わたしは、学校をでる前に自動販売機で買った炭酸水を、がばっと、まさにてらちゃんがやるように、大きく一口飲んだ。ちょっと失敗して顎のあたりを濡らすのを手の甲で雑に拭う。
「で、水月はどんなのを描くの? この間、葉月が活けたっていう花の絵を見せてもらったけど」
「いろいろ描いたよ」といった彼の声は、こちらの胸がきゅっと痛むほど寂しげだった。
「そのなんたるかを知らないくせに、抽象画なんかに手をだしたり」
「あれって、自分の中の印象みたいなのを描くの? ほら、感情を色とか形にして……みたいな。それとも、形のあるものを崩したりぼかして描くものなの?」
「なんでもいいみたいだよ」
わたしはたまらず苦笑した。「それが一番困る」
「なんでもいいは大体なんでもよくないからね」
「本当。あれってなんなんだろうね」ふと思いだしたできごとがあり、途端にもやもやしてくる。「小学校の頃さ、図工だったんだけど、ある程度の材料と形みたいなものは指定されて、でもそのデザインはなんでもいよって話だったのね」
「うんうん、あったね、そういうの」
「でさ、そういったからには、本当になんでも、いいねいいねっていわなきゃいけないじゃん。画用紙にクレヨンで絵を描いてくださーい、なにを描いてもいいですよーっていったんだったら、画用紙にクレヨンで描いたのが、猫でもたこでもエゴでもいいわけじゃん」
「エゴを描けたらすごいね。ずいぶん芸術的だ」
「もちろん、りんごが木から落ちるところでも、ピアノでもアリストテレスでもいいはずなの」
「ああ、誰だっけ、アリストテレス」
「アリスは哲学、テレスは哲学に魅せられた人」
「アリスとテレス」
「哲学者じゃなかったっけ? アリストテレス」
「そうだっけ」
「で、わたしはそのなんとも自由で魅力的な授業で、それはもう、思い思いに作業に取り組んだの。実際には、なんか作るって話だったかな。牛乳パックと針金で、舞台を作るっていって」
「そんな無茶な」
「いや、ミニチュアみたいな感じでね。牛乳パックと針金で大道具から小道具まで作れってんじゃないよ」
「安心した」
「牛乳パックに穴を空けて、ひらがなの『ひ』みたいな形に曲げた針金を通すの。それで、『ひ』のくいっとでっぱってるところに、人とか、動かしたいものをつけて、あとはオルゴールみたいに、パックからでてる持ち手を回せば、パックの上でものが動くっていう」
「へえ、かわいいね」
「でしょ。わたしも最初はうきうきだったさ。……牛乳パックと針金で、パックの上でものが動くものっていう縛りはあったけど、なにが動くかっていうのとか、パックの飾り方っていうのは一切自由だったの。それでわたし、それはもう思い思いに作業して。傑作ができたよ」
「すごい」
「子供部屋みたいなものができたよ」
「ん?」
「まあ、不器用でね、わたし。思ってたのとはまるで違うものができた。もっとかわいく綺麗なものを作るつもりだったんだけど、子供が思いきり遊んだ直後の部屋みたいなのができた」
「おお……」
「これはちょっとまずいなって思って」
「作り直したの?」
「なんで」
「え?」
「何回やっても同じだよ。人は急に器用にはなれない。だから、わたしはそれに名前を、題名をつける段階に進んだ。動きは少ないし簡単なものだけど、とりあえず舞台なわけだから、みんな、その作品に名前をつけることになってたの。だからわたしも、それに従って名前を考えた」
「なんか雲行きが怪しいな……」
「わたしはこれがなぜこうなったのかを考えた。これを胸を張って先生に見せるためのいい訳を探すために」
「怖いな……」
「答えは簡単だったよ。わたしは思い思いに作業したの。その結果が子供部屋。つまりこれは、わたしの心に相違ない。周りを見れば、ほかにこんなようなものを作ってる人はそういない」
水月はちょっと笑ってくれた。
「で、名前はすぐに決まった」
「なんでしょう」
「『自分らしさ』」
「ああ……。でもそうだよね、それを否定することは、はな自身を否定することになる。先生もそこまでのことはしないはず」
「でしょう? そう思うでしょう? でもね、世の中っていうのは、たとえ小学校という、子供への優しさに満ちていなければならないような場所であっても、驚きに満ちているものなの。先生はね、ちょっと悩む素振りを見せてから、いったの。『もう少し丁寧に作ってみたら?』って」
「ええ……」
「確かに、『自分らしさ』っていういい訳はまったく無力だったわけじゃない。でも、あの人はわたしを認めはしなかった」
「ええ……え、でもそれさ、本当に自分らしく作ろうって、それをテーマにして作ったんだとしたら、ちょっと失礼だよね」
「でしょ、わたしもそう思って、いい返したの」
「おっ」
「ここに直すところはありませんって」
「したら?」
「苦ーく笑われた」
この結末にはさすがに、水月もなにもいわない。苦く、笑っている。
「で、水月はどんなのを描くの? この間、葉月が活けたっていう花の絵を見せてもらったけど」
「いろいろ描いたよ」といった彼の声は、こちらの胸がきゅっと痛むほど寂しげだった。
「そのなんたるかを知らないくせに、抽象画なんかに手をだしたり」
「あれって、自分の中の印象みたいなのを描くの? ほら、感情を色とか形にして……みたいな。それとも、形のあるものを崩したりぼかして描くものなの?」
「なんでもいいみたいだよ」
わたしはたまらず苦笑した。「それが一番困る」
「なんでもいいは大体なんでもよくないからね」
「本当。あれってなんなんだろうね」ふと思いだしたできごとがあり、途端にもやもやしてくる。「小学校の頃さ、図工だったんだけど、ある程度の材料と形みたいなものは指定されて、でもそのデザインはなんでもいよって話だったのね」
「うんうん、あったね、そういうの」
「でさ、そういったからには、本当になんでも、いいねいいねっていわなきゃいけないじゃん。画用紙にクレヨンで絵を描いてくださーい、なにを描いてもいいですよーっていったんだったら、画用紙にクレヨンで描いたのが、猫でもたこでもエゴでもいいわけじゃん」
「エゴを描けたらすごいね。ずいぶん芸術的だ」
「もちろん、りんごが木から落ちるところでも、ピアノでもアリストテレスでもいいはずなの」
「ああ、誰だっけ、アリストテレス」
「アリスは哲学、テレスは哲学に魅せられた人」
「アリスとテレス」
「哲学者じゃなかったっけ? アリストテレス」
「そうだっけ」
「で、わたしはそのなんとも自由で魅力的な授業で、それはもう、思い思いに作業に取り組んだの。実際には、なんか作るって話だったかな。牛乳パックと針金で、舞台を作るっていって」
「そんな無茶な」
「いや、ミニチュアみたいな感じでね。牛乳パックと針金で大道具から小道具まで作れってんじゃないよ」
「安心した」
「牛乳パックに穴を空けて、ひらがなの『ひ』みたいな形に曲げた針金を通すの。それで、『ひ』のくいっとでっぱってるところに、人とか、動かしたいものをつけて、あとはオルゴールみたいに、パックからでてる持ち手を回せば、パックの上でものが動くっていう」
「へえ、かわいいね」
「でしょ。わたしも最初はうきうきだったさ。……牛乳パックと針金で、パックの上でものが動くものっていう縛りはあったけど、なにが動くかっていうのとか、パックの飾り方っていうのは一切自由だったの。それでわたし、それはもう思い思いに作業して。傑作ができたよ」
「すごい」
「子供部屋みたいなものができたよ」
「ん?」
「まあ、不器用でね、わたし。思ってたのとはまるで違うものができた。もっとかわいく綺麗なものを作るつもりだったんだけど、子供が思いきり遊んだ直後の部屋みたいなのができた」
「おお……」
「これはちょっとまずいなって思って」
「作り直したの?」
「なんで」
「え?」
「何回やっても同じだよ。人は急に器用にはなれない。だから、わたしはそれに名前を、題名をつける段階に進んだ。動きは少ないし簡単なものだけど、とりあえず舞台なわけだから、みんな、その作品に名前をつけることになってたの。だからわたしも、それに従って名前を考えた」
「なんか雲行きが怪しいな……」
「わたしはこれがなぜこうなったのかを考えた。これを胸を張って先生に見せるためのいい訳を探すために」
「怖いな……」
「答えは簡単だったよ。わたしは思い思いに作業したの。その結果が子供部屋。つまりこれは、わたしの心に相違ない。周りを見れば、ほかにこんなようなものを作ってる人はそういない」
水月はちょっと笑ってくれた。
「で、名前はすぐに決まった」
「なんでしょう」
「『自分らしさ』」
「ああ……。でもそうだよね、それを否定することは、はな自身を否定することになる。先生もそこまでのことはしないはず」
「でしょう? そう思うでしょう? でもね、世の中っていうのは、たとえ小学校という、子供への優しさに満ちていなければならないような場所であっても、驚きに満ちているものなの。先生はね、ちょっと悩む素振りを見せてから、いったの。『もう少し丁寧に作ってみたら?』って」
「ええ……」
「確かに、『自分らしさ』っていういい訳はまったく無力だったわけじゃない。でも、あの人はわたしを認めはしなかった」
「ええ……え、でもそれさ、本当に自分らしく作ろうって、それをテーマにして作ったんだとしたら、ちょっと失礼だよね」
「でしょ、わたしもそう思って、いい返したの」
「おっ」
「ここに直すところはありませんって」
「したら?」
「苦ーく笑われた」
この結末にはさすがに、水月もなにもいわない。苦く、笑っている。



