「まだ下手だけど、一生懸命歌ってるの」
有線のイヤホンを取って、急いでアカウントにログイン。
こういう時に限ってパスワードが上手く打てなくてグダグダしてしまう。
「はい、これ!き、聴いてみて、下さい…」
さんかくマークを押せば再生できるようにして、堕天使くんの前に携帯を置いた。
「…」
堕天使くんはちらりと見て、興味がなさそうに手元に持っていた本のページをめくった。
「テシ、頼むって」
「らしくないな」
「それくらいお前に聴かせたいんだよ」
「何故」
その理由を言い淀むエミさんは、無理やり携帯のボタンを押した。
個性的なベース音から始まり、パーカスとギターが上手くマッチする。
《心配容態後退劣勢》
そして、口が回りにくい言葉が続く。
私の歌声だ。
その声が部屋に流れた時、堕天使は停止ボタンを押されてしまったように固まった。
《開き直ってお手を拝借》
そして、Bメロが始まる直前で動画を止めた。
「……エミ」
「ほい」
「どういうつもりだ」
さ。さ。さ。
背中に冷や汗が流れるようだった。
「びっくりしたから連れてきた」
「それを何故俺に共有する」
「ダメだったか?」
どうしてこんな堕天使相手に、エミさんはヘラヘラしていられるんだろうか。
「ご、ごめんなさい…。不快、でしたか?」
知らぬ間に握っていたエミさんのスーツの裾を握っていたようで、その服を引っ張られた。
「……動画投稿してるの?」
「は、はい」
「これ君なの?」
「はい」
「声、違うけど」
「昔から歌う時、声違うって言われます…」
動画投稿を手伝ってもらっている友達には、この声が武器になると言われたけれど、小さい頃はこの違いが嫌だった。
もっと可愛い声で歌いたいのに、可愛い声を出そうとすると声が枯れてしまう。
この声を受け入れられるようになったのは、リスナーさん達が褒めてくれるようになってから。
「…名前は?」
「私のですか?沢鷹音帆です。あ、活動名はローマ字で”Ne”って書いて、エヌイーって…」
「沢鷹さん」
久しぶりに呼ばれた名前に胸がドキッとなる。
「…はい♡」
今にも蕩けてしまいそうな声に、エミさんは吹き出して笑った。
「1回外でてくれる?エミと話したいことがあるんだ」
「あ、はい!」「ちょ、テシ…」
ニコリと笑った堕天使くんは、後ろの扉を指さした。
1回出て欲しい、という意味だと思ったから、そのまま外に出た。
すると、ドアがしまった瞬間変なうめき声が部屋の中から聞こえた。
(…大丈夫?)
この部屋には堕天使くんとエミさんしかいないから、どちらかから出た声だということはわかる。
でも…。
「沢鷹さん、いいよ」
思っていたより早く堕天使くんの声がした。
少しビビりながら扉を引くと、その向こうではエミさんが腹を抱えてその場に蹲っていた。
一方で堕天使くんは読書の体制へ戻っていた。
「…エミさん、大丈夫ですか?」
ごく一般に、蹲る人がいれば心配するだろう。
けれど、エミさんはキッと私を睨みつけた。
「馴れ馴れしく呼ぶんじゃねーこのクズが」
え?
「ご、ごめんなさい」
突然のクズ呼ばわり。
私は周りにも認められるほどの屈強なるメンタルの持ち主だから、特に傷つきはしないけれど、これは随分酷い対応のではないか?
「エミ」
「…ッチ」
やっぱりエミさんだよね?
名前を間違えた訳でもないのに、何で?
その答えは堕天使くんが教えてくれた。
…読書ながらだけど。
「エミは自分の名前が嫌いなんだよ」
「なるほど」
「ほとんどの人は”ワラシ”って呼んでる」
わ、ら、し。
「笑うに氏名の氏。なんとか氏っていうでしょ?」
「…なるほど」
何となく、エミという名前の漢字を想像できた。
「じゃあ、笑氏さんですね」
「…」
相変わらず睨まれているけれど、その原因が分かった分気が楽だ。
