「あれ」と聞き憶えのある声がした。振り向いた先には、こういうのが噂をすれば影がさすといわれるのか、ずいぶん遠いところに寺町がいた。声は「稲葉くん?」とつづけた。

 「おまえのこと呼んでるぞ」

 「とんだ間抜けだな」と稲葉は冷たくいった。「おまえに気があるのを周りに知られたくないんだろうよ」

 「ならおまえは邪魔だ」といい返す。

 ふと、「おれはおまえが気に入らない」と稲葉はいった。

 「そんな間抜けで、ちょっと卓球ができて女子にとってちょっと見てくれがいいだけで、あんなかわいい女子の気を惹く」

 「そりゃおまえの勘違いって場合も——」

 「ばーか」と彼は乾いた声で小さく笑った。「好きな相手が自分に気があるかどうかなんて、すぐわかんだよ」

 「人間、恋をすると悪いことばかり考える」恋情をそれと認めないこともある。

 「いいや、これは現実だ。寺町は俺には興味ない」

 「ならその興味を引けばいい」

 「それができたら、俺はここにはいない。ライバルにいまいち効き目のない金の矢を刺すなんて、こんなつまらないことはしない」

 「どういう意味だ」

 「キューピッドなんか演じてないで主役を張るっつうの」

 「キューピッドは金の矢を射るのか」

 「鉛の矢をぶちこんでやってもよかったんだ。それで自分が主役に成りあがって大団円、できの悪い愛憎劇は幕をおろす」

 寺町は「すみません、すみません」といいながら人を掻き分けやってきた。

 「いやあ、すごい。知ってる人がいっぱい」

 「おめでとう」という稲葉に、寺町は一瞬きょとんとした顔をしてから、はっとして「おめでとう」と答えた。

 「おめでとう」といってみると、寺町は「今年もよろしくね」といった。それから、「ああでも、あとほんの何か月かで二年生だね」と困ったように笑った。

 「御神籤、引いた?」

 「引く前にこいつに会っちゃった」と稲葉が答えた。
 「引く前にこいつに連れ回された」と俺もつづいた。

 先ほどから、フルーツ飴にたこ焼きに焼きそばと、食べてばかりだ。この男は富豪らしい。俺にフルーツ飴を奢り、たこ焼きを半分近く分け与えた。

 「ハヅキ・ハナグルマ、きみは祭りの楽しみ方を知らぬのかね」

 「祭りじゃない、これは初詣だ」

 「屋台があれば片端から覗いていかなければならない」

 「いいな」と寺町が反応した。「なにか食べたの?」

 「フルーツ飴とたこ焼きと焼きそばを」と俺は半ばうんざりして答えた。

 「最後にはわたあめを買わなきゃいけない」

 「いけないの?」と笑う寺町に、「楽しかったなーって感じがするだろ?」と稲葉は当然のようにいった。

 俺には、寺町が自分よりもむしろ稲葉の方に関心があるように思えてならない。

 稲葉の奴、それにどのような効果があるのか知らないけれども、金ではなく鉛の矢とやらをぶちこんだのではないだろうか。俺の関心を寺町に向け、期待とか希望とか小綺麗なものを見せたあとに、自分が寺町をそばに置いて、俺をどうにかするつもりではないだろうか。どうにか——そうだ、卓球に集中できないように。

 しかし、そんなに俺を潰したいのなら、なんだってこうして、なにかを奢ったりするのだろうか。友人へ抱くような情を持たせ、それを踏み(にじ)るつもりか。どうかそんなねちっこい奴でないでほしい。そんなこと、俺でさえ実行しない。