みちるは、ふと考えた。恭一の両親は「本好き同士だからうまくいく」と思っていたこと。そしてつい最近まで恭一には結婚相手がいて破談になったこと。そういったことも絡み合っての今日の見合いだったはずだ。
 だが、それをみちるが口にするのはおこがましいだろう。恭一は、せっかくみちるの言いにくいことも代弁してくれているのだ。
 ありがたいと思わなくちゃ。この流れに乗らせてもらおう。
「あの、いろいろすみません。私の方こそ、謝らなくてはいけないくらいです。覚悟も決まってないのに、お見合いの席に来たりして。主任の貴重な時間をいただいて申し訳なく思っています。あの、これお詫びの品と言ってはなんですが、よかったら、どうぞ」
 そう言って、バッグと一緒に持ってきていた、小さめの紙袋を差し出した。
 レイコさんにお菓子でも焼けば、と言われて、フィナンシェを焼いて持ってきていた。見合い相手と二人きりになった時、ちょっとした会話の糸口になれば、と思っていたのだ。
「これは?」
「焼き菓子です。コーヒーにも合うと思います。今朝、焼いたので三日くらいは充分もちます」
「焼いたって…木内さんの手作りなの?」
「はい…学生時代からの趣味、で」
 みちるは言いながら恥ずかしくなった。これでは料理自慢のために持ってきたみたいじゃないか。そんなつもり、なかったのに。
「へえ。今、食べてもいいかな」
 みちるは、びっくりした。お礼を言われて終わると思っていたのだ。男性全員が手作りお菓子を好むわけではないことを、みちるだって知っている。主任って甘党だったのかな、と思いながらみちるは返事をした。
「ええ。よかったら。手で食べれます」
 フォークがいるような、ケーキにしなくてよかった。恭一は、いただきます、と言ってぱくりとフィナンシェをひと口食べた。
 次の瞬間。
 ぱっ、と恭一が消えた。
 みちるは咄嗟に恭一がベンチから落ちたと思い、真横を見た。しかし、落ちた姿もない。  
 すると、恭一のカバンの影に小さい何かが、ひゅっと隠れたのがわかった。みちるは動体視力がいいのだ。考えるよりも先に手を伸ばした。
 何かをつかむ。ねずみのような小動物ではない。
 布の感触。
 …ぬの?
 おそるおそる、つかんだ手をそのままに、自分の顔の近くまでもってくる。
 そこには。
「木内さん…オロシテ」
 そう、ぼそっと呟いたのは、背の丈が25センチくらいの恭一だった。
 脳がやっと理解して、思わず手を離し恭一を落っことしそうになる。慌てて両手でそれをすくう。
「しゅしゅしゅ、主任、なんですか…?」
「うん…そっとベンチに立たせてくれないかな」
 言われるまま、みちるは、ミニサイズの恭一を、ベンチの上に下した。
「あの、私、幻覚見てるんですよね。そうですよね?」
「その気持は痛いほどわかるけど…ほんとう、だよ。俺は君の主任だった槙田恭一。身長25センチ版だ」
「ゆ、ゆめじゃない…!」
「うん。半年前からこうなんだ。さっきもらったお菓子…忘れてたよ、お菓子って酒を入れることがあるんだよな」 
 小さいながらも、苦々しい顔をして恭一が言った。動揺しながらみちるが答える。
「ええ、お酒を入れるとしっとりするんです」
「半年前から、俺は、アルコールを口にすると、このサイズになるんだ。木内さんも、驚いただろうけど、俺も死ぬほど驚いたよ」
 
 そう言って、恭一は、語り始めた。半年前に始まった「コレ」のことを。

「半年前、俺は、出張で行っていた福岡から帰ってきたばかりだった。疲れてたのか、新幹線の中で熟睡して、ビールを飲んだりしなかった。だから、自分のマンションの部屋に帰ってきてすぐに冷蔵庫を開けた。キンキンに冷えたビールが俺を待っていて、きゅっとひと口あおった。
 缶をテーブルに置くと、視界がすっかり変わった。
 薄暗いんだ、いきなり。気絶して、目が覚めたのが病院とかそういうオチかと疑った。しかし、足元は俺の部屋のカーペットなんだ。無地で深いグリーンの。
 電気をつけたはずなのに、なんでこんなに暗い?
 身の回りには、見覚えのない柱なんかもあって、何がなんだかわからない。夢を見てるんじゃないか、って自分の頬をつねっても痛い。痛みまである、リアルな夢だなって、まだ夢オチを期待しながら歩き回ってみた。すると、一個の箱を見かけた。大き目の旅行カバンくらいの箱だ。なんとなく見覚えのある柄で、居酒屋のロゴマークだと思い出した。
 こんな箱、あったかな、といぶかしがってよくよく見ると箱の側面がこげ茶色だった。
 嫌な予感がした。箱は、側面がひっぱって開けられるようになっていて…箱に入っていたものを取り出した。でっかいマッチ棒だった。
 俺が持ったら、松明みたいなんだ。もちろん、箱の中には、特大マッチ棒がいくつも入ってた。
 俺の頭は、やばい方に回転しだした。
 俺は…体が小さくなってるんじゃないか?
 もうひとりの自分が、そうにちがいない、と言う。でも、やはり夢だ、夢オチだ、と自分を納得させようとする。俺はなんだか混乱してきて、もう寝よう、と思ってそのまま床に寝転んだ。
 朝、目覚めると床で寝たせいで、体のあちこちが痛かった。そして、自分の手の側にマッチ棒とマッチ箱が転がっていた。缶ビールは飲みかけのまま、テーブルの上にあった。
 体のサイズはもちろん、普通どおりだった。それで思った。ほらみろ、やっぱり夢オチじゃないか。
 そう納得して仕事に行き、いつものように疲れて帰ってきた。独身男性なんて、缶ビールめがけて帰ってくるようなもんだ。さっと冷蔵庫を開けて、ビールを飲んで。
 そしたら、また昨日と同じ情景になった。薄暗くて、足元はグリーンのカーペットで。
 二日目には、柱だと思っていたのが椅子の足だと気づいた。薄暗いのは椅子の足の影の中にいるからだ。
 おいおい、二日目も同じオチの夢かよ、とげんなりした。毎日続くようなら心療内科の世話にならなきゃいけないんじゃないか。あービール最後まで飲みたかった、そう思って寝たらまた翌朝、元にもどっていた。
 体は痛いし、やれやれと思っていたら、次の日も、その次の日も、やっぱり同じことが起こった。俺の体が小さくなっている。
 さすがに、気味悪くなってきて、とにかく夢なのかどうか確認しよう、と思った。小さくなった時に柱に見える椅子の足に、スマホを立てかけた。
 それからビールをひと口飲んで、テーブルの上に置いた。
 そして、また予想どおり、いつもの展開だ。きょろきょろすると、スマホがあった。俺の下半身を超えるくらいのでっかいスマホが。ごくり、と唾を飲んで、その日の計画を遂行した。
 俺は,マッチ箱を…大き目の旅行カバンくらいの大きさのを抱えて、カメラボタンを押した。ガシャッと音がして撮れたのがわかった。保存ボタンを押した。
 祈るような気持で、寝転がった。どうか、スマホには何も映ってない、ああやっぱり夢だった、で終わりますように、と。
 結局、翌日、スマホを見て」
「ど、どうたったんですか」
 思わず黙って聞いていられなくなってみちるは言った。
「…最悪だ。ばっちり、特大のマッチ箱を抱えた俺が映ってたよ」
「ウソ…じゃあ、今の、コレも…夢じゃ、ないんですね」
「その通りだ。うかつだったよ、お菓子に酒が入っていたとはね」
「あ、じゃあ小さくなるのは、アルコールの関係なんですね」
「うん。いろいろ実験してみたけれど、アルコールを口にしなければ小さくはならないんだ。だから、この半年、飲み会は断りっぱなしだ。どうしても、というときはノンアルを飲んでる。車だから、とかアレルギーだとかなんだかんだと言い訳してね。結構、うまくかわしてきたんだが…木内さんのお菓子は盲点だった」
「すみません…まさか、こんなことになるなんて」
 なんだか取り返しのつかない事をした気になってきた。
「君が謝ることじゃないよ」
「あの、これから一晩、そのサイズのままなんですか?」
「いや、それも調べてある。一時間したら、元に戻るんだ。すぐに戻りたい場合は…木内さん、俺の頬をつねってくれる?」
「ええっ。だめですよ、こんな小さい主任の頬なんかつまんだら、大事故です!腫れたりしたらどうするんですか!」
「そう?じゃあ…頭をはたいてくれないかな」
「頭を…は、はい」
 おずおずとみちるは、小さな恭一の頭を指先でつついた。はたくなんてできっこない。
「ふう。これで、君を見上げずに喋れるな」
 そう言った恭一は、普通サイズに戻っていた。
「しゅ、主任…!よ、よかった、もとどおり…」
 心の底からほっとして、みちるは言った。
「うん。自分で頭をぶつけたり、自発的な衝撃じゃダメで、外から衝撃を受けると元に戻るらしい。ビールのつまみ用に出してたナッツが、頭の上に落ちてきたことがあって、その時はいきなり戻ったんだ。それで、わかった」
「はあ…日々、鍛錬の連続だったんですね。心労、お察しします…」
 そう言うと、恭一が眉をひそめた。
「なんだか…君、何か言いたげな顔、してるな」
 う、とみちるは、自分の手で口元を押さえた。
「いえ、あの…その…あまりにも、小さい主任が可愛くてっ…!」
「な、かわ」
 恭一が、かっと顔を赤らめる。みちるは、もうこらえきれなくなっていた。
「もうっ、本当に…!可愛いですっ。女子がこんなお人形みたいな主任を可愛く思わないわけ、ないじゃないですか!もう、きゅん死にです!」
 じたばたと足をばたつかせて萌えているみちるを恭一が複雑そうな顔をして見ている。
「君、いくら何でも元上司を、可愛いはないだろう」