ランゲ伯爵邸の庭には、様々な花が咲き誇る。
 必ず一つは屋敷にいる者の好きな花が植わっているのだ。
 その為色々な花があるが、雑然とはしていない。皆の希望を聞きながら、魅せる庭作りをする事は、庭師にとってやりがいがあるのだ。

 そんな色とりどりの花々に埋もれそうな中、小さな白い花が庭師と主によって大切にされていた。
 庭を管理する彼だけが知る、主の愛の証だ。


「今日も花がきれい……。いつもありがとう」

 伯爵邸の奥方であるカトリーナは執務の休憩時に庭に出て花を愛でるのが好きだった。
 庭師は作業の手を止め一礼するが、カトリーナはお礼を言うと笑顔で作業を促した。

 執務の合間の短い時間の気分転換として庭を訪れ、触れ合い、香りを堪能する。
 時折外で遊ぶ子どもたちと話しながら、休憩を楽しんでいた。
 その姿を見るのも、使用人たちには癒やしとなっていた。


「…あら、この花は……」

 傍らにひっそりと咲く、白い花。
 庭師はその花を見つけられ、一瞬どきりとした。

 見つかって嬉しいような、見つかって欲しくなかったような。
 だがそんな庭師を横に、カトリーナはしゃがみ花に触れた。

「……この花、どこかで…」

 自分はおそらくこの花を知っている。
 けれど記憶を辿ってみても、触れた記憶は見当たらない。

「ねえ、あなた、この花……」

「カトリーナ、ここだったのか」

 庭師に花の事を聞こうとして顔を上げると愛しい夫が近付いて来た。

「ディートリヒさま」

 花も霞むような笑顔で、夫に応える。
 ディートリヒはカトリーナのそばに来ると、自然な動作で額に口付けた。

「もうっ、庭師の方が見てますわよっ」

「照れる君も可愛いよ」

「なっ、も、っ、!」

 顔を赤くして夫の胸をどんどん叩いてもびくともしないのがカトリーナは癪に障った。
 結局いつもこうして愛を惜しみなく与えられ、翻弄されてしまうのが悔しい。
 与えられた分はせめて返したいのに、返したら返した以上にまた返って来るのだ。
 いつも勝てない、と思ってしまうが、嬉しさを隠せないのもまた事実で。

「そう言えば、何の御用ですの?」

 照れを誤魔化すために話題を変えた。

「用、って訳では無いが君の姿が見えなかったから気になって」

「私は子どもではありませんのよ」

「ああ、俺の大切な奥さんだ」

「ま、また、そう言う……むぅ…」

 ディートリヒは拗ねた妻を抱き寄せた。
 結婚から何年経過しても妻への愛は変わらない。むしろ増える一方で。
 いつまでも可愛く愛しい妻を己の腕に閉じ込める。

 閉じ込められたカトリーナも、嬉しそうにはにかみ、夫に擦り寄ると、二人だけの世界が出来上がるのだ。


 だがカトリーナは、はた、と思い出した。

「ディートリヒさま」

「なんだい?」

「ディートリヒさまはご存知ですか?」

「うん?」

 するりと夫の腕から抜け出すと、カトリーナは先程の白い花を指した。

「この花、見覚えがある気がするのですが、誰の希望で植えたのかな、って」

 指された花を見て、ディートリヒは一瞬たじろいだ。
 彼にとってこの花はある意味特別だったからだ。

「……この花は元々ここに植えられていたんだ」

 懐かしむように、慈しむように。
 だが少しばかり寂しげに。
 ディートリヒは視線を花に向ける。

 カトリーナはその瞳がどこか遠くを見ているようで、きゅっと胸が痛んだ。
 まるで愛しい女性を思い出しているかのような表情に、少しばかりの嫉妬が湧き起こる。

 ディートリヒはしゃがみ、花を一輪手折る。
 再び立ち上がると、カトリーナの髪に差した。

「…よく似合っているよ」

 最愛の夫からそう言われたカトリーナは、目を見開いた。

 ふと感じたデジャヴ。
 自分は、このやり取りを()()()()()

 途端に風が二人を撫でた。


 みるみるうちにカトリーナの瞳に涙が溜まっていく。
 その様子にディートリヒはぎょっとした。

「ど、どうした?目にゴミでも入ったのか!?」

 慌てる夫の手を、カトリーナは自分の頬に当てた。

「私、この花、好きです。記憶が無くて心細かった時に、あなたから貰った、この花が」

 ぽろりと目尻から頬へ伝い、ディートリヒの手を濡らす。
 今度は彼が驚く番だった。

「あなたは、変わらないのね……。
 記憶が無くても、記憶が戻っても、私を、愛してくれて、た…っ」

 カトリーナは堪らず夫の背中に手を回した。

「カトリーナ……」

「ありがとう、私、あなたに出逢えて、良かった。あなたに愛されて、良かった」

 夫の胸に顔を埋め、カトリーナは言葉を紡ぐ。

「俺の、方こそ。ありがとう、カトリーナ」

 ぎゅっと、妻を掻き抱く。
 こうして自分が幸せであれるのは、カトリーナがいるからだ、と。

 ディートリヒとカトリーナはいつの間にかそっと退席した庭師にも気付かず、ずっと抱き締め合っていた。




 あの日、婚約破棄から始まった二人の縁。
 記憶が戻っても、例え戻らなくても。


 二人の愛は変わらず続くのでした。