夏休みが終わってしまえば、途端に時間の流れが早くなる。いや、時間に、激しい緩急がつくようになる。月曜日から金曜日の時間は恐ろしくゆっくり流れるのに、金曜日に家に帰ってからのおよそ半日と二日の間は、目に見えないほどの速さで過ぎ去っていく。土曜日の朝の九時頃に絵を描き始めて、ふと気がつけば日曜日の夜に近い夕方になっている。もちろん、その間に食事の時間も眠っている時間もあるのだけれど。

 学校では「夏休み気分が抜けていない」とか「ぼさっとしてるんじゃない」とか「もう夏休みは終わったんだ」とか「しゃきっとしろ」とか「いつまで夏休みを過ごしてるんだ」とかさんざんな小言をさんざん嫌味たらしくいわれて、家に帰ってからは学業なんてそっちのけで絵を描く。そんな調子で日々を過ごしてしまえば、あっという間に九月というのはいなくなる。実に恐ろしい。

 九月が去ってしまえば、早々に中間テストなる恐ろしい魔物に襲われることになる。

 わたしは両手で、頬を挟むように叩いた。

 大丈夫、臆するな。

 つらいのは今この瞬間だけだ。実際に始まってしまえばもうどうにもできない。たった一問の正解不正解で赤点を回避しようが食らおうが、その結果を受け入れるよりほかはないのだ。

 そして、それを知らない間は、学校が半日という幸せも与えられる。家に帰ったらまた絵を描く。それでいいのだ。それが、高校生であるわたしに与えられた最大の自由なのだ。

 来年。来年だ。来年、わたしは画展を開く。顔も名前も知らない、母の姉の大学時代の先輩とやらにお願いして。

 画展を開く——それには上等な絵を描かなくてはいけない。
 そのためには、追試なんていう悪夢を見ていてはいけない。
 それには今ここで神経を擦り減らして勉学に励むしかない。
 そしてそのためには、今この瞬間、気晴らしが必要なのだ。

 気晴らしが必要なのだ。だが、今その快楽を手に入れてしまえば最後、もう二度とこの教科書の前に戻ってくることはない。

 それすなわち——追試。
 それすなわち、不自由。

 今ここで自由に絵を描いて今後一生涯自由に絵を描く時間を奪われるか、今ここでこのか細い神経が擦り減り消えてしまうまでこの地獄に耐えて、今後一生涯、誰にも邪魔されず、ただ自由に、ただ幸せに絵を描いて過ごす人生を手に入れるか。

 もちろん、できることならば、今ここで自由に絵を描いて気晴らしをし、今後も一生涯、絵を描きつづけるのが理想だ。

 しかし、わたしはそれができると思えるほど、テストの正解率が高くない。常に赤点に怯えているわけではないし、むしろ返ってきたテストにはまず、赤点とはそれなりに距離を置いた数字が刻まれている。

 しかし、傲慢は高慢は身を滅ぼす。

 結局、わたしにはこの地獄に耐えるよりほかに選択肢などないのだ。

 顔をあげて、深く深く息を吸いこむ。大丈夫、酸素はある。この部屋に酸素はある。わたしは今、どうしようもなく不自由だ。けれども、この部屋に酸素はある。

 まだ、生きられる。

 一学期のテストからだって生きて逃げきったのだ。

 今度だって、大丈夫だ。