「……殿下よ。結婚式翌日の朝に、妻を置いて出てきたのかね?」

穏やかな空気は一変。ローレンスの背後から沸き上がってくる黒い何かが見えたリアンは息を呑んだ。

「ご、誤解です! ディアは寝起きだったので覚えているのかわかりませんが、おはようと声をかけてから散歩にっ…」

「散歩? 妻を置いて? 結婚式の翌日に?」

リアンは慌てて言い訳をしたが、常日頃から美女を口説きまくっているローレンスに口で敵うはずはなく、壁際へと追い詰められていった。

「結婚式の翌朝とは、今日からよろしくマイハニー、ウフフ、あはは、キャッキャとするものでないのか?」

「マ、マイハニー…?」

リアンの目の前にローレンスの端正な顔が迫る。後退りたいが、後ろにあるのは壁だ。助けを求めようと、リアンはローレンスの背後にいるクローディアへと視線を送ったが、クローディアは困ったように微笑みながら兄を見下ろしている。

「こ、今後は置いて行きません…なので…」

「いや! ここは僕が皇族の男子たる者として講義をしなければ!」

講義とは何だろうか。終わりの見えない義兄からのお説教に口から魂魄を出しそうになったその時、ローレンスの後ろから二人を眺めていたクローディアがくすくすと笑いながら二人の間に割って入ってきた。

「リアン、ローレンス兄様は放って行きましょう。朝食を食べて支度をしないと」

差し出された手を見て、リアンはほっと胸を撫で下ろしながらその手を取って立ち上がる。

「…そ、そうだね。今日は忙しいし」

「リアンを連れて行くわね、ローレンス兄様」

そのままクローディアに手を引かれるようにして、リアンは部屋の出入り口へと向かった。

まだ話は終わっていないと叫ぶローレンスの声が背中に刺さったが、クローディアの「夫をいじめるなんて酷いわ」という一声でローレンスは黙った。


「──やれやれ、我が妹は。怒った姿がソフィア皇妃にそっくりだ」

リアンの部屋にひとり残されたローレンスは、夫を迎えにくるなり兄を怒ってきたクローディアの姿を思い返した。

逞しくなったものだと感心すると同時に、亡き父に物怖じせず言い返していた唯一の女性だったソフィア──クローディアの母親を思い出しながら部屋を出た。