃんの一番シンプルな気持ちが聞きたい」

玲人の言葉にハッとする。昨夜考えていたことは、まさに玲人が言う『あかねの感情に影響する状況』なのではないだろうか。それに任せて返事を要求することも出来るだろうに、玲人はそうしなかった。

なんて、人に対して真摯な人だろう。
そう玲人に対して思う。そして。

自分も、玲人に対して真摯でありたい。
その為には、雑念を取り払って、玲人と向き合わなきゃ駄目だ。

「……ごめんね、玲人くん……。……でも、待ってて欲しい。いつか……、ちゃんと返事を返せる私になるから……」

あかねの言葉に、玲人はあかねが安心できる笑みを浮かべて、待ってるよ、とだけ言ってくれた。