花水木

 次の日には、水月の方がわたしに、今まで描いた絵を見せてくれた。

 すごい数だった。植物、人物、建物、風景、笛と、描いてあるもの自体も多いのに、その描き方がものすごく多い。写実的に描かれているものがあれば、なんとなく不安や恐怖を煽られるような描き方をされたものもある。歪んでいるような、切りわけられたような、美術展で見たことのあるような描き方。

 決してへたじゃないし、引きだしもたくさんある。

 ——次元が違う。

 「水月は、……どういうのだしたの?」

 水月はそっと、その整った横顔を見せつけるように正面を向いた。「風景。空の感じとか、太陽の角度とか、すごく綺麗な風景だったんだ。ちょうど、この土手で描いたんだ」

 わたしは受けとった絵から、それらしき一枚を一番上に持ってきた。

 「それはだしたやつじゃないよ。ああいうのって返ってこないから」

 「構図もこれとは違うの?」

 「色とか風景全体の表情が違う。あるときと同じ風景って絶対にない」

 「水月は、これとだしたもの、どっちが好き?」

 「だした方」

 わたしは手元の絵に目を落とした。優しく美しく、どこか感傷的な一枚。なんとなく切なくなる風がふわりと吹いてきそうな、引きこまれる一枚。これより優れた一枚が、評価されなかった。

 相手の目がよほど偏愛に汚れていたか、ほかの人がよほど優れていたか。

 胸の奥で、萎れていくものを感じる。自信という養分を失い、萎れていく。それと同時に、その萎れていくものを焼き払う激しい炎をも感じる。

 怖い。やってやりたい。怖い。諦めたくない。怖い。諦めてたまるか。

 「描き方が、相手の好みに合わなかったのかな。こういう、もっと個性の強いのがほしかったのかも」

 「欠点は?」

 「わからない。わたしには、わからない」

 水月は荷物を持って腰をあげた。それを目で追うと、彼は綺麗な顔でこちらを見おろし、「引きだしを増やそう」と静かにいった。

 「どうやって」

 わたしはともかく、水月はどうやって、これ以上増やそうというの。そんなことができるの? わたしは、そこに追いつくのに、どれだけのものを捧げばいいの?

 水月は自身の目に人差し指の先を向けた。「せっかく持って生まれたんだ。限界まで使ってやろう」

 へ?と間抜けな声がでそうになった。

 「見るんだ。いろんなものを」

 わたしは咄嗟にブレザーのポケットをあさった。携帯電話を探した。

 「でも、美術展っていっても……」

 「はなは贋作を描くわけじゃないでしょう?」

 「え……?」

 「ああいうものを描いてもなんにもならない。描くのは、風景とか人物とか、抽象的なものでしょう」

 「じゃあ、なにを見るの」

 「この世界だよ」

 「は……?」

 「道端の草、車が通ったあとの埃っぽい空気、店内放送と人の動く音、座った椅子の感触、机の質感、飲みこんだ水の食べものの味、におい。その全部を見る(、、)んだ」

 わたしは半ば、水月に気圧されていた。恐怖と尊敬とが入り混じった複雑な興奮に満たされている。その酔いは、不快な吐き気のようでも甘美な恍惚のようでもある。

 「そんなの、どうやって見るの……。目で感じるものじゃない」

 「見えなければ描けない。俺たちにはきっと、圧倒的に力が足りない。においを、味を、音を——爛れるような熱を、痛いほどの冷たさを、見せる力が足りない」

 「じゃあ、描こうよ」

 「描くにはものを見なければならない。心象も感情も、見たものがなければ生まれない」

 「……どこに、いくの……?」

 「刺激がある場所」

 「そんなの——」

 「そうだよ、どこにでもある。どこにいっても得られるものはある」

 震えるほどの、喜びとでもいいたい衝撃が体の深いところを駆け抜けた。

 この人、すごい——。

 わたしは急いで荷物をまとめ、立ちあがった。

 「いきたい。わたし、水月についていきたい」

 水月はちょっと驚いたような顔をして、それからふわりと微笑んだ。

 「ついてきて。俺もついていく」