「クズ弁護士、あんたが桜澤先生のイメージを悪くしてる……」
「あなたのイメージがどんなものか知らないけど、うちの妻に押し付けないでくれ。どんな夕子も夕子なんだ。あなたの思い入れは迷惑だ。そして、あなたのした行動は許されるものではない」

冷静だが、怒りをにじませた声音に、女性はつばを吐き捨て勢いよく駆けだした。私たちの横を通り抜けるとき、ハナミズキの木にぶつかり、枝を何本か折っていった。

「追いかけなくていいよ!」

私は咄嗟に史彰に言った。史彰も心得たもので、頷いてスマホを取り出した。

「きみが穏便に済ませたいと思っているなら悪いけれど、この件は警察に連絡する。きみは怪我をしているし、あの女はカッターできみを脅そうとした。これまでの手紙やSNSの監視メッセージも合わせて、通報するつもりだ」

見れば、女性につかまれた手首にははっきりと爪の痕が残り、血がにじんでいた。指の形で赤黒い痣にもなっている。
このくらいで済んでよかったとはいえ、私ももう穏便に済ませられる状況ではないとわかっていた。

「うん、そうだね。……史彰、助けてくれてありがとう」

史彰が私の両肩に触れ、それからぎゅっと抱きしめてきた。私の首筋に顔を埋め、深い息を吐くのが伝わってくる。

「夕子、よかった。無事で。きみと子どもに何かあったら、俺は生きていけない」

きっと女性にカッターを出されている私を見つけたときの彼は、私以上に怖かっただろう。よく冷静に動いてくれた。私は彼の背を撫で、ようやく息をつくことができた。

「私も赤ちゃんも元気だよ。心配かけてごめん。史彰がいてくれるから、大丈夫」

大事なものができるというのはどれほど大変なことだろう。失えない存在ができるというのは、不安と恐怖と隣り合わせなのかもしれない。
だからこそ、私たちは寄り添い合い、守り合い生きて行くのだ。

「でも、本当は結構怖かったの、私も」

今更震えが走り、泣けてきて、私はいつまでも史彰の腕に頼っていた。
史彰はきつく私を抱きしめ、警察が到着するまで落ち着くように撫で続けてくれた。