「妖って一纏めに言っても、実は結構な種類がいる。鬼とか天狗とか、はっきりと種族が定まってる奴らもいれば、自然現象とか人間の感じた畏怖に魂が宿ったりした奴らとかね」

「じゃあ竜胆さまは?」

「俺は…多分後者。仲間もいないし、種族としては一人…いや、まあ双子の兄弟がいるにはいるんだけど…」

「えっ、竜胆さまって双子なんですか!?」

「まあ、一応。あいつもこの境内に出入りするから、君には話しておかなくちゃなんだけど」

そう言って、竜胆さまは分かりやすく顔を曇らせた。嫌悪、と呼ぶほどでもないけれど。確かな拒絶と言うか、端的に言えば面倒臭い嫌いって顔をしてる。

「俺さ、今まで何人も人間の女を迎え入れてるでしょ?」

「そうですね。数十年前までは毎年一人決まって村娘が嫁いでたと…」

ひいふうみい、私が指折りと村の文献にあった名前を数えていれば、竜胆さまはやや項垂れた様子で頬杖をついた。

「嫁って言うか…まあそこは今はいいや。それでね、その女全員、あいつのお手つきだから」

「お手つき…え?おて、…え?」

「あいつ、女なら何にでも食指が伸びるクソなんだよね。何時もは遊び歩いてるんだけど、ふらっとここに帰ってきては離れで女に手ぇ出してくの。まあ合意の上では有るんだろうけどさ。で、多分君にもかけてくる…って言うか絶対に声掛けてくるから断固として…」

「今までのお嫁さん全員ってとんだド修羅場じゃないですか!?えちょ、竜胆さま心大丈夫ですか!?」

「…きみ、俺の話聞いてないね?」

「えっ、すみませんちょっと衝撃がデカすぎて…」

て言うか歴代嫁たちが双子の兄弟に取られてて彼もまた良く平然としていられるな?とここでまた妖と人との感性の違いを垣間見た気がした。
だって私だったらブチギレ案件どころの騒ぎじゃない。

「そのどグソ野郎さんってなんか苦手な食べ物とかあります?とりあえず明日の朝塩と一緒に撒いておくんで」

「んと、ピーマン、コーヒー、あと玉ねぎ、だったかな」

「じゃあ特製オリジナルブレンドでも作ります。確かコーヒー豆もあったし!」

取り敢えず毎日撒けば安心ですかね?と聞けば、竜胆さまはそれはもう嬉しそうに笑って。やっぱりお嫁さんを取られ続けたことにショックを覚えていたんだなぁと、私はまだ見ぬ彼の兄弟に淡々と怒りを燃え上がらせた。


「それじゃあ今日はもう遅いですし、おやすみなさいしましょうか。ここは私が片付けちゃうんで。あ、寝室の準備…はしない方がいいですよね、多分母屋だろうし」

母屋は必要時以外は立ち入らないこと。初めに言われた約束を思い出し、布団を敷きに行くかと駆け出そうとした足を止める。
なんだかんだと成り行きのまま母屋で食事をとらせてもらったけど、明日からは自分の分は離れに持って行くことにしよう。

「そんじゃ食器洗いを…?竜胆さま?」

綺麗に平らげた食器を重ねて洗い場へ。私がそうしてパタパタと駆け回っている間、竜胆さまは椅子に腰かけたままピクリとも動かずに私を見つめていることに気がついた。

「どうしました?あ、お茶のおかわりいれましょうか」

「…あの、さ」

「はい?」

かたん、と控えめに引かれた椅子の音。立ち上がった彼は長い足で器用に私との間合いを詰めて、手持ち無沙汰に垂れ下がっていた私の腕に指を添える。
そのままするすると握りこんで、気づけば彼の両手がきゅっと縋るように私の手首を握っていた。

「あの、君は俺のお嫁さん、だよね」

「はい、そうですよ」

「じゃ、じゃあその。…一緒に寝ても、良いってことだよね?」

「…え」

「夫婦、だし。俺も離れで一緒に寝たい。もっと君と話がしたい。君のこと、もっと沢山教えて欲しい。…だめ?」

きゅうっ、と微かに力の込められた指が緊張で震えているのがわかる。ただでさえ冷たかった指先はさらに温度をなくして、垂れ落ちてしまった前髪で彼の顔色を窺うことも出来なくなった。

「竜胆さま…」

「…」

私が名前を呼べば彼の肩が跳ねた。大きな体が丸めこんで、きゅうっと彼の喉がなる。

「竜胆さま、手、離して?」

「…や」

「ちょっとでいいんです。どこにも行かないから、お願い」

一等優しい声色で。安心させるように囁けばゆるゆると指先から力が解けていく。
自由になった両手で彼の前髪をすくいあげ、顕になった震える眼を見据えて、笑った。

「ダメなことなんて何も無いです。そうですよね、夫婦なんですから。貴方だけじゃなく、私の事だってきちんと知ってもらいたい。ここを片付けたら一緒に布団を運びましょう。また案内して貰えますか?」

「ん、うん。ありがとう、あすか」

「はい」

ふわりと破顔した竜胆さまはご機嫌に残った食器を運んできてくれる。渡されたそれの汚れを一心不乱に落としつつ、さてこれはやっちまったぞと私は内心で猛烈な後悔をしていた。
いやだって聞いてないもの。こんなに甘えてくるなんて。

ー第一印象もっと冷徹な感じだったんだけど…。なんかどう接していけば良いのかイマイチ距離を測りかねるなぁ。

夫婦ですから、なんてカッコつけて言った手前、今更すんません緊張するんで嫌ですとか自分いびき酷いんで遠慮しますとかも言えない。だってそんなこと言ったら彼は泣く。多分。

「あすか。洗い終わったお皿拭いてしまってくね」

「あっ、ありがとうございます!」

ニコニコと楽しそうに食器の片付けを手伝われてしまえば否応なく仕事は早く終わる。そしてあっという間に綺麗になった食器たちに、竜胆さまはいそいそと私の手を引いて自室までの案内を買ってでてくれた。

「俺が布団を運ぶから、あすかは枕を持ってくれる?」

「了解です」

「ん、じゃあいこ」

彼の長身に合わせた大きな布団。それをものともせずひょいと持ち上げて、これまた先導するように先を歩く竜胆さまの後をついて行った。

「あすかの暮らす離れは日当たりが一番いいんだ。今時期は花も沢山咲いてるし、空気の匂いも甘くて好き」

「確かにあれだけ沢山の花があれば目だけじゃなくて香りも楽しめそうですね」

「うん。今度一緒に日向ぼっこしよう」

「ふふ、いいですねそれ」

ふわふわとこの先の予定に花を咲かせて渡り廊下を進めば目的の離れは目と鼻の先。襖を開けて明かりをつけ、一先ず竜胆さまの分の布団を畳に置く。
押し入れにある自分の分を引っ張り出せば、ふんわりと洗いたての晴れやかな香りが鼻先をくすぐって抜けていった。

ー布団、干しておいてくれたのかな。

細やかな気遣いに嬉しくなる。私が少しでも過ごしやすいようにと、彼が事前に気を回していてくれたのだろうか。

ー考えすぎかもしれないけど、歓迎されてた、って馬鹿みたいにプラスで受け取った方がお得だしな。

上機嫌で自分の布団を敷いていれば、先に準備の終わっていた竜胆さまが布団の上にあぐらをかいて私をじっと見つめていることに気がついた。
はてどうしたのか、と首を傾げてみても、彼が何か言葉を口にすることは無い。
ただ瞳は何よりも雄弁というか、彼の真っ黒な瞳は私からゆるりと視線を逸らし、布団と布団、私と彼の隙間を不満そうに見下ろしている。

例えるならば人一人分。剥き出しになった畳を睨みつけ、彼の淡い桃色の唇がツンと尖って突き出ていた。

「…あすか」

「はい」

「もっとこっち。くっついて」

「…ですよね?」

ペシペシと自分の布団を叩いた竜胆さまは、私が項垂れて布団をくっつけると満足したのか笑顔になってねっ転ぶ。

「あのですね、私の寝相は非常に危険だと巷では結構有名なんですよ」

「ふぅん。じゃあ抱きしめて寝れば問題ないね?」

「えっ、いやちょっ、そういう問題じゃ…っていたいいたいマジでまた息できてないですんむーーっ!」

問答無用で竜胆さまの布団の中へと引きずり込まれ、背中に回された長い腕に流石の私も胸が跳ねる。
ちょっと、と赤くなった顔と鼻頭で抗議するように上を向けばしてやったりなしたり顔。しかし直ぐにそんな竜胆さまの顔は不機嫌に曇って、擦り寄るように距離を詰めた彼のまつ毛が私の額を柔らかく擽る。

「…ねえ。なんで君の寝相を皆が知ってるの?巷って、村のみんなってこと?」

「いやそれは流石に誇張表現ですけど…。でもあれだけ小さな村ですし、みんながみんな家族というか、友達の家でお泊まり会なんてしょっちゅうでしたから」

「男も?」

「男子は年齢と共に自然としなくなりましたけど…」

「けど?」

くっ、耳聡く聞きつけやがったか、と私が冷や汗をかいたのも束の間。正直に言うべきかと口をまごつかせる私に痺れを切らした竜胆さまが、あろう事かかぷかぷと私の指を噛み始める。

「ちょっ、竜胆さま…っ!」

「…んぅ」

早く言え。もう目が全力でそう訴えてる。
なんでこんな浮気を言及されるみたいなことされてるんだろう…とも思ったけど。一応私たちは夫婦であったことを思い出してしまった。あれ、これ私が悪いの?

「ひとり!一人だけ!幼馴染の子だけは、おっきくなってもたまにお泊まりしてました」

「…んぢゅっ!」

「いったい!!!」

ええいままよと私が言い切ったその瞬間、不機嫌をそのままに私の手首へ噛み付いた彼は勢いよく皮膚に吸い付いて真っ赤なアザを残す。

「うわ真っ赤…つか黒…グロ…。竜胆さまこれ消してください火傷の時みたいに!」

「やだ」

「やだってなんですか!!」

ぷんっと頬をふくらませた彼はグリグリと私に頭をぶつけ、片や私はグロ注意の付いた手首を労わるように優しく撫でる。可哀想、私の手首。

「なんて名前なのそいつ」

「え…なんでそんなこと聞くんですか?」

「べ、つに」

「まさか小突きに行ったりしませんよね?言っときますけどただの友達ですよ?お泊まりだって嫁入り前の話です」

「…だって、こうして一緒の布団で君の事こんなに間近で観られたって思うとムカつくんだもん」

「ははっ、流石に抱きしめられて寝たことは無いですよ」

「一緒の布団では寝たんだね?」

「あヤベっ」

もうこれまでに無いほど痛い視線が私のつむじに突き刺さってる。多分十円玉ハゲが出来るくらいの威力だ。

「ま、まあいいじゃないですか!過去のことは!それにこの先一年間私は村に戻れませんし、幼なじみに会う心配もないですよ!」

「えっ、あー、うん。…そう、だね。戻れない、戻れない…」

「ちょっとその反応ってひょっとしなくても戻れますね?え?嘘でしょ?」

「…戻れる、ます」

渋々ながらに告げられた事実に私はもうびっくら仰天だ。だって、え?今までのお嫁さんたちも村との交流は文だけだったって、帰ってきたのはきっちり一年後だって言ってたよね?

「戻れちゃうんですか…?」

「まあ、条件と期限付き、だけど。戻れないこともないよ」

「そうだったんですか…」

「なに、あすかは村に戻りたいの」

ぎゅうっと私を抱きしめる腕に力が入る。戻るなよ、なんて全身でお願いしてるくせに、口調はどこまでも不器用な彼が何だかおかしくて、私には少しだけ可愛く見えてしまった。

「そうですねぇ…」

きゅ、と控えめに大きな背中へ手を伸ばす。驚きに揺れた体を抱きしめ、にしっ、と悪戯っぽく歯を見せて笑った。

「この神社の中と外をめいいっぱい綺麗にして、次いでにお庭も華やかにして。それから竜胆さまの好物を沢山作って…あ、日向ぼっこにお弁当を用意するのもいいですね!後は忘れちゃいけない特製ブレンド!これはまあ明日の朝から毎日外に撒くっていう日課になりますけど、とにかくここで沢山のことをして、思い出も作って。それでも、どうしても寂しいって思ってしまった時だけは、竜胆さまと一緒に村へ行きたいです」

「…俺と、”行く”の?」

「はい。二人で村に。それでまた二人でここに”帰って”きましょう。ね?」

きっと彼は、ずっと寂しかったのだろう。これだけ広い場所で、一人で生きていくことが。
もしかしたら嫁取りも、その孤独が関係しているのかもしれない。
ならば今のお嫁さんである私が彼の傍にいるのは当然のこと…

ーいや。

「私が、竜胆さまの傍に居たいんです」


貴方のこと、もっと知りたいと思ってしまったから。