ジークハルトが産まれて一年が経過した。
 穏やかな季節が訪れ、庭でお茶をする事も増えた。

「そろそろ結婚式を挙げようか」

 ディートリヒの言葉に、カトリーナは目を見張る。
 頬を染めて微かに頷くと、ディートリヒは目を細めた。


 とても平和な日々が続いていた。
 最近は情勢も安定し、騎士団も鍛錬は怠らないが実践する場も無い。
 たまに実働しても街の小競り合いを諌める程度。数年前に戦争していたなど、忘れるくらいの平和な日常だった。

 ランゲ伯爵家に誕生した嫡男ジークハルトは無事初誕生を迎え、伯爵邸に来る者を魅了し空気を和ませる存在となっている。
 暫くは母の手でなければ泣きやまなかった坊やは、最近では乳母や使用人にも人見知りする事なく愛想を振りまくアイドル的存在となっていた。
 たまに帰って来るオスヴァルトは殊更ジークハルトを可愛がった。
 オスヴァルトも寄宿学校を卒業し、無事王国騎士団に入団した。
 今はディートリヒの後輩であるフランツ・ドーレスの下に付き訓練を重ねている。

 そんな日常の穏やかな日が続いていた。
 挙式するなら今だろう、と数日前からディートリヒは考えてた為カトリーナに打診したのだ。

「衣装とか作るから早くて半年くらい先にはなるけど、今が良いタイミングだろう。
 ……その先は、ジークの……その、弟か妹ができたらまたできなくなるしな」

「そ、そう、ですね」

 ゴニョゴニョと照れながら言われれば、カトリーナも顔を赤くするしかない。
 ジークハルトの時は割とすんなり授かったが、二人目は産後一年経過しても宿る気配は無い。
 もし再び宿ればまたタイミング的に難しくなる為、挙式までは避妊して備えることにした。


 結婚式を挙げると決めたら行動は早かった。

 まずカトリーナの父であるオールディス公爵に報告すると、公爵が休暇申請を出した時に国王とヴィルヘルムに情報が漏れた。
 何としても式に参列したい国王と、仕事が滞るから無理だと公爵が言い争ううちに王宮内に広まり、結局親しい者のみで挙げようとしていた式は、王家御用達の大聖堂を貸切った盛大なものになった。

「娘同然のカトリーナと英雄の式だからな。
 それに……王家が英雄を軽んじた償いでもある。そなたの噂を止められず申し訳無い」

 国王に頭を下げられ、ディートリヒはぎょっとした。

「お気になさらず。頭をお上げ下さい。
 私とて噂を止めずにそのままにしておりました。正直、分かってほしい人に分かってもらえればそれで構わないのです」

 そう言えるようになったのは、隣で微笑む妻がいてくれるから。
 二人が見つめ合うその姿を見て、国王は安堵した。

「幸せになりなさい」

 国王に言われ、二人は笑顔で一礼した。


 母親のいないカトリーナには、王妃が付き添って準備した。

「カトリーナ、貴女にいつか謝らなくてはいけないと思っていたの。デーヴィドの事、ごめんなさいね……。
 それからランゲ伯爵の件も、社交界での噂を止められなくて……」

 王妃から謝罪され、カトリーナは慌てて止めた。

「王妃様、謝らないで下さいませ。デーヴィド様の件は、もう気にしていません。
 ディートリヒ様の事は私も同罪です。
 そ、それに……私も旦那様も今は幸せにしておりますから」

 照れながら言うと、王妃は目を細めた。
 カトリーナの姿が在りし日の親友を思わせたからだ。

(マリアンヌ……、貴女の娘は素敵に成長したわ……)

 きっと、一番見たかったのは彼女に違いない、と王妃は思った。だから、彼女の代わりに、しっかりと準備をしようと決意したのだ。

「式が成功するよう、助力するわね」

「ありがとうございます」

「娘がいないから楽しみだわ」

 ふふ、と微笑まれると、カトリーナは照れくさくなった。

「わ、私も、楽しい……ですわ」

 顔を赤くし俯くと王妃は目を丸くして「可愛いわ!」と抱き締めた。
 その眦には、薄く涙が浮かんでいた。


 そんな中、カトリーナは父である公爵から呼び出され実家に出向いた。

「マリアンヌが着た物なんだ。傷みは無いからどうかな、って」

 それはカトリーナがまだ幼い頃に亡くなった母親が、自分の結婚式に着たドレスだった。
 両親の成婚から20年以上は優に経っているはずのそれは、型こそ古くなっているが新品と遜色ないもので、一目で大切に保管されていたと分かった。

「……良いのですか?」

「ああ、娘の式に使われるならマリアンヌもきっと喜ぶ」

 オールディス公爵は当時を懐かしむように目を細めた。
 彼の脳裏には今でも愛する妻の姿がある。
 きっと彼女も娘の結婚式を楽しみにしていただろうと思うと、少し目が潤んだ。

「ありがとうございます。このドレスをアレンジして着ます」

「……うん。楽しみにしているよ」

 そう言って公爵は少し鼻をすすった。



「当日のメイクは私たちに任せて」

 そう進言したのは、マダムリグレットの宣伝担当のフィーネだった。

「フィーネ様、ありがとうございます」

「マリアンヌ様の時も任せてもらったのよ。
 ……その娘もだなんて、……やだわ、ごめんなさいね」

 フィーネは眦からぽろぽろと雫を溢した。

「マリアンヌ様もきっと見てくれていると思うわ」


 カトリーナは、改めて母の存在を感じていた。
 三歳の時に亡くなってしまった母だが、当時の記憶は自分には無くても、こうして母を知る人達が忘れずにいてくれる事が嬉しかった。

 その娘の結婚式に、母を知る人達が協力してくれる事は、カトリーナが母の愛を感じる瞬間だったのだ。

(お母様……。……産んで下さりありがとうございます)


『おめでとう、カトリーナ。幸せになるのよ』


 空を見上げれば、優しく懐かしい声が聞こえた気がした。