しばらくベンは騎士団顧問としての準備に追われた。宮殿の近くに部屋を借り、制服を作り、メンバーにあいさつし、任命式で正式に顧問となった。

 もちろん、騎士団と言えば街の精鋭ぞろいである。皆ビシッと背筋を伸ばし、筋骨隆々として、子供の頃から延々と振ってきた剣さばきも見事だ。それに対し、ベンは剣もまともに扱えないヒョロっとした小僧である。訳わからない呪文で勇者に勝ったからと言って、入団を許していいのかという不満は皆持っていた。特に、ベネデッタに気に入られているというのが許しがたい様子である。騎士団のアイドル的存在ベネデッタが、あんな小僧を目にかけているなど許しがたかったのだ。

 社会人経験の長いベンもそのくらいは分かっている。分かってはいるが、ベンのスキルはおいそれと見せられるものでもない。そこは折を見て少しずつ理解して行ってもらうよりほかない。そもそも自分は商人になりたかったのだ。

 帰りがけに警護班の班長に呼び止められる。

「顧問! これ、指令書。読んでおいて」

「え? 何?」

「いいから、読めばわかるから!」

 不機嫌を隠そうともせず、仏頂面で封筒を突き出す。

「あ、ありがとう」

「あなたには何も期待してないので、ただ、後をついてきてくれるだけでいいです」

 吐き捨てるようにそう言うと、班長はカツカツとブーツのヒールを鳴らしながら去っていった。

「ふぅ、初日から大変だぞこりゃ」

 若いっていいなぁと思うところもあるが、前途多難な状況に思わずため息が漏れる。

 指令書には、明朝に西の城門集合で、ベネデッタの親戚のベッティーナのダンジョン攻略の警護をせよと書いてあった。

 はぁ!?

 ベンは目が点になる。なぜ貴族様がダンジョンになど潜るのか?

 しかし、何度読み直してもそうとしか読めなかった。ベンは大きく息をつく。

 ただ、班長は『何もするな』って言っていたし、後をついていけばいいだけだろう。お貴族様の後をついていくだけの簡単なお仕事です!

 ベンは深く考えることは止め、下剤やポーションなどダンジョンに潜るアイテムの買い出しに出かけた。


        ◇


 翌朝、まだ朝霧も残る早朝の街を、あくびしながらベンは西門へと歩く。朝露に濡れた石だたみにオレンジ色の朝日が反射し、街は美しく輝いている。

 西門が見えてくると、女の子が手を振っている。あれがベッティーナ……、ということだろうか? 隣にはもう班長がいてビシッと立っている。

 近づいてみると、ベネデッタが仮面舞踏会につけるような変なアイマスクして嬉しそうに手を振っている。

「あれ? ベネデッタさん、どうしたんですか? そんな仮面して」

 ベンが聞くと、ベネデッタは途端に怒り出し、

「我はベネデッタではないのだ! ベッティーナ!」

 と、言って口をとがらせて横を向いてしまった。

 訳が分からず班長の方を見ると、人差し指を一本立てて口に当て『シーッ』というしぐさをしている。

 どうやらベッティーナというのはベネデッタのお忍び用のコードネームらしい。貴族様はいろいろ自由が無くて大変そうだ。ベンは大きく息をつき、

「これはベッティーナ様、大変に失礼いたしました。本日はよろしくお願いいたします」

 と、言いながらひざまずいた。

 するとベネデッタはニヤッと笑い、

「分かればよいのだ! それではシュッパーツ!」

 と、楽しそうにダンジョンへ向けて歩き出した。


        ◇


 不機嫌な班長から道すがら聞いた情報を総合すると、ベネデッタは月に一回くらいこうやってお忍びで魔物狩りをするらしい。一応王家の血筋なので魔法の才能はあるものの経験には乏しく、駆け出し冒険者レベルということだった。

 今日も三階辺りを一周して帰ってくる予定だそうだ。であるならば本当に出番などないだろう。ベンとしても下剤を飲むようなことは避けたかったので都合がいい。

 ふぁ~あ。

 麦畑をわたる風が、朝日にオレンジ色に輝くウェーブを作り、ベンはその平和な美しい景色を見ながら伸びをする。

 こんな簡単なお仕事で高給もらえるなら実は天国かもしれない。数日前まで飢え死にを心配していた事がまるで嘘のようである。ベンは運気が向いてきたとニコニコしながら気持ちよい風に吹かれた。


       ◇


「ベン君! 見ててよ!」

 ベネデッタはそう言うと、エレガントに魔法の杖を掲げ、呪文を詠唱し始める。

 背筋をピンと伸ばし、目をつぶりながらブツブツとつぶやくベネデッタは薄く金色の光をまとい、気品のある美しさをたたえていた。

 そして、目をカッと見開くと、

「ホーリーレイ!」

 と、叫んで杖を振り下ろした。

 ダンジョン内に閃光が走り、聖なる黄金の光の奔流(ほんりゅう)がダンジョンの奥へと打ち込まれていく。

 グギャー! グアー!

 ダンジョン内をうろうろしていた骸骨の魔物、スケルトンが次々と倒れ、消えていった。

 パチパチパチ!

「ベッティーナ様、凄い! お見事です」

 班長はまるで接待ゴルフのようにほめまくった。

「ナイスショットー」

 ベンは拍手をしながらやる気のない声で、異世界人には分からない掛け声をかける。

「ふふん! 我だって少しはやるのだ!」

 ベネデッタは得意げに胸を張った。









13. 堕ちていく下剤

 ベネデッタに活躍させては拍手する。そんなことを繰り返しながら三階へと降りていく。

 戦闘は基本、班長が前衛をやり、ベネデッタが後衛をやっている。ベンは後ろから襲われないようにするただの護衛だった。

 とはいえ、こんな低層階で後ろから襲ってくる魔物などいないわけで、楽しそうに魔法を操るベネデッタを眺めながら、ベンは子守をするおじさんの気持ちで見守っていた。


        ◇


 そろそろお昼なので、あくびを噛み殺しながら撤退の声を待っていると、ベネデッタが部屋のドアを開けた。すると、奥には宝箱がいかにもという感じで置いてある。

「あっ! 宝箱発見なのだ!」

 小走りに宝箱に駆けだすベネデッタ。

「あっ! 走っちゃダメです!」

 班長が急いで後を追い、ベンも仕方なくついていく。

 直後、カチッ! という音が部屋に響き、床がパカッと開いた。落とし穴だったのだ。

「キャ――――!」「うわぁ!」「ひぃ!」

 漆黒の底なしの穴が一行を飲みこんでいく。

 班長は険しい表情でポケットから魔法スクロールを出すと一気に破った。

 スクロールからは金色の光がぶわぁっと噴き出し、三人をふんわりと包んでいく。その金色の光に支えられるように、落ちる速度が徐々にゆっくりとなっていった。

「ゴ、ゴメンなのだ……」

 しおれるベネデッタ。

「ダンジョンは絶対走らないでくださいね!」

 班長は目を三角にして厳しく言った。班長がベネデッタに怒るなんてよほどのことである。

「これ……、どこまで行くんですかね?」

 ベンはどこまでも続く漆黒の闇をのぞきこみながら班長に聞く。

 班長は下の方をじーっと見つめ、渋い顔で、

「こんな長い落とし穴は初めてです。三、四十階……、もっと行くかもしれません」

 と言って、首を振った。

「えっ! そんな?」

 ベネデッタは青い顔をする。中堅冒険者パーティの限界が四十階と言われている。そこから先では一般には生還が絶望的だった。

 ベンは大きく息をつくとリュックを下ろし、下剤を取り出そうとする。

 その時だった。

「ベン君! 助けて!」

 そう言って、ベネデッタがいきなりベンに抱き着いてきた。

「うわぁ!」

 その拍子にリュックはベンの手を離れ、真っ逆さまに落ちていく。この場を切り抜ける唯一の希望、下剤はあっという間に漆黒の闇の中へと消えていった。

 あぁぁぁぁ……。

 茫然自失(ぼうぜんじしつ)となるベン。便意が無ければただの小僧。ベネデッタより弱いのだ。彼女を守ることなんて到底できない。

 ベネデッタは申し訳なさそうにベンを見るが、ベンには余裕がない。

 頭を抱えて必死に考える。

 何かないか? 便意を呼べるもの!

 しかし、そんな都合のいいものある訳がない。班長達にも持ち物を聞いたが、下剤など持ってるはずがない。

 絶体絶命である。ダンジョンの深層で戦力は実質班長だけ。とても生還できない。

 くあぁぁぁ……。

 万事休す。落ちた荷物を見つけられるかどうか、一行の命運はその一点にかかっていた。


         ◇


 やがて一行はフロアに降り立つ。

 そこは草原だった。

 澄み通る青空には白い雲が浮かび、草原にはさわやかな風が走り、小川は陽の光を浴びてキラキラと光っていた。奥にはうっそうとした森が広がり、ダンジョンでなければ気持ちいい高原の風景である。

「こ、これは……」

 ベンは絶句する。地中の洞窟の奥底にこんな草原が広がっているなんて、想像もしていなかったのだ。

「これは……、六十階台だな」

 班長が悲壮な顔をして言う。

「六十!?」

 ベネデッタは目を真ん丸くして驚いた。

 上級冒険者でも危険と言われる領域に来てしまったことに、一行は押し黙る。

「ベン君! 大丈夫よね?」

 ベネデッタはベンの手を取ってすがるように言うが、下剤のない今、ベンはただの小僧だった。

「荷物が見つからないと何とも……」

 そう、渋い顔をして返すしかなかった。

 しかし、草原の草は胸の高さ近くまで生い茂り、この中を荷物なんて探せそうになかった。

 であるならば、下剤の効果のある野草でもムシャムシャ食べればいいのではないか、とも思ったが、ススキみたいな薬効などなさそうな植物ばかりで、いくら食べても効果は期待できそうになかった。

 危険なダンジョンの深層で生き残る手段はもはや便意しかない。しかし、その便意を呼ぶ方法が無い現実にベンは奥歯をギリッと鳴らした。