「という夢だったんじゃないかと思ったんだが、夢じゃないんだな」
少しずつ出てきたお腹に頬を寄せ、ディートリヒは胎動を待っていた。
時折ぽこり、と動くお腹につい顔が緩んでしまう。
公爵邸から帰って来て、じわじわと実感が湧いたディートリヒはすぐさま使用人達に通達し、その日は屋敷上げての宴会となった。
ある者は泣いて喜び、ある者は歌い、カトリーナの懐妊を祝った。
翌日仕事帰りのディートリヒは、寄り道して買ったという赤ちゃん用の服やおもちゃを馬車いっぱいになるくらい持ち帰り、使用人に驚かれ、カトリーナに呆れられた。
「まだどちらか分からないのに、こんなに沢山買ってどうするんですか!」
カトリーナに怒られてしゅん、となったディートリヒだった。
それから実感すると身体が反応するのか、悪阻が始まりディートリヒはおろおろするしかなかった。
朝、目覚めと共に襲って来る吐き気に耐える妻の背を擦り、食べやすく切った果物を口に運ぶ。
少しでも辛そうにしている姿を見ると心配そうにするので、ディートリヒの乳母を務めていた侍女長も、頼りない主に代わりカトリーナを支えた。
悪阻も4ヶ月を過ぎた頃には収まり、今度は「好きなものを食べろ」と沢山食べさせようとするディートリヒだったので、使用人一同に怒られる様もあった。
親戚には安定期に入ってから報告した。
とはいえオールディス公爵家は既に知っていたし、ディートリヒも一番に知らせたい両親は既に鬼籍の為、安定してから墓前に報告した。
「そう言えばディートリヒ様のご家族の事聞いてませんでした……」
記憶喪失の時、一度は話した事はあるが今のカトリーナは覚えていない。
その事に気付きディートリヒは少しばかり寂しくなった。
「姉と弟がいるよ。姉は他国に嫁いで行ったし、弟は騎士団の寄宿舎に入ってるから年に何回会うかな、くらいだ」
「寂しくはありませんか?」
上目遣いで見てくるカトリーナは、何気なく聞いてくるが、ディートリヒは息を飲んだ。
(記憶が戻っても、君は変わらないな……)
「ああ……。使用人たちもいるし、今は。
……君と、お腹の子もいるからね。寂しくはないよ」
「そっ、そうですわね。私がいるからには寂しいなんて言ってる暇はありませんからね」
言いながらカトリーナは嬉しそうにはにかむ。
きっとこれから家族が増えて賑やかになりそうだ、と未来に希望も見えてくるのが嬉しかった。
「でも、いつかはお義姉様と義弟さんにお会いしたいですね」
「……そうだな。二人ともちょっと個性的ではあるが、悪い人では無いと思うから君も仲良くしてくれたら嬉しい」
「お任せください!社交は貴族夫人の務めですもの。……まあ、今は、社交はお休みなんですが」
「そう言えば、王城主催の夜会の招待状が来ていたよ。そこから社交も再開すれば良いよ」
王城主催の夜会は、全貴族出席しなければならないものだ。
カトリーナは結婚して以来、社交界からは遠くなっていた。
「うまく、できるでしょうか」
不安で表情が固くなるカトリーナだったが、社交は貴族夫人の大事な仕事。逃げるわけにはいかないのだ、と自分に言い聞かせる。
「そうだな……。騎士団長に相談してみよう。
団長も夫人と参加するだろうから」
「騎士団長……ディアドーレ侯爵様ですね。夫の上司ですからしっかり挨拶しないといけませんね」
まずやる事ができた、とカトリーナは気合を入れる。
今までの交流は途絶えても、ゼロから始めれば良い。そのきっかけを夫に貰えたなら、あとは自分が頑張るだけだ、と切り替えた。
そんな妻をディートリヒは眩しそうに見つめた。
辛い事があっても、道が塞がっているように見えても、カトリーナは己を鼓舞し常に上を向いていた。
そんな彼女に惹かれたのだと、改めて感じたのだ。
記憶が無い時も、戻っても、彼女の本質は変わらないのだと、ディートリヒは嬉しくなった。
「…………カトリーナ」
「どうしました?」
ディートリヒは跪き、カトリーナを見上げた。
「カトリーナ・オールディス公爵令嬢。私は一生、貴女を守り、愛する事を貴女に誓います。
どうか私と結婚してください」
そうして懐から取り出したのは指輪だった。
きっかけは王太子の命令で仕方無く結ばれた婚姻だったが、ディートリヒからすれば僥倖だった。
今は結婚して子どももお腹に宿ってくれた。
だが、カトリーナにはきちんとプロポーズをしたかったのだ。
跪いたディートリヒをきょとんと眺めていたカトリーナは、やがて眦に涙を溜めた。
「も、もう、だんなさま、私たち、結婚してる、……のに……」
「王太子殿下の命令で結婚した、では無く、君を望んで結婚したんだ。という事にしたいんだ。
……カトリーナ、返事を」
「もちろん、喜んで!末永く、よろしくお願いしますわ」
カトリーナは瞳から溢れる涙を指で拭った。
ディートリヒは笑顔で応えるカトリーナの左の薬指に、キラリと光る指輪を着ける。その指輪に口付けた。
「子どもが産まれて落ち着いたら結婚式も挙げよう」
「……はい」
今、自分は間違い無く幸せだと胸を張って言える。
隣に立つのがこの人で良かったと、カトリーナは笑顔で夫を見上げた。
気付けば、望まぬ婚姻をした日から一年以上が経過していた。