うそ。確かに持ってきたはずなのに……ない。
スクールバッグの中をもう一度確かめるも、やはりどこにもアレはなかった。
「……どうした? 小橋。早く教科書を出しなさい」
「はい……」
小橋というのは、わたしの苗字なんだけど。
出したくても出せないんですよ、谷山先生。
どうやらわたしは、数学の教科書を家に忘れてきたみたいだ。
どうしよう……。
わたしは、徐々に血の気が引いていくのが分かる。
数学担当の50代後半の谷山先生は、忘れ物にとても厳しいことで有名。
噂で聞いた話だけど、もし生徒が教科書や宿題を忘れてきたりしたら長々と説教される上に、罰としていつもの宿題に加えて課題のプリントを山のように出されるらしい。
ああ、想像するだけでゾッとする。
「何だ? 小橋。もしかしてお前、教科書忘れてきたのか?」
谷山先生の眉が、ピクリと動く。
「……はい。忘れました。すみません」
ここで嘘をついても仕方がないので、わたしは正直に忘れたことを伝える。
「忘れたのか、小橋。忘れたことを素直に認めたことは偉いが、俺いつも忘れ物については厳しく言ってるよな……?」
普段忘れ物なんて滅多にしないのに。もしかしてわたしは、今日の拓斗とのデートに相当浮かれていたのだろうか?
よりによって、忘れ物に人一倍厳しい谷山先生の授業で教科書を忘れるだなんて……終わった。
先生のお説教に覚悟を決め、わたしはギュッと目を閉じる。



