その日、ランゲ伯爵邸執事のハリーは主に持って行く手紙を仕分けしていてふと手を止めた。
 差出人の名前に目を細め、昔を懐かしむ。

 それは、他国へ嫁いだディートリヒの姉ヴァーレリーが帰国するという知らせだった。

 カトリーナとヴァーレリーは勿論面識は無い。
 産後半年は経過していて、カトリーナの体調も問題無いが初対面の為気を使うだろうと心配だった。

 だが、ディートリヒの姉が来る事を伝えると
「ディートリヒ様のお姉さまならお会いしたいわ。色々お話も聞きたいし」
 とカトリーナが言うので、他でもない妻の頼みなら、と渋々了承した。
 ただし、屋敷への滞在は遠慮して貰い、宿を取る事で迎える事にしたのだ。


『あと一週間で到着する』

 姉の手紙の内容はそれだけ。
 カトリーナは緊張しつつ、わくわくしながらおもてなしの準備をしていた。


 一週間はあっという間に過ぎて、いよいよヴァーレリーが来る日。
 ディートリヒは休日を貰って出迎える事にした。

「姉上が嫁いでから数える程しか会ってないな……。俺も騎士団の遠征とかあるし弟は寄宿舎だし、両親がいないと余計に帰国する気にもなれないんだろう。けど、ある時突然帰って来る。今回もそれが理由だろう」

 弟二人が騎士の為帰国してもすれ違う可能性が高い。それゆえ滅多な事では帰国しない彼女が来る時は理由があるとディートリヒは言う。
 カトリーナは疑問に思いながらも特に聞きはしなかった。


 昼過ぎ、一台の馬車がカラカラと音を立てて玄関に到着すると、中から女性が出て来た。

「久しぶりね」

 目を細め、たおやかな笑みをたたえるその女性に、カトリーナは見惚れていた。

「姉上、お久しぶりです。お変わり無いようで何よりです」

 まずは姉弟が軽く挨拶を交わすと、ディートリヒはカトリーナを見た。

「姉上、紹介します。私の妻のカトリーナです」

 ぽやんと見惚れたままだったカトリーナは、夫の言葉で我に返った。

「あっ……は、初めまして、カトリーナと申します。ようこそお出で下さいました」

 ドレスを摘み優雅にお辞儀をすると、ヴァーレリーも腰を落とした。

「よろしくね。姉のヴァーレリーよ。……ディートリヒやるじゃない。すっごく可愛いお嫁さんね」

 弟ににっこり微笑みかけると、ディートリヒは頬を掻いた。

「皆様、立ち話もなんですから中へどうぞ」

 執事に促され、三人は屋敷の中へ入っていった。


 応接間に案内された姉は今回の訪問の目的である甥っ子に初対面した。
 乳母から受け取り、腕に抱くと自然と顔が綻んだ。

「ふふ、ディートリヒそっくり……」

 両手をしっかり握りしめ、すやすや眠る赤子は黒髪翠眼とディートリヒの特徴を受け継いでいる。それはランゲ伯爵家に伝わる代々の色合い。

「ディートリヒ様のように騎士になりそうですね」

 ふふ、と笑う義妹に、ヴァーレリーも目を細める。

「男どもの憧れなのかしらね。あなたには心配かけるわね……」

「いつか、ディートリヒ様の訓練風景を拝見しましたが、いきいきとしてらっしゃいました。すごく、カッコよくて……。
 だからディートリヒ様が騎士を続けるなら支えたいと思っています」

 瞳をきらきらさせ、頬を染めて語る義妹にヴァーレリーはつい表情を綻ばせた。それからジークハルトを乳母に預け、紅茶を一口含む。

「あの子が騎士を目指した理由をご存知?」

「机仕事が苦手だから、でしょうか?」

 その言葉にヴァーレリーは目を丸くし、口元に手を当ててふふふ、と笑った。

「元々は絵本がきっかけらしいわ。
 その絵本ではね、お姫様を庇って騎士が倒れてしまうの。その時お姫様はとても悲しむんだけど。
『自分ならお姫様を悲しませないのに』って言ったのが始まりね」

 その絵本の内容にカトリーナは心当たりがあった。公爵邸にあり、侍女から読んでもらった記憶もある。
 結局騎士は亡くなり、お姫様は慰めてくれた王子様と結ばれるのだ。
 なんだか悲しくなった思い出の本だった。

「物語の騎士は残念な結果だけど、……きっとあの子は死なないでしょうね。あなたと、可愛い息子の為に」

 ヴァーレリーはふふふ、と笑い、すやすやと眠るジークハルトに目を向けた。

「……両親が亡くなって、顔の傷が元で婚約まで無くなってしまって。あの子はあまりいい状態じゃ無かったから心配してたの。私が国に帰らずここにいると言っても『大丈夫だから』と笑って送り出してくれたわ。だから、誰か支えてくれる人ができたら、と願っていたの」

 ヴァーレリーはあの日を思い返すように目を閉じる。
 弟の顔の傷は癒えるが、心の傷が癒える事はあるだろうか。
 いつか、その傷を全て受け止めてくれるパートナーに巡り合えたらいいと、そう思っていた。
 ヴァーレリーの訪問の目的は甥っ子ではあったが、第一は弟の伴侶を見極めたかったから、も理由の一つだった。

 だがそれは姉のお節介だとすぐに気付いた。

「……二人で何の話をしていたんですか」

 応接間に入る前、侍従に呼び止められ席を外していたディートリヒが戻って来た。

「何でもないわよ。貴方が結婚して、子どもも産まれて、伯爵家は安泰ね、って話してただけ」

「カトリーナにいらない事を吹き込まないで下さいよ」

「あらやだ、いらない事って何かしら?
 勉強に躓いて旅に出た事?それとも」

「姉上、それ以上は口を慎んで下さい」

 姉弟の気兼ね無いやり取りは、カトリーナの中で新鮮だった。
 独りっ子のカトリーナには兄弟姉妹はいない。
 こういう砕けた会話は憧れがあった。
 目の前で繰り広げられる会話を、微笑ましく見ていたが、そんなカトリーナの様子に気付いた二人は気まずそうに口を閉じた。

「仲よろしいんですね」

「2つ上だからな。それこそ競い合うような関係だったよ」

「私、ずっと独りだったからうらやましいです」

 カトリーナがあまりにもにこにこして言うので、ディートリヒは思わず抱き締めた。

「これからは独りにしないから」

「……はい、だんなさま……」

「ちょっとー、お二人ー?私がいるんですからねー?」

 危うく二人の世界に浸りかけたと、ばっと身体を離すが既に時遅しだった。
 人目もはばからずいちゃいちゃする二人に、ヴァーレリーは呆れた顔を寄越す。

「はぁ、全くこっちは家出して来たって言うのに」

「あ、そう言えば義兄(あに)上がもうすぐこちらに来るそうですよ」

「はぁ!?」

 ヴァーレリーの訪問の目的はもう一つあった。こちらが本命といったほうが正しいか。

「姉上が来ると分かった時点で速達を出しました。案の定すぐ来ると返事がありましたよ」

 しれっとティーカップを傾ける弟に、ヴァーレリーはワナワナと口を震わせた。
 そこへ執事の声と共に扉をノックする音が響く。

「失礼致します。旦那様、ヴァーレリー様にお客様でございます」

「お通ししてくれ」

「ちょっ!?」

 慌てるヴァーレリーと落ち着いているディートリヒの対比を、カトリーナはわくわくしながら見ていた。

「ヴァリー!!会いたかったよ!あの事は誤解なんだ!君がいないと僕の夜は明けない!帰って来ておくれ!!」

 ばたんと扉を勢い良く開けて入って来たのは、ヴァーレリーの夫だった。

「あなた……よくもぬけぬけと妻の実家に来ましたわね!?あら?今日はその腕に絡ませてませんの?あの娘を」

「あれは勝手にまとわりついてきただけなんだ!決して浮気などでは!!」

「へえええ、よく言いますわ。鼻の下デレッデレにのばしてたのはどちら様でしたかしら?」

「僕の鼻の下はそんなに長くないよ!ああ、ヴァリー、君以外に目を向ける暇なんて僕には無いんだ。さぁ帰ろう。子ども達も待ってるよ」

 カトリーナは目の前で繰り広げられる劇のような展開にぽかんと見入っていた。
 が、ディートリヒにとんとんと叩かれ、二人は息子を抱いてそっと応接間から出た。


「……お義姉(ねえ)様の旦那様って、情熱的な方なんですね」

 目をキラキラさせながら先程の様子を思い返す。まるで演劇のようだとわくわくしながら見てしまった。情熱的な二人はさながら物語の主人公のようだった、とうっとりしてしまう。

「姉上が帰って来る理由はほぼ義兄上絡みだよ。まぁ、ジークを見たかったのもあるかもしれないけど」

 やれやれと言ったようにディートリヒはカトリーナとジークハルトと共に自室へ下がる事にした。
 ヴァーレリー達は喧嘩したあと結局いちゃいちゃするからだ。
 それなら帰って来ずに喧嘩すればいいのに、と言い出せないのは弟の本能か。


 その後ヴァーレリーと夫は、連れ立って伯爵邸をあとにした。彼女がとってある宿に泊まるらしい。

「もっとお義姉様とお話したかったですわ」

 ぷくりとむくれる妻を愛おしいと思う反面、ディートリヒの胸中は複雑だった。

「まぁ、年に何回かはああしてやって来るから……そのときにでも」

 ディートリヒは苦笑しながら愛しい妻を抱き締めた。


 ディートリヒの姉は、愛しの旦那様といちゃいちゃしながら帰国して行った。
 カトリーナの中で、義姉は「嵐のような人」となった。