花水木

 二枚目の自動ドアをでると、先ほどでていったあの男が「あんなもんでよかったのか?」というのが聞こえた。「いいのいいの、ちょっとやりたかっただけだから」と女が答える。

 俺はスポーツドリンクをもう一口飲み、そのまま階段をおりようとした。が、稲葉がついてこない。

 どうしたものかと振り返ると、「彼女すっごいかわいいじゃん」なんてとんでもないことをいってカップルに絡もうとしていた。

俺は慌てて稲葉の頭に手を伸ばす。後頭部を掻き寄せた。「ばーっかこの野郎、やめなさい」こんなことをして、相手が怖い人だったらどうするつもりなのか。センターの裏にでも連行されて拳と靴底にぼこぼこにされることだってあるだろうに。

 「テラマチ、恋人いたんだ」という稲葉の声で、俺は初めてその二人の顔を見た。寺町という同級生がいる。

 「違う」と、テラマチと呼ばれた女はいった。確かに年齢は、俺たちとそう変わらないように見える。男の方もそうだ。

 「この人、いとこ。恋人なんかじゃない」

 「へえ、これがみゃーの好きな人ね」と男がにやけ、その直後にうめいて腹を抱えた。テラマチに小突かれたのだろう。

 「稲葉くんと花車くんは、練習かなにかで?」と彼女はいった。ぎくりとしたのを必死で隠す。このテラマチは同じ教室にいる寺町だ。いわれてみれば、あの天女がてらちゃんとか呼んで仲よくしている女子に似ている。いや、似ているというより本人なのだけれども。

 「かわいい三角関係のためにこいつをぼろ負けさせてやろうと思って」と稲葉はいった。寺町がほんの一瞬、目を細めたように見えた。

 「三角関係?」

 「男の友情と情熱の三角関係だ」と稲葉は気取った声でいった。俺はちょっとめんどくさくなって息をつく。三角関係というだけでうんざりする。

 「三角っていっても二等辺三角形だ」とわけのわからないことをいう稲葉の脇腹を「ちょっと黙れ」と肘で突く。彼はちょっと体をくねらせたものの大した効果はなかったらしく、「俺とこいつは近いところにいる」とつづけた。

 「でも狙ってる人がえらい高いところにいるんだ」

 「二等辺といっても、逆三角形のようだな」

 「なぜ」

 「上の二つの角に俺と先輩がいる。手前はそれを追うんだ」

 「幻覚でも見てるのか? 間違いなくおまえは田崎とは並んでない」

 「この間の試合じゃ勝ったからな。ある意味では並んでないかもしれない」

 「腹立つ奴だわ〜」

 「些細なことや事実に腹を立てるのは弱者の象徴だ」

 「絶対潰す」という稲葉に「せいぜい頑張れ」と笑い返す。