「わ、わかってます。でも…可愛いんですもん!」
 みちるの萌えはなかなか終わらず、自分でも落ち着きたいのだが、ままならなかった。恭一には気の毒だが、みちるからしたら、リカちゃん人形のお相手のボーイフレンド人形が喋って動いているようなファンタジックな展開なのだ。現実のことかと思うと、興奮が止まらない。
 恭一は、萌えに苦しむみちるを眉間に皺を寄せて見つめ、言った。
「君がそういう態度なら…考えがある」

 何とか気持をクールダウンさせたみちるは、神妙な面持ちの恭一と、ホテルのティールームにやって来た。そこに両親たちが待っていたのだ。
「ゆっくりだったのね、お話は弾んだかしら?」
 オレンジのスーツの、恭一の母親は、可愛らしい目をパチパチさせて言った。
 恭一は、にっこりと微笑んだ。
「はい。話が尽きなくて。お待たせして、申し訳ありませんでした。そこで、木内社長、お願いがあります」
 うん?と洋二郎が恭一を改めて見る。
「わたくし、みちるさんとお話させてもらって、改めてお嬢さんの素晴らしさを再確認いたしました。私にはもったいないかと思うのですが」
 みちるは、うんうん、と聞いていた。もったいないと思うので、この話はなかったことに、と続くのよね、と。
 恭一は続けた。
「しかし、せっかくのご縁です。みちるさんのように素晴らしい方と出会えることも滅多にないでしょう。どうか、結婚を前提におつきあいさせていただけないでしょうか」
 ええっ、とみちるは、声をあげそうになるのを、急いで手で塞いでこらえた。ちょっと待って!まだ結婚する気になれないってことで意見が一致してたんじゃ?!
 そこまで考えて、恭一が呟いた「考えがある」という言葉が、胸の内でよみがえってきた。考えがあるって…こういうことだったの?!
 口をぱくぱくさせながら、何て言うべきか考える。私は承知していません、とストレートに言ったら角が立つだろうか。ここではスルーして、改めて縁談を断るとか?とっさにそれはできないような気がする…と、もう一人の自分が言ったところで鈴のような声がした。
「まあ。みちるさん、よかったじゃないの。わたくし、あなた方のことを、応援してよ」
 大輪のバラがほころぶようなゴージャスな笑顔でレイコさんが言った。
 みちるに関したことで、こんなに喜んだレイコさんを見たことがない。そして、みちるはレイコさんの笑顔に超弱い。
 どうにも動きがとれず、固まっているとにこやかに微笑んだ恭一が名刺を差し出してきた。
「木内さ…いや、みちるさん。これ、俺の連絡先。いつでも連絡して」
 私は結婚なんて考えていなくて。喉まで言葉が出かかったが、みちるを除く三人すべてが満面の笑みをたたえている。こんな時は空気を読まなくていいの、と誰かに言ってほしかった。しかし、そんな味方は一人もおらず、みちるは複雑な顔のまま言った。
「わかりました…」

 翌日。郵便ポストに一通の封書が届いていた。はっとして、その場で封を切って中身を確認した。そしてうなだれた。面接にこぎつけた会社からの不採用通知だった。
 はあ…と、思わず大きなため息をついて紅茶をいれる。一箱300円のお徳用紅茶だが、それでも傷心のみちるを慰めてくれる。
 昨日の、恭一の結婚前提のおつきあい発言から、調子が狂いっぱなしだ。いや、その前から調子は狂っていた。なんと言っても最大のトピックスは、恭一のミニサイズ化だ。
 みちるは、またぷっと吹き出してしまう。あのたまらなくかわいい生き物。実を言うと、今日、思い出して笑ってしまうというのをすでに八回繰り返していた。
 ああっ、思い出すとたまらない…!きゅんきゅんする…!
 そこで、みちるのスマホが鳴った。きゅんを何とか追いやって電話に出る。
「あ、みちるさん。槇田です。今から少し、時間もらえないかな。ダメ?」
「え…いえ、ダメとかは…」
「よかった。じゃ、迎えに行くから待ってて」
 え、迎え、と事情を聞く前に電話は切れてしまった。昨日、結局みちるの連絡先も恭一に渡す流れになったのだ。
 迎えに行くと言われたからには、出かけるということだろうか。じゃ、外出着に着替えないと、とクローゼットを開けたところでピンポン、とインターフォンが鳴った。
 ドアを開けると、ばさ、と音を立てて真紅のバラの花束が目の前にあった。
「ひゃ…!」
 何事?!と、目をぱちぱちさせていると、バラの陰から恭一が顔を出した。
「女性の部屋を訪問するときは、やはりバラくらい必要だろう」
 恭一は大真面目な顔をして、そう言った。
「主任…ええっと、主任が、これ買ってきてくれたんですか?」
 あの切れ者上司として名高かった恭一が、花屋でこれを買うところ想像した。きっとハルカ書店の元同僚たちも騒然となって騒ぎ出すに違いない。
「そうだよ。バラもこれくらいあると、香りがいいもんだな」
 はあ…と、言った後、自分にバラの花を贈ってくれたんだ、と改めて気づく。
「ありがとうございます。でもやっぱり…なんで?」
 恭一は軽くため息をついた。
「婚約者にバラくらい、俺だって贈るよ。君は何にもわかっていないな。まあ、いい。出かけよう」
「あ、じゃあ着替えます」
「いや、いいよ。そのままで。ラフなほうが都合がいい」
 みちるは、シャツにデニムパンツという格好だった。カジュアルなほうがいいってこと?といぶかしがりながらも、部屋にカギをかけ、恭一と一緒にアパートの外に出た。
 そこで、みちるは息をのんだ。
 アパートの目の前に止まっていたのは、真っ赤なオープンカーだったのだ。車種に弱いみちるにも、左ハンドルで外車だということはわかった。
恭一は、さっと運転席に座って、「みちるさん、乗って」と促す。
 あっけにとられながら、みちるはオープンカーの助手席に乗る。
 ホテル北都の御曹司って…派手!!
 乗ってしばらくすると、いい風が吹いて、オープンカーならではの気持ちよさだった。恭一のさらさらした前髪も後方になびく。
「気持ち…いい…」
 みちるは、思わず声をもらした。
「だろう?秋の天気のいい日を逃すと、この気持ちのよさは味わえない。だから、どうしても今日がよかったんだ」
 機嫌よく恭一が言う。
「でも、あの…お仕事中の時間ですよね。よかったんですか?」
「ああ、割とホテル業って融通がきくようでね。なんとかなるもんなんだ。っと、目的地を通り過ぎるところだった」
 そう言って、恭一は車を止めた。
 そこは、郊外にある一流ブティックだった。
「みちるさん、降りて」
「はあ」
 メンズも扱っている店だ。恭一の買い物につきあえということだろうか。
 すると、自動ドアが開いた瞬間に50代くらいの女性がみちるにむかってふかぶかと挨拶した。
「木内みちる様ですね。お待ちしておりました」
 いきなり名指しされ、みちるは驚いた。
「え、あの…」
「杉崎さん、悪いね。かわいいんだけど、シックで落ち着いた感じでよろしく」
 ブティックの試着室に案内されたみちるに、さっと五、六着のスーツやワンピースが差し出された。
「ご試着願います」
 恭しく杉崎に言われ、みちるは動揺しながら、着替えるしかなかった。
 な、何が始まってるの…!
 うろたえながらも、杉崎から差し出された服たちは、どれもこれも素敵だった。自分のお給料で生活するようになってから、服を買うのはボーナスが出たときくらいだった。それもファストファッションのセール品だ。今、手にしている服たちのまぶしさにめまいがするが、やはり着てみると心が華やぐ。
「木内様。着替えられたら、お見せください」
 杉崎の声に押されて、おずおずとみちるはワンピースを着て試着室のドアを開けた。
「いいね。似合ってる。みちるさんの雰囲気にぴったりだ」
 杉崎の横に立っていた恭一が、言った。なんだか恭一にこんな台詞を言われるなんて気恥ずかしかった。あの切れ者上司の恭一がこんな甘い台詞を言うなんて。しかし、同時にうれしくもあった。自分に女性としての魅力なんてあるかどうか、考えたこともなかった。でも、こうやって素敵な服を着ては見せ、そしてほめられると、自分にもかすかにでも魅力があるんじゃ、という気になってくる。
 何度も試着して、結局、10着ほどが厳選された。
 こんなファッションショーもどきは、小学生のころ、レイコさんに連れられて服を買って以来だったので、目が回った。
「それ着たままでいいんじゃない」
 恭一がそう言ったのは、みちるが今着ているオフホワイトの、レースがあしらわれたワンピースだった。みちるも自分でもこれいいな、と思っていた一着だった。
 うん?着たままでいい…って?
「じゃ、残りは、車に積んでおいてもらえるかな。支払いはこれで」
 そう言って、恭一はカードを杉崎に手渡した。そこで、はっとみちるはわれに返った。
「いけません、この着てる服は私が買いますから、主任に出させるわけには」
「何言ってるんだ。婚約者の服くらい俺が買うのが当たり前だよ。杉崎さん、いいセレクトだ。ありがとう」
 だから、いつの間に婚約者に?!
 再び、オープンカーに乗る。さっきと同様、行き先は知らされていない。みちるは、改めて着ているワンピースのレースの部分をじっと見つめた。細やかな刺繍も施されている、素敵なデザインだ。
 この服一着で、普段、私の買うセール品が何枚買えることやら…思わず、みちるは溜め息をついた。
「うん?よく似合っているけど…気に入らなかったか?」
 恭一はこちらを見ずに運転に集中しているように見えたのだが、意外とみちるの様子を伺ってくれているようだ。