それから10分後。

私は菊江さんとちゃぶ台を挟んで向き合っていた。

ジャケットを羽織って家を出る要さんと一緒に帰ろうとした私を、菊江さんが引き留めたのだ。

「ミチルさんと、もう少し話がしたいんだけど、どうだい?」

「えっと・・・」

「駄目かい?」

菊江さんは目に見えない圧をかけてきた。

「バアちゃん!ミチルちゃんをイジメないでくれよ。」

「そんなことするもんか?ねえ?ミチルさん。」

「ハイ・・・」

私は大きく頷くと、要さんの背中を押した。

「要さんは急いでお友達のところへ行ってあげてください。私は大丈夫ですから。」

「適当に切り上げて帰っていいからね?じゃあ行ってくる。」

心配そうな顔をしながらも、要さんはショルダーバックを肩にかけ、家から飛び出して行った。

そして今現在、私はちゃぶ台の向こうでじっと私を見透かすようにみつめている菊江さんの視線におびえていた。

「さて。ミチルさん。要のコレクションを見てどう思った?正直に答えてみな?」

え?なに?何を試されているの?

「あの鉄道模型のことですか?」

「そう。」

「えっと・・・スゴイですね。」

「ドン引きしなかったかい?」

「いえ!あれだけ集めるの大変だったと思いますし、夢中になれる趣味があるっていいことだと思います。」

「他人事みたいに言ってるけど、結婚したらアンタにも関係してくるんだよ?アレは結構お金もかかるし・・・アンタはそれを許せるかい?」

私は要さんと結婚した場合の、家計の収支を頭で巡らせた。

公務員は職場結婚が多くて、しかも共働きがほとんどだ。

なぜなら福利厚生がしっかりしていて、子供が出来ても育児休暇が取りやすいからだ。

もし私と要さんが結婚して共働きするとしたら、お給料もボーナスも2倍だから、鉄道模型の値段はわからないけれど、少しくらいの趣味の出費なら充分賄えるだろう。

「大丈夫です!私もレトロ雑貨収集が趣味なので、コレクターの気持ちはわかるつもりです。もちろん予算は話し合いが必要だと思いますけど・・・。」

さすがにボーナス全部を鉄道模型に使われては困る。

「あ、そう。じゃあ、それは及第点だわね。」

なにやら要さんの花嫁としての資質を問われているみたいだ。

菊江さんの声が少し曇った。

「じゃあミチルさん。要の両親のことは聞いてるかい?」

「いえ。」

たしかにおばあ様と二人暮らしだとは聞いているけれど、要さんのご両親については何も聞かされてはいない。

「要の花嫁候補なら知っておいて欲しいんだけどさ。」

「はい。」

私は背筋を伸ばした。

「要の母親でアタシの実の娘である涼子は、要が5歳のときに病気で死んだんだよ。若年性のガンでね。気づいたときはもう手遅れだった。涼子は要のことを最後まで心配しながら逝ったんだ。」

「・・・・・っ。」

「それはそうと、要の父親、あの男はすぐに他の女と再婚したんだ。相手の女が妊娠したから出来ちゃった婚ってやつだよ。それで要が邪魔になったんだろうね。アタシに要を押し付けて、自分だけ幸せな家庭ってやつを手に入れたのさ。酷い親だろ?」

「・・・そうですね。」

「そんな環境に置かれても、要は泣きごとひとつ言わない、優しくて素直な人間に育ってくれた。それが私の誇りでね。あの子だって本当は淋しかっただろうし、ひとりで泣いた夜だってあっただろうよ。」

・・・でも要さんはお父さんとの思い出を大切にしている。

お父さんを恨まないで生きて来た要さんは、やっぱり優しくて強い人だ。

菊江さんは視線を居間に置いてある仏壇に向けた。

仏壇にはまだ若くて笑顔が優しい女性の写真が飾られ、菊の花が手向けられている。

あれが要さんのお母さんなのだろう。

「だから要には気立てが良くて誠実で心優しい、要だけを愛してくれる女性と結ばれて、世界一幸せになって欲しいんだ。

この気持ち、わかってくれるだろ?」

「はい。わかります。」

「アンタは要を幸せにする自信はあるのかい?」

「も・・・・・」

もちろんです、と言いかけて私は言葉を失った。

どうしよう。ちゃんと答えられない。

だって私は・・・・。

「ふん。大事なところでダンマリかい?・・・それはそうと。」

菊江さんの重々しい口調が、急に軽くなった。

「ミチルさん。」

「ハイ。」

「アンタ、なんでそんなヘンテコリンな化粧しているのさ。」

「えっ?!」

「要の目は誤魔化せても、アタシの目は誤魔化せないよ。アタシはこれでも大手百貨店の化粧品売り場で美容部員を長らくやっていたんだからね。」

え、ええええーーー!!

だからこんなに粋で若々しいんだ・・・謎が解けた・・・って言ってる場合じゃなくて!

「きっと素顔のアンタは儚げな美人さんなんだろう?どうしてそんなダサ眼鏡をかけて変なメイクをしているのさ。もしかして要をダマして何か企んでいるのかい?場合によってはアンタを許さないよ?」

菊江さんの睨みを効かせた目つきに、私は恐れおののいた。

「ち、違うんです!これには理由がありまして・・・。」

「どんな理由だい!きれいさっぱり吐いてもらうよ!」

私は観念して、最初から順を追って、菊江さんに全てを話した。

菊江さんは目を瞑って私の話を静かに聞いていた。

そして全てを聞き終えると、カッと目を見開いた。

「こんの馬鹿娘!」

「すみません!!ほんと、こんなつもりじゃなかったんです!」

私はペコペコと何回も頭を下げた。

「ま、終わってしまったことは仕方がない。それじゃ、アンタの本当の名前は臼井ちさっていうんだね?」

「はい。そうです。」

「それで?」

「あ、これで終わりです。」

「そんなことはわかっているよ!アタシが聞きたいのはこれから先のことだよ!」

「これから先・・・」

「いつまでその猿芝居を続けるつもりなんだい?」

「それはっ!今日、要さんに本当のことを言うつもりでした。それで臼井ちさとして要さんに好きになってもらおうと努力しようと・・・」

「アンタが要を好きっていう気持ちは本当なんだね?」

「はい!それは本当です。信じてください。」

「わかった。」

菊江さんは私に厳しい目を向けて、こう告げた。

「ニセモノの幸田ミチルだろうとなんだろうと、要はアンタに惚れているんだ。それはわかっているんだろ?」

「はい・・・。」

「だったら今度は臼井ちさとしてのアンタを要に惚れさせるんだ。いいね!」

「でも、どうやって・・・・」

「それは自分で考えな。」

「そんな!」

「それで、今度この家の敷居をまたぐ時は、要にアンタを臼井ちさって紹介させな。幸田ミチルで来たらアンタを追い出すけど、臼井ちさで来たら認めてやるよ。」

「・・・・・・。」

「それが出来なかったら、要を諦めてもらうしかないね。」

「はい・・・。」

もう私はこの家の敷居をまたげないかもしれない。

「あの・・・ひとつだけ菊江さんにお尋ねしたいことがありまして。」

「なんだい?」

「要さんの元カノとか、紹介されたことありませんか?その元カノさんて美人でした?ブサイクでした?」

菊江さんは記憶を辿っているのか、少し黙り込んだあと、「要から彼女を紹介されたことなんてないね。」と吐き捨てた。

「女を紹介されたのはアンタが初めてだよ。それだけ要がアンタに本気だってことだろ?」

「・・・・・・。」

「元カノがどうしたのさ。」

「要さんってB専なのかなって。」

「B専ってなんだい。かっぱえびせんなら知ってるけどさ。」

「B専っていうのはブサイク専門ってことです。ブスを好きになる体質?っていうか・・・」

「ふーん。確かに今のアンタの顔が好きっていうなら、要はB専ってヤツなのかもしれないけどねえ。」

菊江さんはそう言って、そばで寝そべっていたケンケンの顔をじっと見た。