遡ること1日前。

 天妖族の住まい、地下の天界といわれる秘境フェンリル国にて。そこは、いつも通り平穏な日常風景が広がっていた。
 
 季節は春、この秘境が一層華やぐ季節だ。少女、イヴ・グレイシアは、赤、ピンク、黄色と色とりどりのチューリップが並ぶ花壇を眺めながら、学び舎へ向かっていた。

 周りを見渡せばチューリップだけではなく、アネモネ、ポピー、ビオラ、木々にはハクモクレン、ハナミズキなどの花が競うように咲き乱れている。

 通学途中、そんな色とりどりの花園の中に一際輝くキラキラした金色が目に入る。イヴは、すぐにそれが誰のものか分かって、一瞬にして小さな体に緊張が走った。

 それは、ソフィアという少女の綺麗な長い金髪。春風に靡かれた、その髪を耳にかける些細な仕草さえ絵になる。金色の長いサラサラの髪に、空を映したようなスカイブルーの透き通るような瞳。

 容姿端麗な天妖族の中でも、一際群を抜いて彼女は美しく、逸材の美少女と名高い彼女は卒業前から貴族へ嫁ぐことが決まっており、皆から一目おかれる存在だった。


 そのソフィアもイヴに気付いたのか、声をかけてきた。

「イヴ、おはよう」
「お、おはよう、ございます」

 元々、イヴは吃音だったが特にこのソフィアを前にすると症状が悪化した。いつもソフィアはイヴに何かと自分の雑用を押し付けてきたり、意地悪を言ったりするので彼女を苦手にしていたのだった。

 だけど今回は挨拶だけで通り過ぎて行ったので、イヴはほっと胸を撫で下ろした。

 後ろから見ても彼女の姿はやはり別格だ。白く細長い四肢に、小さな顔、そこにあの綺麗な瞳と、品のある鼻と口がくっついているのだ。イヴにとって苦手な人物であっても思わず見惚れてしまう。

 
 この国の人間は、男女ともに顔の造りが繊細で、肌は透き通るように白かった。
 金色やベージュと淡色の髪色に、瞳の色はスカイブルーやヘーゼル、グリーンなど色素の薄い民が多く、その綺麗な容姿は天使に例えられることもあり、それは天妖族といわれる由来ともなっていた。

 
 そんな天使が住まう国・フェンリルは、他国との交流が乏しい国だが、時折訪れる他国からの商人からは、まるで地下の天界と称されていた。 

 なぜ地下かと言うと、ここが直径1km程の大穴に地下300m程の深さの、巨大な地下空間に住んでいたからだった。
 総人口3000人程の小さな集落を形成し、外界から隔絶するために穴の上層には大木が横に生えられ、国への出入りを内外から阻害した。
 また、風通しを良くするために穴の土壁に穴を開け、地上と繋がる排気口を作ったり、近くの川から水を引いて、飲み水の井戸を設置したり、生活用水用のため池を作るなど、地下とはいえ地上と変わらない生活環境であった。
 また、あまり雨も降らないことも幸いした。もちろん時々降る雨のために、ダムも数か所設けていたが。


 この巨大空間は三層に分けられ、最上層は食品や衣類、生活雑貨などを売るお店が連なり、他国から来る限られた商人は、この最上層の出入りだけ許可されていた。

 中間層は民の居住区や、学校や教会などの公共施設が建ち並んでいた。大体のはこの中間層と最上層のみの往来しか許されず、最下層は限られた大人のみ出入りすることができた。

 その最下層はほとんど日の当たらない層で、昼間でも薄暗いため、常に一定の間隔でポツリポツリとランタンの灯りが付いていた。地下とあって花以外に景観が少ないこの国では、それは、とても綺麗な幻想的な光景であった。
 
 シルヴィア女王と、その数少ない世話係や国の要人などの住まいがそこにあり、その最下層深部へは子供や一般人が入ることは固く禁じられていた。

 三層の往来は大きな螺旋階段で行っていた。中間層と最上層は複数箇所設置され、壁側には階段も作られており、大きな荷物や資材などは、滑車式のエレベーターで移動させていた。最下層へ繋がる螺旋階段は一つだけだったが、その門前には常に番人が立っており、許可証なく最下層へ立ち入ることはできなかった。

 世界からほぼ隔絶され、更に大穴深部へは限られた者しか立ち入れない。
 まさに秘境という名に相応しい国だった。