花水木

 気に入らない。
 気に入らない。

 ……気に入らない。

 卓球台の前、腹の中で繰り返しながら、深く呼吸をする。

 気に入らない。

 あの女が、気に入らない。

 どうしようもなく、気に入らない。

 昼間、あのばか女のばかみたいな笑い顔を見て、ふと頭をよぎったものがあった。

 もしもこのばか女に笑われたら——。

 その恐ろしすぎる『もしも』に、あまりに腹立たしい『もしも』に、震えそうになった。

 我慢ならない——。

 もしもいつか、あのばか女が誰か別の人を目的に、俺の試合を見にきたとしたら。

 あるいはただの暇つぶしとか、友達に誘われたとかいう理由で、試合を見にきたとしたら。

 それだけでも腹が立つのに、あのばか女の見ているところで、あのばか女に掻き乱されたせいでまともに動けなかったらと思うと、それを後日、涙を滲ませながら笑われたらと思うと、恐怖と勘違いしそうなほどのいらだちに、気が狂いそうになる。

 認めない。

 俺はあのばか女に笑われるような男じゃない。

 俺は、俺は——。

 あのばか女に振り回されるような男じゃない。

 生まれてこの方、十三年。誰かを好きになったことなんて一度もない。それは今もつづいているし、これからもつづいていく。

 笑われてなるものか。

 ばか女のにやけ面を想像すると、勝手に気分が落ち着いた。余計な力が抜けた。

 コートで跳ねた球を打ち返す。相手も同じようにして、俺もまた打ち返す。なんでもない動作のはずなのに、次第にまどろっこしい試し合いに発展する。こう打てば反応できまい、そこに打つと見せかけてこっちに打つ。

 去年まではもっと神経と体力を削られるやりとりだったけれども、今は不思議なほど相手の考えがわかる。跳ね返ってくる球がよく見える。ノートの端に描いたぱらぱら漫画のようで、テンポが悪くて焦れてくる。

 ひとつ思いきり打ち返すと、相手ものっかってきた。途端に球のやりとりが激しくなる。

 ああばか女、笑えばいい。笑えるものなら笑ってみろ。いかにもばからしく、目尻に涙を滲ませて、呼吸も下手くそにして、「お腹痛い」とでもいいながら笑えばいい。

 ほんの短い間に、俺は左の方に目をやってからそことは違うところに打ち返した。相手の反応の悪さに「よし」と拳を引き寄せる。

 「花車、ダンスは楽しいか?」と審判役の先輩がいった。

 俺は「いや」と苦笑する。「俺、卓球やってんですけど」

 「魔女とのダンスが楽しそうだなっていってんだ」

 しばらくその言葉の意味を考えてから、ふと理解できた。その瞬間、俺は「冗談よしてくださいよ」と本気で困りながら笑った。

 冗談じゃない。

 「俺は魔女に踊らされてるわけじゃないですよ。あんなのに振り回されるほど弱くないです」

 「そうか? 俺には今の体育館が、お前と魔女の貸し切ったダンスホールに見える」

 「冗談じゃない」と実際に口にだして笑うと、先輩は「ああ、冗談じゃないとも」と落ち着いた調子でいった。

 「その調子だ」という先輩に「狩ってやりますよ、あの魔女」と返しながら、俺は卓球台に向き合った。