彼はふうと息をついた。
「あさってにでも、こんな調子が戻ってくればいいのにな」と静かにいう。
寂しがり屋な友達に、俺は「可能性は充分にあるよ」と笑いかける。相手があんまりに純粋に反応する物だから、罪の意識が顔を覗かせる。
「今この瞬間にでも、数秒後、数分後にでも、千葉のいうあさっては訪れるかもしれない」
「……お前、また俺の頭の悪さを利用して楽しもうとしてるだろ」
俺はまぶたをあげて「滅相もない」と首を振りながら肩をすくめた。「嘘くせえ」と千葉は短く苦笑する。
「世界なんて五分前にできたっていうじゃない」
千葉はぽかんとした顔をした。そのまましばらくかたまって、ようやくゆっくりと動きだした。
「……その世界ってのをどう定義するか知らねえけど、少なくとも地球は一億年以上前から存在してる。そして抵抗を受けないまま、宇宙を休まずぐるぐるしてるんだ」
「そんなのは後づけだよ。白いごはんにふりかけをかけるようなもんだ」
「それは味つけだ。お前おなか空いてるじゃん」
「とにかく、ただ世界だけを作ったんじゃつまらないんで、あれやこれやとドラマも一緒に作ったんだ」
「なんの話だ。糖分が足りないなら食った方がいい、酸素が足りないなら深呼吸した方がいい」
千葉は炭酸飲料を一口飲むと、その缶を「飲むか」と差しだしてきた。俺は適当に笑っておく。缶を引っこめる千葉の苦笑は、断るならちゃんと断れよ、なんて声が聞こえてくるようだった。
「千葉にキュートないとこがいるのも、花車水月って友達がいるのも、全部、五分前に与えられた設定なんだよ」
「沢木の好きそうな話だな」と千葉は顔をしかめた。
「確かに。退屈な話だよね」と俺は頷いた。「俺も世界について深く話し合いたいわけじゃない」
「いってることがめちゃくちゃだ。疲れてるんなら帰る」
「いや、気にするなっていいたいだけだよ。世界五分前仮説、つってね。これが本当なら、ちょっとした不幸なんて相手にしてやる必要はないじゃない。俺がここに閉じこめられてるのはたった五分間。千葉は五分や三分前にぽんっとここにきた。俺も千葉も、噛み合うように設定を組まれてるから、互いに怪しむことがないだけ。俺たちはまだ生まれてから五分しか経ってない」
「そんなのはおかしい。俺には確かに、水月のいうところのキュートないとこがいるし、大学三年の兄貴はこの間、バイト先で常連の女子高校生にふられた。俺はゴールデンウィークの前からお前のことを気にかけてる」
「そういう世界に生きてるだけだよ、俺たちは」
「俺は信じない」
「ちょっと信じてみれば、気が楽になる」
千葉が息を呑む気配がした。俺は湯呑みの凹凸を親指の腹で撫でる。
「幸も不幸も全部、五分前に与えられたもの。俺たちはそれを愛おしんでやればいい。まるで、五分なんかよりずっと前から大事にしてるものみたいに」
それがあまりに残酷なこともある。たとえ本当に世界が五分前にできたのだとしても——いや、だからこそ——あまりに悪趣味なできごとだってあるだろう。
すべての悲劇をそれで片づけようとは思わない。
けれども、俺のこの些細な不運は、五分しか続いていないものとしてしまいたい。あの仮説に慰めを乞いたい。俺の愚かな心とやらのいたずらは、まだ五分しか続いていないと思いたい。
まだ五分しか、愛おしい弟を捕らえていないと思いたい。まだ五分しか、千葉に気を使わせていないと思いたい。
「あさってにでも、こんな調子が戻ってくればいいのにな」と静かにいう。
寂しがり屋な友達に、俺は「可能性は充分にあるよ」と笑いかける。相手があんまりに純粋に反応する物だから、罪の意識が顔を覗かせる。
「今この瞬間にでも、数秒後、数分後にでも、千葉のいうあさっては訪れるかもしれない」
「……お前、また俺の頭の悪さを利用して楽しもうとしてるだろ」
俺はまぶたをあげて「滅相もない」と首を振りながら肩をすくめた。「嘘くせえ」と千葉は短く苦笑する。
「世界なんて五分前にできたっていうじゃない」
千葉はぽかんとした顔をした。そのまましばらくかたまって、ようやくゆっくりと動きだした。
「……その世界ってのをどう定義するか知らねえけど、少なくとも地球は一億年以上前から存在してる。そして抵抗を受けないまま、宇宙を休まずぐるぐるしてるんだ」
「そんなのは後づけだよ。白いごはんにふりかけをかけるようなもんだ」
「それは味つけだ。お前おなか空いてるじゃん」
「とにかく、ただ世界だけを作ったんじゃつまらないんで、あれやこれやとドラマも一緒に作ったんだ」
「なんの話だ。糖分が足りないなら食った方がいい、酸素が足りないなら深呼吸した方がいい」
千葉は炭酸飲料を一口飲むと、その缶を「飲むか」と差しだしてきた。俺は適当に笑っておく。缶を引っこめる千葉の苦笑は、断るならちゃんと断れよ、なんて声が聞こえてくるようだった。
「千葉にキュートないとこがいるのも、花車水月って友達がいるのも、全部、五分前に与えられた設定なんだよ」
「沢木の好きそうな話だな」と千葉は顔をしかめた。
「確かに。退屈な話だよね」と俺は頷いた。「俺も世界について深く話し合いたいわけじゃない」
「いってることがめちゃくちゃだ。疲れてるんなら帰る」
「いや、気にするなっていいたいだけだよ。世界五分前仮説、つってね。これが本当なら、ちょっとした不幸なんて相手にしてやる必要はないじゃない。俺がここに閉じこめられてるのはたった五分間。千葉は五分や三分前にぽんっとここにきた。俺も千葉も、噛み合うように設定を組まれてるから、互いに怪しむことがないだけ。俺たちはまだ生まれてから五分しか経ってない」
「そんなのはおかしい。俺には確かに、水月のいうところのキュートないとこがいるし、大学三年の兄貴はこの間、バイト先で常連の女子高校生にふられた。俺はゴールデンウィークの前からお前のことを気にかけてる」
「そういう世界に生きてるだけだよ、俺たちは」
「俺は信じない」
「ちょっと信じてみれば、気が楽になる」
千葉が息を呑む気配がした。俺は湯呑みの凹凸を親指の腹で撫でる。
「幸も不幸も全部、五分前に与えられたもの。俺たちはそれを愛おしんでやればいい。まるで、五分なんかよりずっと前から大事にしてるものみたいに」
それがあまりに残酷なこともある。たとえ本当に世界が五分前にできたのだとしても——いや、だからこそ——あまりに悪趣味なできごとだってあるだろう。
すべての悲劇をそれで片づけようとは思わない。
けれども、俺のこの些細な不運は、五分しか続いていないものとしてしまいたい。あの仮説に慰めを乞いたい。俺の愚かな心とやらのいたずらは、まだ五分しか続いていないと思いたい。
まだ五分しか、愛おしい弟を捕らえていないと思いたい。まだ五分しか、千葉に気を使わせていないと思いたい。



