ベネデッタのところに運ばれてきたパフェには、虹色の綿菓子が渦を巻きながら立ち上っていて、横にロリポップが刺さっている。その極彩色の見た目にベネデッタは言葉を失う。

「あははは、なんだこれ」

 ベンは思わず笑ってしまう。トゥチューラでは絶対に見られないぶっ飛んだスイーツに、ベンは日本っていいなと改めて思った。

 ベネデッタは恐る恐るフォークで綿菓子を口に入れ、その見た目とは違った優しい甘みに笑みを浮かべる。

 百面相のように表情をコロコロ変えながらパフェと格闘するベネデッタ。ベンはそんな彼女を見つめ、癒されながらコーヒーをすすった。

 トゥチューラにはコーヒーなんてないので、久しぶりの苦みにベンはちょっとくらくらしながら、それでも懐かしの味に思わずにんまりとしてしまう。

「美味しいですわぁ」

 ベネデッタは口の脇にクリームをつけながら微笑み、ベンは静かにうなずいた。

 こんな時間がいつまでも続けばいいのに……。

 若者のエネルギー渦巻く夢のような空間で、大切な人と過ごす時間の愛しさに、思わずベンは涙腺が緩んでしまう。

 前世では毎日通勤で乗り換えていた渋谷。でも、何もできずに死んでしまい、今、異世界経由で初めて愛しい時間の流れに巡り合えたのだった。

        ◇

「ベン君は、この星の人なんですの?」

 パフェを半分くらいやっつけたベネデッタが上目遣いに聞いてくる。

 ベンはコーヒーをすすり、ベネデッタの美しい碧眼を見つめるとゆっくりとうなずいた。

 ベネデッタはふぅ、と大きく息をつくと、

「ベン君は稀人(まれびと)でしたのね……」

 そう言ってうつむいた。

「黙っていてごめんなさい。シアン様に転生させてもらったんです」

 ベネデッタは長いスプーンでサクサクとパフェをつつき、しばらく考え事をする。

 そして、一口アイスを堪能すると、いたずらっ子の目をしてベンを見つめ、ニコッと笑って言った。

「わたくし、ここで暮らすことにしましたわ」

 ベンは何を言ってるのか分からず、ポカンとしてベネデッタを見つめる。

「ここ、日本でしたっけ? 活気があって、いろんな文化にあふれ、最高ですわ。もうトゥチューラになんて戻れませんわ」

 ベネデッタはそう言って店内を見回し、先進的なファッションに身を包んだ若者たちの楽しそうな様子をうっとりと眺めた。

「ちょ、ちょっと待ってください! 公爵令嬢が日本で暮らす……んですか?」

「あら? だめかしら? お父様もベン君と一緒なら認めて下さるわ」

 ベネデッタは訳分からないことを言って、パフェをまたサクサクとつついた。

 ベンは言葉を失った。一緒に日本で暮らすってどういう事だろうか? なぜ、公爵は自分と一緒なら許すのだろうか?

 ん――――?

 ベンは疑問が頭をぐるぐると回って、首を傾げたまま固まる。

 その時だった、腹の底に響くような衝撃音が渋谷一帯を襲った。

 驚いて窓の外を見ると、建設中の超高層ビルの上で何か巨大なものがうごめいている。よく見るとそれは大蛇の首のようなものだった。その首が九本ほど、獲物を探すかのようにウネウネ動きながら渋谷の街を見下ろしていた。首は一つの巨大な胴体に繋がっており、全長はゆうに百メートルはありそうだ。

「あれは何ですの? イベントかしら」

 ベネデッタは緊張感もなく楽しそうに聞いてくる。しかし、日本にあんな魔物などいない。

「違う、緊急事態だ。逃げよう!」

 そう言って、立ち上がった時だった。

 ポン! と音がしてぬいぐるみのシアンが出てくる。

「ベン君! お願いがあるんだけどぉ」

 と、シアンはおねだり声で、ベンの前で手を合わせた。

「嫌です! さぁ、逃げましょう!」

 そう言ってベネデッタの手を引いた。

 すると、シアンは標的を変え、

「ベネデッタちゃん、日本に住みたいよねぇ?」

 と、ベネデッタに声をかける。

「えっ!? いいんですか?」

 パアッと明るい表情をするベネデッタ。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! まさかあの化け物倒すのが条件とかじゃないですよね?」

「星の間の移住なんて普通は認められないんだよ?」

 シアンは悪い顔でニヤッと笑って言う。

「なぜ、僕なんですか? シアン様が倒せばいいじゃないですか、女神なんだから瞬殺できるでしょ?」

「んー、今、僕の本体は木星で交戦中なんだな。面倒だから木星ごと蒸発させちゃおうかと思ってるんだけど……」

 シアンはそう言って小首をかしげた。

 ベンは意味不明のことを言われて言葉を失う。木星を蒸発させるようなエネルギー量なら、太陽系そのものが吹っ飛びかねないのではないだろうか?

 その時だった、

 ギュワォォォォ!

 化け物の頭九個が全部ベン達の方を向いて雄たけびを上げる。その重低音は渋谷全体を揺らし、そのすさまじい威圧感に皆、パニックになって走り出した。

「どうやらお目当ては君のようだゾ」

 シアンはニヤッと笑う。その瞳には、子供が新しい遊びを見つけた時のようなワクワク感があふれていた。











30. YES! 百億円!

「えっ!? なんで僕なんですか?」

「悪い奴に見つかったという事かな。そいつ倒したら日本への移住認めるから頑張って」

 シアンは羽をパタパタさせながら嬉しそうに言う。

「え――――、嫌ですよ。日本で暮らすってのも楽じゃないし、絶対やりません!」

 ベンは毅然として断った。ベネデッタは来たいというが、日本に来たら一般人だ。どうやって暮らしていくつもりなのか?

「百億円」

 シアンはニヤッと悪い顔で笑って言った。

「は? 百億……?」

「二人の日本移住時には支度金として百億あげるよ。きゃははは!」

「マ、マジですか……」

 ベンは言葉を失った。百億もあれば大きな家を買って一生のんびり暮らせる。いや、ハワイにパリにニューヨークにあちこちに別荘買って毎日豪遊。そして、マチュピチュにピラミッド、南極に観光に行けてしまう。それもベネデッタと二人で。まさに夢のくらしである。

 便意を我慢するだけで、そんな夢のような生活しちゃっていいのだろうか?

 YES! 百億! 百億!

 ベンは思わずガッツポーズをする。頭の中には札束のイメージがグルグルと巡った。

「や、やります! やらせてください!」

 ベンはパタパタと羽をはばたかせて浮いているシアンの可愛い手を、指先でキュッとつまんで言った。ベンの目には【¥】マークが浮かんでいた。

「うんうん、じゃ、その腰のところのボタン押して」

 シアンは魔王が作ったガジェットを使えと言う。

「わ、わかりました……。これかな?」

 ベンは金属のベルトのところに丸くへこんでいるところのボタンをポチっと押し込んだ。

 バシュッ!

 プラスチックノズルから何かが噴射され、まるで強すぎるウォシュレットのように何かが肛門を越えて入ってきた。

 ふぐっ……。

 ベンは腰が引け、目を白黒させてその異様な感覚に戸惑う。

 ぐー、ぎゅるぎゅるぎゅ――――。

 直後襲ってくる強烈な便意。それは水筒浣腸などとはくらべものにならない強烈で鮮烈な便意だった。

 ぐはぁ……。

 ポロン! ポロン! ポロン! と電子音が続き、一気に『×1000』まで表示が駆けあがる。

 激しい便意に耐えられず、思わず床にへたり込んでしまうベン。

「あれ? 千倍止まりかぁ……」

 シアンは不満げに首をかしげると、ベンのベルトのところまでパタパタと飛び、ボタンをポチっと押し込んだ。

 バシュッ!

 再度強烈な噴射がベンの肛門を襲う。

 ぐわぁぁぁ!!

 悶絶するベン。

「な、何すんだこのクソ女神!!」

 ベンは床でもだえ苦しみながら悪態をつく。

 ポロン! と電子音がして、『×10000』の表示になった。

「うん、これならあの【ヒュドラ】に勝てるねっ」

 シアンは満足げに言うが、ベンは床で脂汗を垂らしながら失神寸前である。

 漏れる……、漏れる……、くぅぅぅ……。

「ベン君!」

 ベネデッタは駆け寄って介抱する。そして、手を組んで祈り、神聖魔法で何とか苦痛を和らげていく。

 シアンはもだえ苦しむベンを見ながら、

「これじゃヒュドラと戦えないなぁ」

 と、腕を組んで首をかしげる。

「ちょ、ちょっとトイレ……」

 ベンはよろよろと立ち上がる。

「ダメだよ! 出しちゃったらヒュドラどうすんのさ! 百億円は払えないよ!」

 他人事のシアンは好き勝手言う。

「こんなんで闘えるわけないだろ!」

 ベンは下腹部を押さえて怒る。

「うーん、困ったなぁ……」

 シアンは眉をひそめ考え込む。

 そして何か(ひらめ)いて、ポン! 手を打つと、

「よし、じゃあ戦わなくていいよ。僕が何とかするから言うとおりにして」

 と言って悪い顔で笑った。

「分かった、何でもいいから早くして!」

 ベンは脂汗を垂らしながら答える。

「まず、飛行魔法をインストールしてあげよう。出血大サービスだよっ!」

 と、いいながら、シアンはベンの身体を青く光らせた。

「これで空も自由自在に飛べるはずさ」

「え? 飛べる?」

「そう。行きたい方向に意識を向けるだけで飛べるんだゾ」

 そう言いながらシアンはベンの身体を不思議な力で持ち上げ、テラスの外へと運んでいく。

「ど、どこに行くの?」

 勝手に運ばれ、焦るベン。

 シアンはロープを出すとベンの腰の金属ベルトに結び、そして、端を金属の手すりに結んだ。

「はい、ヒュドラ向けて浮いて――――」

「いや、ちょっとそれどころじゃない……」

 お腹を押さえて苦悶の表情を浮かべるベン。

 するとシアンはニヤッと笑い、

「ひゃく・おく・えん! ひゃく・おく・えん!」

 と、耳元で囃し立てた。

 くぅぅぅ……。

 ベンは歯を食いしばる。

 そうだ。百億円! 日本でFIREな暮らしを手に入れるのだ。便意ごときに負けてはいられない!

 ベンはお腹を押さえながら行きたい方向をイメージしてみた。

 身体がグンと引っ張られ、ロープがピンと張った。

「お、いいねいいね! あー、もうちょっと右!」

 シアンは片目をつぶりながら飛ぶ方向を指示していく。

「こ、こう……?」

 ベンは何をやらされているのかよく分からなかったが、言うとおりに飛行魔法を調整していった。

「いいねいいね! じゃ、全力だして、一万倍だよ!」

 は、はぁ……?

 ベンは何度か深呼吸を繰り返すと、飛行魔法に意識を集中していった。ロープはものすごい力で引っ張られてビキビキっと音を立てている。

 やがて手すりが引っこ抜けそうになるくらい飛行魔法のエネルギーがたまると、シアンは、

「じゃぁこぶしを伸ばしてー」

 と、言った。

 金属ベルトが下腹部に食い込んでいくのに必死に耐えながら、

「こ、こうですか?」

 と、息も絶え絶えにベンは答えた。

「いいねいいねー! では、いってらっしゃーい! きゃははは!」

 シアンは嬉しそうにロープを手刀でぶった切った。