スペシャル番組を観てから、日付が変わるほんの数分前という頃にようやく二階へあがった。私室のふすまを開けようとしたとき、隣の水月の部屋のふすまが開いた。「うわ怖」と声がでた。明日の予定なんかを訊いてくるからなにかと思えば、勉強を教えてほしいということだった。

 紙コップに注いだ水で迎えられ、総合的には自分よりも偏差値の高い相手への授業が始まった。

 「今までずっと勉強してたのか?」

 「いや、さっきまでは絵描いてた」

 「いつまでだっけ」と尋ねると、水月はゆるゆるとかぶりを振った。「思い出させちゃいけない」と至ってまじめな調子でいう。かなり追いこまれているらしい。

 「充実してそうだな」

 「おかげさまで」という声は嫌味というわけでもなさそうだ。

 「楽しそうでなにより」

 胸の奥の絡んだ糸がすっと解けたように、変な息苦しさがなくなった。これからどうなるのかはわかりようもない。水月は絵に飽きるかもしれないし、それとはまた別の理由で描かなく、描けなくなるかもしれない。それでも今はただ、安らかな心持ちでいられる。

 絡んで絡んでかたくなっていた罪の意識が、射した光に色を薄くした。遂に、水月が帰ってきた。絵を描けるようになり、さらには絵を売るようになった。俺の身勝手で罪悪な願望を、天女は聞き届けてくれた。水月は羽根を広げ、大空へ飛んでいった。

 ひとつ寂しいのは、あの天女へ、時本へ礼をいえないことだ。俺には彼女に近づく資格がない。友達というほど対等ではないし、恋人という幸せな立場は水月が持っている。いや、恋人という幸せな立場は、俺が自ら手離した。

 俺は今、この上ないほど満ち足りている。これで時本に礼までいってしまえば、この幸福はこの小さな器からあふれてしまうのだろう。そうすれば、俺はまた愚かしく醜く、他者を傷つけることも厭わず幸福を求める。その戒めとして、彼女との距離はこれくらいを保っておくべきなのだろう。

 礼をいいたい、いえない、というこの不足は、この満ち足りた現状を鳥瞰する余裕なのかもしれない。あるいは、水月に無理を強いたことへの、時本を巻きこんだことへの罰か。とにかく、このわずかな不足はきっと、少なくとも今はまだ、埋めてはならないのだ。

 「あ、ここは?」という水月の示す問題を見て、「さっきやったじゃん」と苦笑する。「はなに教えないといけないんだ」となんていうので、「ああそうかよ」と返す。

 学校なら、俺が同じなのに。

 なんて愛おしい不足だろう。