「クッソ……クッソ、クッソクッソクッソ、くそぅ!!」

 王宮侍医から手当を受けたデーヴィドは、あまりの憤怒に机をガン!と拳で打ち付けた。

 ディートリヒにやられた傷は鼻が折れ、前歯も数本折れていた。

「やぁっだぁ、デーヴィド、ただの醜悪伯爵に負けたのぉ?」

 いつもなら愛しいシャーロットの声さえ今のデーヴィドには鼻について仕方がない。
 とめどなくあふれる怒りの持って行き場が無く、結局デーヴィドは机をガンガン叩くしかなかった。


 あの日の騒ぎを聞きつけた国王は、デーヴィドを謁見の間に呼び付けた。
 その場には王妃フローラは勿論、第二王子であるヴィルヘルムもいた。

 ディートリヒは救護室を出た後そのまま副団長権限を使用し、国王への謁見を願い出た。
 理由は王太子への暴力だ。
 あの場では妻を守る為怒りに我を忘れかけていたが冷静さを取り戻した彼は重く受け止め騎士団を辞そうと考えた。

 だが事情を聞いた国王は、息子の行いを詫びた。
 婚約破棄をした相手に執務をさせる為だけに呼び付け、暴行を加えようとするなど、いくら王族と言えど看過できなかったのだ。
 ディートリヒへは今まで通り王国を守る様伝え、実質咎め無しとなった。

「お前はカトリーナを何だと思っているんだ。彼女はもうお前の婚約者ではない。ランゲ伯爵夫人だ。一介の貴族夫人を私用で呼びつけ、王族の執務を代行させようとしただけで無くあまつさえ暴行するなど……」

 玉座の肘掛けに置いた拳を、強く握り締めた国王は我が息子の不甲斐なさに怒りを隠せないでいた。

「あなたがそんな事をするなんて……亡くなったマリアンヌに申し訳がたたないわ」

 王妃であるフローラも、我が子のあまりの情けなさに深くため息を吐いた。

「そんな身勝手な奴を王太子に据えておくわけにはいかん。お前など……」

 この時国王は迷った。
 様々な事をしでかしたとはいえ、愛する妻との間にできた我が子はやはり可愛かった。
 ここで怒りに任せて決定してしまっても良いのかと、迷いが生じたのだ。

 その隙をデーヴィドは見逃さなかった。

「カトリーナ、カトリーナ、カトリーナ」

「!?」

「カトリーナ、カトリーナ……、ずっと、父上も母上もカトリーナの事ばかり。
 親友の子だから……。
 実の息子以上にカトリーナを気に掛ける」

 顔を下げていたデーヴィドは、ゆっくりと自身の両親を見据えた。

「元々私の婚約は私の意思ではありませんでした。父上も母上も、私の意見よりカトリーナの意見を重視なさる。
 そんなにあの女が大事なら、養女にでもなされば良ろしかったのです!
 王家の血筋を引いた由緒正しき公爵家の娘ではありませんか」

 それはデーヴィドが幼い頃から少しずつ溜まった不満が爆発した瞬間だった。

「何一つ、私の思い通りにならない。何一つ、私の意見を聞かない。唯一欲したシャーロットを婚約者に据えることすら反対なさる。
 ……あなた方は、いつもカトリーナを優先させる」

 その言葉に、国王と王妃は息を呑んだ。
 実母が亡くなったから、実父が多忙で孤独だから。その理由ばかり見て、実の息子を放っておいたという認識が無かった。

 デーヴィドは幼い頃から聞き分けが良く、面倒見良い王子だった。
 だから。
 このように反抗するなど、二人の間で初めての事であったのだ。


「……すまない、デーヴィド。だが、カトリーナにこれ以降は関わるな。お前の命に関わる」

 力無く、国王ユリウスは答えた。

「二度と関わりませんよ、あんな女。……但し、シャーロットとの婚約は認めて頂けますよね」

「それは……」

「私は今まで散々我慢してきました。一つくらいお認め下さっても良いのでは?」

 ユリウスとて父親である。できれば息子の願いを叶えてやりたい気持ちはあった。
 だが、シャーロットは男爵家の養女となって日が浅いせいか、貴族としてのマナーがなっていない。
 それはデーヴィドの不貞発覚後から調査をし報告を得ていた。
 シャーロットとの婚約を認めるとなればゆくゆくは王太子妃、果ては王妃となる。
 だから国の行く末を考えれば簡単には頷けない事だった。

 考えあぐねていた国王に、それまで状況を黙って見ていたヴィルヘルムが手を挙げた。

「父上、認めて差し上げてはいかがですか」

「ヴィルヘルム!?」

 驚きのあまり声を響かせた国王とは裏腹に、弟の意外な発言に、デーヴィドは胡乱げに見やった。

「仮として婚約してから王太子妃教育を男爵令嬢に施し、会得できれば婚姻を認めるという事にしてはいかがでしょう」

「だが、しかし……」

「何事もやらないままでは兄上も納得しないでしょう。うまくいけば、もしかしたら今までに無い王妃になるやもしれません」

 淡々と無表情に語る弟をどこか不気味に思いながらもデーヴィドはその意見に頷いた。

「そうです父上。シャーロットは他の貴族とは違う目線を持っています。王国に新しい風を吹かせることができるでしょう」

 重い沈黙が流れ、やがて国王は重く長い溜息を吐いた。

「これが最後だ。失敗は許さぬ。令嬢の教育はお前に任せる。見事成し遂げてみせよ」

 その言葉にデーヴィドは頭を垂れた。



「シャーロット、王太子妃になれるぞ」

「えっ、本当?」

 先程決まったばかりの事柄をデーヴィドはシャーロットに伝えた。

「……わかったわ。私、頑張るわね」

 はにかむように、うっとりとシャーロットは答えた。
 その様子にデーヴィドら愛しさを感じ彼女を抱き寄せ口付けた。

「んっ……、デーヴィド、私これから勉強に集中したいから、教育が終わるまで行為は無しにしましょう」

 唇が離れ、シャーロットはデーヴィドがその先に進もうとしたのを止めた。

「なぜだ?俺は今すぐにでも君が欲しいのに」

「ご褒美にするの。教育が終われば沢山愛し合いましょう」

 そう言って、頬に口付けた。
 〝ご褒美〟
 散々シャーロットを貪ってきたデーヴィドだが、それを敢えてご褒美にして頑張るというシャーロットにいじらしさを感じた。

「分かったよ。応援してるよ」

 デーヴィドは額に口付け、再び抱き寄せた。


 この時のデーヴィドは、巻き返せると思っていた。
 初めて己が選んだ女性を妻にして幸せになれると信じていた。

 だが、愛しい人を抱き締め胸に埋めた彼は知らない。
 彼女の冷めた瞳に。

 その本性に。


 そして、両親や弟が水面下で動き出している事に気付いてはいなかった。