元上司が身の丈25センチに!可愛くってたまりません!

 ミニサイズ化が始まって、塞ぎこんでいた時があった、と聞いている。その時のことだろうか、とみちるは思った。そして、ふと気づいた。
「えっと…じゃ、その体調が悪くなる以前は、常務は誰かと組んで出張なさってたんですか」
「そうよ。大体、企画部の大山君と行くことが多かったわね。常務は結構、突っ走っちゃう方だけど、大山君は小さいことによく気がついてくれるのよ。いいコンビだったわ。あんなことがなければねえ」
「あんなこと?」
 綾次の話す声のトーンが少し下がったのも気になった。
「そうなの。運転してた車で事故にあってね。後遺症もあって、まだ自宅療養しているのよ。小さいお子さんもいるから、常務も、随分心配なさってたわ」
「そうだったんですね」
 恭一は部下思いだ。それは部下だったみちるもよく知っている。随分、心を痛めたことだろう。
 それからちょっとした世間話になり、和やかに休憩した後、仕事に戻った。恭一は、仕事の打ち合わせがいくつか入っていて、今日は会社で会えそうになかった。

 夜。みちるが風呂からあがって寛いでいると、スマホが鳴った。
 液晶画面を見ると恭一からだった。いそいそと電話に出る。
「常務。お疲れ様です」
「ああ。よかった、出てくれた。声が聞きたかったんだ」
 ストレートに可愛いことを言ってくれるので、みちるは、きゅんとなった。
「常務の電話に出ないわけないでしょう」
「わからないぞ。君は結構、Sッ気があるから」
「それは、お互い様ですよ」
 そんな事を言い合った後で、みちるは綾次とした話をした。
「企画部の大山さん。大変ですね。お子さんもいるのに」
 うん、と恭一も深く頷いたのがわかった。
「そうなんだ。奴があけた穴はでかくてね。ちょっとしたことがうまくいかなくて。早く現場に復帰してほしいよ。奥さんも心配だろうしな。そう思って、復帰祈願をしたんだよ」
「復帰祈願」
「そう。奴が事故にあったのが、福岡出張の前日だったから、行き当たった神社で思わず神頼みしたんだ。早くよくなりますようにって」
 みちるは、何かひっかかりを感じた。
「常務。その福岡出張ってあのミニサイズ化が始まった時の?」
「そう。あの時…そうだな、神頼みした事、忘れてたよ。っと、ちょっと待って」
 急に恭一の声が固くなった。緊迫感がある。
「神頼みした時…そう言えば、何か飲んだような…そうだ神主にすすめられて、飲んだ」
「何を」
「お神酒だ。すごい古酒で…何故か飲まなきゃいけない気がして…」
 みちるも恭一も、一緒に息をのんだ。
「常務、その神社の名前とか覚えてますか」
「覚えてる。確か…穿沢神社だ」
「行ってみませんか。何かわかるかも」
 うん、と答えた恭一の声がわずかに弾んでいる。みちるも手ごたえのある兆しを感じた。
 
 二日後。恭一は、仕事のスケジュールを立て直し、福岡へ行く時間を作った。もちろんみちるも同行することになった。
 みちるも恭一も、福岡へ向かう飛行機の中で、言葉少なだった。何かつかめるかもしれない期待と、何もなかった場合の落胆。それをどうしても考えてしまって、二人とも気が気ではなかった。
 確かにみちるは、ミニサイズ化した恭一に萌えはするものの、気持ちとしては、普通の体質に戻してあげたかった。アルコールを感じただけで身体が小さくなるなんて、気が休まらない。恭一は仕事もできるし、メンタルはタフな方だ。だが、やはりつらいに違いない。
 祈るような気持ちで、みちるは恭一と共に、福岡に降り立った。電車を乗り継ぎ、山奥の穿沢神社へ向かった。
 よく腫れた日で、山の空気が美味しい。しばらく歩いて、少しばかり疲れが出てきた頃、穿沢神社へ辿り着いた。
 赤い鳥居をくぐって階段をあがっていくと、社が見えてきた。
 賽銭箱の前に落ちた落ち葉を、袴をはいた男性が竹箒で掃いている。
「あの時の、神主さんだ」
 恭一が、顔を明るくして言った。神主もやって来る客人を不思議そうに見た。参拝客は、恭一たちのほかに誰もいない。
 神主の前に立った恭一は、何から話したものか、と迷った表情を見せた。とりあえず
「東京から来ました」
 と言うと、神主は何か察したようだった。
「まあ、お茶でも飲んでいきませんか」
 と、社の中に案内してくれた。広い畳敷きの部屋に座布団を二つ出してくれる。そこに恭一とみちるは座った。
 お茶を出されたが、恭一は緊張しているのか、手をつけなかった。恭一が、ごくりと息をのんだのがみちるにもわかった。ミニサイズ化のことを話すようだ。鼻で笑われるかもしれない。でも、もう手がかかりはここしかないのだ。みちるは、恭一の膝頭に置かれた手にそっと自分の手を重ねた。頑張って、という気持ちをこめた。
「話を、聞いてください」
 恭一は、アルコールを摂取すると、背丈が25センチになってしまうことを、丁寧に話した。きっと飛行機の中でどう話すか考えていたのだろう。わかりやすくまとまっていた。
 話を聞き終えた神主は、大きく頷いた。
「そうか、そうか。祖父に聞いたことがありましたよ。恭一さんとやら、あなたひきましたねえ」
「じゃあ、やはり」
 恭一が、膝をわずかにつめた。
「そう。あんたさんの背丈が小さくなったのは、間違いない、うちのお神酒のせいです。最後に小人さんが出たのは、百年前と聞いてましたから、ちょうど百年目のアタリを、あんたさん、ひいてしまったんですなあ」
「小人さん…」
 みちるは、聞きなれない単語を口にした。
「はい。小人さんは、吉兆でもあります。あんたさん、会社の社長とか二代目とかじゃないですか」
「はい…確かに、二代目です」
「そういう責任の重い人がひきやすい、と聞いています。小人さんになったことで、身体の調子がよくなったりしませんでしたか」
「あ…深酒をしなくなりました。酒を飲むと、小人になったので」
「小人さんになる条件は、人によって違います。あんたさんの場合は、お酒やった。神様は見とりますからね。小人になることで、お酒をやめさせたかった、そういう神さんからのお知らせが、お神酒を通じてあんたさんの身体の中に入ったんですなあ。ちょうど百年目やし」
「は…」
 恭一が呆然とした顔で神主を見つめている。
 そんな神がかった話は想像していなかったのだろう。受け入れるのに時間がかかりそうだ。みちるは、思わず言った。
「あの。元の体質に戻ることはできますか。もう小人化しなくなる、ような」
「ありますよ」
 あっけらかん、と神主は言った。
「蔵に『戻りの神酒』というのがあります。取ってきましょう」
と立ち上がった。

 眼前に広がる夜景に、みちるは、わあ、と声をあげた。ホテル北都の最上階レストランに来ていた。壁一面がガラス張りで遠くまで明かりのきらめく夜景が見える。
「綺麗ですね…」
 うっとりしてみちるが言うと、恭一が満足そうに微笑んだ。
「綺麗なものを見ると憂さを忘れるな」
「お酒を飲んでも、でしょ?」
 くすっと笑ってみちるは言った。
 穿沢神社の「戻りの神酒」は大昔からあるものなので、蔵の中で探し出すのが大変だった。時間がかかったが、何とかみつかって恭一は、飲むことができた。
 その場で、神主さんが缶ビールを出してきてテストしてみた。大丈夫だった。恭一は小さくならなかった。恭一は歓喜し、みちるも感動して涙目になった。
 そして今日、改めてお酒と食事を楽しもうとホテル北都に来たのだった。
 テーブルに向かい合わせで座った二人は、ワインで乾杯した。今日のディナーはフレンチのフルコース。真っ白な皿に美しい料理が盛られている。
 ワインをひと口含むと、恭一は、ふっと笑った。
「常務、お酒を味わってるんですね」
 恭一は、機嫌よく口角をあげた。
「そうだよ。もう一生、酒を楽しめないかもしれない、と思ってたんだ。それがこうして酒が飲めるようになった…感無量だよ」
「常務が嬉しいと、私も嬉しいです」
「本当か」
 憮然として恭一が言う。
「何でそんなこと、言うんですか」
「君のことだから、小さくなる俺をもう見られないのが残念とか思ってそうだ」
「それは、すごーくすごーく残念ですけど」
 はっきり、きっぱりみちるは言った。
「でも、常務とお酒を飲める方がいいです。それに、お酒の入ったお菓子を食べた常務をもう蹴ったりしなくていいし」
「ああ、あれは痛かった。あのときは言わなかったが、結構効いてたぞ」
「そうですよね。私も咄嗟のことで、手加減できなかったし」
「手加減できたのにしなかったんじゃないのか。君にはSッ気があるし」
「そんなことないですってば」
 たあいないおしゃべりをしながら、お酒と食事を楽しんだ。レストランを出ると、ちょっと庭を歩こう、と恭一が言った。
 しばらく歩き、池の目の前で立ち止まる。近くにはベンチもあり、街灯の明かりがうっすらと周囲を明るくしている。
 そう言えば、恭一と見合いした時、二人で庭を見てきたら、と言われて来たのもここだった。
 たった一ヶ月前のことなのに、もう随分前のことのような気がする。そう言おうとして隣の恭一に常務、と呼び掛ける。そうすると、恭一が言った。
「君はなかなか俺を名前で呼んでくれないな」
「え、だってお仕事の時に間違って呼んじゃいそうですし」
「切り替えも仕事の内だよ。ほら、名前、言ってみて」
 改めて名前で呼ぼうとすると、なかなかか気恥ずかしいものがある。でも目の前には、わくわく顔の子犬みたいな顔をした恭一がいる。
 もう、かわいい…!ずるいんだから…!
 みちるは、意を決して、なんとか名前呼びに挑戦してみる。
「きょ、恭一、さん」