ベンが落ち着くと、ベネデッタは宝石に彩られた煌びやかなカギをベンに渡して言った。

「シアン様からこれ預かりましたの」

 えっ?

 ベンはその豪華で重厚なカギを眺め、首をかしげる。カギの持ち手の所には大きな赤いルビーを中心に無数のダイヤモンドが煌めき、アクセントにサファイアが随所に青い輝きを与えていた。

「魔王城のカギだそうですわ」

「ま、魔王城!?」

 ベンは目を丸くしてカギに見入る。魔王城なんておとぎ話に出てくるファンタジーな存在だとばかり思っていたのに、実在していたのだ。

 確かにカギの金属部分には無数に精緻な幾何学模様の筋が走り、ただ事ではない凄みを放っている。

「魔王がベン君に会いたいそうなんですわ。でも……、無理して会わなくても良いのですよ。ベン君があんなにつらい思いをしてみんなを救う必要なんて、無いと思いますわ」

 ベネデッタは心配そうにベンを見つめながら言った。

 ベンは幾何学模様の筋をそっとなでながら考える。先日シアンは言っていた。この星が消滅の危機にあり、自分なら解決できると。きっとその話なのだろう。

 この世界が滅ぶ運命ならそれでいいんじゃないか、そんなの一般人の自分には関係ない。

 シアンの自分勝手な進め方に、ふと、そんな思いも頭をよぎる。

 顔を上げると、ベネデッタは眉を寄せ、伏し目がちにベンを見ていた。その碧い瞳にはうっすらと涙が浮かび、ベンをいたわる気持ちが伝わってくる。

 ベンはそんなベネデッタを見て、心の奥に鈍い痛みを覚えた。自分の意地とかこだわりがこの女の子の命を奪うことになってしまったら、悔やんでも悔やみきれない。世界なんてどうでもいいが、この娘は守らないといけないのだ。

 自分にできる事があるのならやるべきだろう。そもそもこの命はシアンに転生させてもらったのだ。ムカつくおちゃらけた女神ではあるが恩はある。

 ベンはふぅっと大きく息をつくと、

「行きますよ。まず話を聞いてみます」

 と、ニコッと笑って言った。

 すると、ベネデッタは今にも泣きだしそうな表情をして、ゆっくりとうなずいた。


      ◇


 翌朝、ベンはベネデッタの持ってきた魔法のじゅうたんに乗せてもらい、一気にトゥチューラの上空へと飛び上がっていった。

「うわぁ! 凄い景色だ!」

「うふふ、我が家に伝わる秘宝ですの。魔石を燃料にどこまでも飛んでいってくれますのよ」

 ベネデッタは自慢気にそう言いながらさらに高度を上げていく。

 宮殿は見る見るうちに小さくなり、トゥチューラの街全体が一望できる。そこには美しい水路が縦横に走り、朝日を浴びてキラキラと輝いていた。

 魔王城の在りかはカギが教えてくれる。ひもに吊るしたカギは、コンパスのように常に一方向を指し続けていた。

 ベネデッタはそれを見ながらじゅうたんを操作し、軽やかに飛んでいく。暗黒の森をどんどん奥へと進み、丘を越え、小山を越え、稜線を越えていった。

「いやぁ、これはすごいや!」

 ベンはワクワクしながらどんどん後ろへ飛び去って行く風景を楽しむ。

 ベネデッタは風にバタつくブロンドの髪を手で押さえながら、キラキラした目ではしゃぐベンを愛おしそうに見つめた。

 やがて、遠くに岩山の連なる様子が見えてくる。その異質な見慣れない風景にベンは眉をひそめ、運命の時が迫ってくるのを感じた。

 すると、急に濃霧がたち込め、真っ白で何も見えなくなる。

「うわぁ、なんですの、これは……」

 ベネデッタは困惑し、じゅうたんの速度を落とす。急に発生した明らかに異常な濃霧。自然現象というよりは誰かによって生み出された臭いがする。

 ベンはカギの動きをジッと見定めた。すると、変な動きをしているのに気が付く。

「あ、ここは迷路ですね」

「えっ? どういうことですの?」

「この濃霧の中では進む方向を勝手に曲げられてしまうみたいです。なので、ゆっくりとカギの指す方向へ行きましょう」

「わ、分かりましたわ」

 ベネデッタはカギの方向をみながらそろそろと進み、カギが回るとその方向へ舵を取った。

 濃霧の向こう側からは時折不気味な影が迫っては消えていく。その度にベンは下剤の瓶を握りしめ、冷や汗を流した。何らかのセキュリティ機能ということだろうが、実に心臓に悪い。


 急にぱぁっと視界が開けた。

 穏やかな青空のもと、中国の水墨画のような高い岩山がポツポツとそびえる美しい景色が広がっている。そしてその中に、巨大な城がそびえていた。よく見ると、城は宙に浮かぶ小島の上に建っている。

 うわぁ……。すごいですわ……。

 二人はそのファンタジーな世界に息をのむ。

 城は中世ヨーロッパのお城の形をしており、天を衝く尖塔が見事だったが、驚くべきことに城全体はガラスで作られているのだ。漆黒の石を構造材として、全体を青い優美な曲面のガラスが覆い、随所(ずいしょ)にガラスが羽を伸ばすかのような装飾が優雅に施されている。そして、ガラスにはまるで水面で波紋が広がっていくような優美な光のアートが展開され、お城全体がまるで花火大会みたいな雰囲気をまとった芸術作品となっていた。

 その、モダンで独創性あふれる圧倒的存在感に二人は言葉を失う。

 魔王城なんて魔物の総本山であり、汚いドラキュラの城みたいなものがあるのかと思っていたら、極めて未来的な現代アートのような美しい建造物なのだ。

 これが……、魔王の世界……。

 ベンは魔王との会合が想像を超えたものになるだろう予感に、鳥肌がゾワっと立っていくのを感じていた。







26. 懐かしの飲み物

 美しいガラスの彫刻が多数施されたファサード前に静かに着陸した二人は、顔を見合わせ、ゆっくりとうなずきあい、玄関へと歩いていく。

 ガラスづくりなので中は丸見えである。どうやら広いロビーになっているようで、誰もおらず、危険性はなさそうだった。

 玄関の前まで行くと、巨大なガラス戸がシューッと自動的に開く。そして、広大なロビーの全貌(ぜんぼう)が露わになる。それはまるで外資系金融会社のオフィスのエントランスのようなおしゃれな風情で、二人は思わず足を止めた。

 大理石でできた床、中央にそびえるガラスづくりの現代アート、皮張りの高級ソファー。その全てがこの星のクオリティをはるかに超えている。

「こ、これは……、す、すごいですわ……」

 その見たこともない洗練されたインテリアに、ベネデッタは圧倒される。

 もちろん、トゥチューラの宮殿だって豪奢で上質な作りだったが、魔王城は華美な装飾を廃した先にある凄みのあるアートになっており、この国の文化とは一線を画していた。

 魔王って何者なんだろう?

 ベンはガラスの現代アートが静かに光を放つのを眺めながら、眉をひそめる。

 コツコツコツ……。

 ロビー内に靴音が響き、ベネデッタはベンの腕にそっとしがみついた。

 靴音の方を見ると、タキシードを着込んだヤギの魔人が歩いてやってくる。首には蝶ネクタイまでしている。

 近くまで来ると、うやうやしく頭を下げながら言った。

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 二人は怪訝そうな顔で見つめあったが、ヤギの所作には洗練されたものがあり、敵意はなさそうだった。うなずきあい、ついていく。

 ヤギの案内した先はシースルーの巨大なシャトルエレベーターだった。こんな立派なエレベーター、日本でも見たことが無い。二人は恐る恐る乗りこんでいく。

 扉が閉まってスゥっと上品に上昇を始める。うららかな日差しが差し込み、外には幻想的な岩山が並んでいるのが見えた。この風景を含め、魔王城はアートとして一つの作品に仕立てられたのだろう。

 エレベーターなんて初めて乗ったベネデッタが、不安そうな顔をしてベンの手を握ってくる。ベンはニコッと笑顔を見せて彼女の手を握り返し、優しくうなずいた。


 チーン!

 最上階につくと、

「こちらにどうぞ」

 と、ヤギに赤じゅうたんの上を案内され、しばらく城内を歩く。

 廊下の随所には難解な現代アートが配され、二人は神妙な面持ちでそれらを見ながら歩いた。

 ヤギは重厚な木製の扉の前に止まると、コンコンとノックをして、

「こちらでございます」

 と、扉を開く。

 そこは日差しの差し込む明るいオフィスのようなフロアだった。

「えっ!? ここですの?」

 ベネデッタは驚いて目を丸くする。

 ウッドパネルの床に観葉植物、上質な会議テーブルにキャビネット、そして天井からぶら下がる雲のような優しい光の照明、全てがおしゃれで洗練された空間だった。

 見回すと、奥の方にまるで証券トレーダーのように大画面をたくさん並べて画面をにらんでいる太った男がいた。

「え? あれが魔王?」

 ベンはベネデッタと顔を見合わせ首をかしげた。

 魔物の頂点に立つ魔王が、なぜ証券トレーダーみたいなことをやっているのか全く理解できない。

 恐る恐る近づいていくと、男は椅子をくるっと回して振り返った。そしてにこやかに、

「やぁいらっしゃい。悪いね、こんなところまで来てもらって」

 と、にこやかに笑う。丸い眼鏡をした人懐っこそうな魔王は、手にはコーラのデカいペットボトルを握っている。

「コ、コーラ!?」

 ベンは仰天した。それは前世では毎日のように飲んでいた懐かしの炭酸飲料。それがなぜこの世界にあるのだろうか?

「あ、コーラ飲みたい? そこの冷蔵庫にあるから飲んでいいよ」

 そう言って魔王は指さしながらコーラをラッパ飲みした。

 ベンは速足で巨大な銀色の業務用冷蔵庫まで行ってドアを開けた。中にはコーラがずらりと並び、冷蔵庫には厨房用機器メーカー『HOSHIZAKI』のロゴが入っている。

 ベンは唖然とした。異世界に転生してすっかり異世界になじんだというのに、目の前に広がるのは日本そのものだった。

 トゥチューラでの暮らしは、良くも悪くも刺激のない田舎暮らしである。秒単位でスマホから流れ出す刺激情報の洪水を浴び続ける日本での暮らしと比べたら、いたってのどかなものだ。しかし、今この目の前にあるHOSHIZAKIの冷蔵庫は、日本での刺激あふれる暮らしの記憶を呼び起こし、ベンは思わずブルっと震えた。

「これは何ですの?」

 ベネデッタが追いかけてきて聞く。

 しかし、ベンは回答に(きゅう)した。ちゃんと説明しようとすると、自分が転生者であることも言わないとならない。それは言ってしまっていいものだろうか?

 ベンは大きく息をつくと、

「とあるところで飲まれている炭酸飲料だよ。飲んでみる?」

 そうごまかしながら一本彼女に渡す。

「炭酸……? うわっ! 冷たい」

 ベネデッタはその冷たさに驚き、そして、初めて見たペットボトルに開け方も分からず、困惑しきっていた。