若菜と別れ、地下鉄を使って自宅に戻った。マンションの前でスマホに史彰からのメッセージが入っているのに気づく。

【もう少しで家だよ。買って帰るものある?】

今日はだいぶ早い。史彰はつわりのある私を気遣って、仕事を調整できる日はなるべく早く帰宅するようにしてくれているのだ。

返信しようと人差し指をスマホの液晶にのばすと、突然その右手をがしっとつかまれた。
見ると見知らぬ女性が私の右手首を握しりめている。明るい茶髪は長く、ウェーブがかかっている。前髪の隙間からぎらついた瞳が見え、私は前代未聞の異常事態が発生したのだと瞬時に感じた。

「さ、桜澤、夕子、先生ですよね!」

つっかかるように呼ばれ、私は否定すべきか肯定すべきか悩んだ。明らかに普通の状態ではない相手に、どう答えるべきなのかわからない。

「離してください!」

声をあげると、ものすごい力で引っ張られた。咄嗟にお腹の赤ちゃんのことを考え、腹部を触ると、左手からスマホが落ちる。

「こっち、こっちへ! きて!」

女性はかすれた声で喘ぐように言い、私をぐいぐいと引っ張っていく。マンションのエントランス横は植樹されてあり、四畳ほどの芝生の空き地になっている。
もう少し行くと一階の部屋の窓に面するだろうが、彼女はそこまで行っては騒ぎを聞きつけられるとわかっているのか、その空き地で私と向かい合った。