花水木

 ふさふさのしっぽをかわいらしく揺らす薄茶色の大型犬が弾むような足どりで歩いていったちょうどそのとき、後方に自分のとは別の足音を聞いた。

 「一緒に食べる?」

 「はなが惚れたかつ丼の味には興味がある。なにより、俺はちょっと性格が悪いんだ」

 わたしは大げさに肩を揺らすようにして息をついた。足を止めて振り返ると、同じように立ち止まった水月は穏やかに愉快そうに微笑んでいる。

 「ちょっとじゃ済まない顔してるよ」

 「俺ははなに嫌がらせするためについていくんじゃない」

 「じゃあ?」

 「もっとほかの人だよ。俺がその人の姿を見たいのには、確かにはなも関係してるけど」

 「はあ?」

 水月はどこか嘘くさく笑って、肘を曲げたまま両手を挙げた。

 「はなが嫌ならこの口は縫いつけておく。ついてくるなといってくれればここで芸術鑑賞をつづけるなりしょんぼりして帰るなりする」

 「別に喋ってもいいよ」というと、水月は手をおろした。

 「わたしは自由が好きなの、束縛する人って大嫌い」

 いってしまってから後悔した。水月が悲しい目をするより、ほんの少しだけ先だった。

 「わたしは、意地悪でそういうことしたくない。喋るなとか立てとか座れとか、そういうくだらないことをしたくない」

 でも、とちょっと語調を強めた。

 「でも、変なこといわないで」

 「変なことをいったつもりはないよ」

 わたしはばたつかせたくなった手をぎゅっと握りしめる。

 「わたしのことを喋らないで」

 「努力はしてみるよ」と水月はふにゃりと笑った。もういい、我慢できなくなったら泣いてやる。


 いくつかの信号に引っかかって、千葉さんのいるお店に着いた。わたしは硬貨を確認して足りないのを知り、泣く泣く紙幣の入っているポケットを開いた。

 「いくら?」となんでもないようにいうので、わたしは千円札をとりだしながら「五十円」と答えた。

 食券機に千円札を飲みこませる直前、すっと差しだされたものがあった。銀色の、穴の空いた硬貨だった。

 「いいよ」と苦笑すると、「俺が見返りを求めないはずがない」と、冗談とも本気ともつかない調子でいう。表情を窺ってもなにもわからない。

 「ならもっといらないよ」

 「ものすっごいものを求める」といって、水月はわたしの、千円札を持った親指の付け根に五十円玉をのせた。

 「ものすっごいものってなに」といって受けとると、「あとで考える」と彼はいった。やはり、冗談なのか本気なのかはわからない。