「……俺、中学の時学校でとてつもなく浮いてたから、物好きな女子生徒に時々変に好かれてて……。だから、いろんな生徒に告白される時期があった。そういう人って俺と一度も話したことないようなやつばっかで、片っ端から拒否してたもんだから、あんまり覚えてなくて。そういえば告られたなって気がついたのは、この前偶然会った日曜、ボコボコにされて帰ったあとで……」

 そういえば、日曜に多田さんと会った時、多田さんのそばにいたのはどこか奇抜で恐れを知らなそうな友達ばかりだった。
 偏見の目で見れば、植村くんほどではないにせよ、小さな校則違反くらいは躊躇なくやってしまいそうな人たち。
 多田さんが佐倉さんと一緒にいた頃のことはわからないけれど、学年が上がるにつれ、そういう人が好きになっていったのかもしれない。

「俺、デリカシーないから、多田にはっきり言った。あんたに興味ないって。だからお前への嫌がらせが始まったんだ。俺がひどい対応をしたから、その当てつけなんだよ」
「そんなこと……。だって別に、植村くんが多田さんを振ったことと私は関係ないし」
「違う。……悪い。俺、お前の名前出しちゃったんだ」

〝俺、お前のクラスのカサイシオリと付き合ってっから〟

 そう言った、という植村くんに、体が固まってしまった。
 でも固まったのは、そのせいで私が多田さんのターゲットになったからじゃ、ない。
 植村くんが、私と付き合っている、とはっきり言ったことに驚いていた。
 ある程度大人になると、「付き合おう」という言葉もなくお付き合いが始まることがあると、ドラマで見たことがある。
 でも、植村くんも、そういう感覚だったんだ。
 付き合ってた……。
 私が。
 植村くん、と。
 やっぱり、そうだったんだ。
 たしかに振り返ると、お金がなくてそれらしいデートはした記憶はないものの、いつも一緒にお昼ご飯を食べたり、公園でのおしゃべりに付き合わされていた。
 数メートルだけだったけど、手をつないで歩いた時は、どきどきした。
 少し汗ばんだ手のひらから植村くんの体温が伝わってきて、前を行く植村くんの背中を見ていると、何も考えられなくなって……。

「申し訳なくて、言えなかった……。俺のせいでお前がひどい目に遭ってるなんて、言い出せなかった。それで、自分の力でなんとかしようとお前に言わずに多田を呼んだら、多田が他の男らも連れてきてて、ついそこで乱闘になって」
「……え⁉︎」
「それで停学になって、じーちゃんのところに引き取られることになったんだ。でもお前をこんな目に遭わせたあげくに引っ越すこと、どうしても言えなくて……。停学明けて転校する前まで、普通の顔しかできなかった。それで……最後に、願ったんだ。あんな迷信、信じてなんかなかったけど。有名な、願いが叶う池に」

〝俺と笠井栞莉が付き合っていた記憶が、俺からも栞莉からも、他のあらゆる人たちの全員の記憶から消えますように〟

 植村くんがそう呟いた瞬間、あの真っ暗な池の中から、〝池の神さま〟がじっと植村くんを見つめている光景が目に浮かんだ。
 その願いは……叶えられたんだ。
 彼も、別れた彼女のことを忘れてしまいたいと思っていたから。
 植村くんの気持ちに共感した。
 そして、植村くんと私が付き合っていたという記憶は多田さんの中からも消えて、多田さんが私を狙う理由もなくなった。

「……でも、結局、いじめはなくなってなかったんだな」

 たしかに、その後も多田さんのいじめはなくならなかった。
 それはたぶん、私をいじめることがごく自然な行為だったからだろう。私はいじめられ役として、元々適任だったから。
 植村くんに振られたからという言い訳がなくなっても、いじめは続いていった。

「ごめん……俺、お前のことを思い出すのもつらくて、全部忘れようとした。でもそのせいで、お前は俺の知らないところで、三年以上も苦しんでたんだよな」

 植村くんが苦しそうに声を発する。小さく丸まった背中を見つめていると、私も苦しくてどうしようもなくなった。
 呪いが解かれて、今日までの時間。
 植村くんはいろいろな事実に気づいて、ずっと苦しんでいたのだろうか。
 なんと言って私に打ち明けようか、ずっと考えていたのだろうか。
 そして勇気を出して今日、ここへ来た。いろんな覚悟と、想いを持って。
 なのに……。
 私は今、まったく別のことを考えていて。
 自然と、涙が落ちてしまった。
 我慢しようと口元に手を当ててみるけれど、やっぱり耐えきれずに小さく声が出てしまう。それに気づいて植村くんが顔を上げた。
 私の顔を覗き込むようにして見てくる植村くんも、ほんの少しだけ、目が赤い。

「ごめん。ごめん……」
「……違うの。私、うれしくて」

 そこにあった、植村くんの左手に触れた。
 ごつごつした大きな手は、中学の頃はじめて学校の帰り道でつながれた時と同じ、やさしい温度をしていた。

「植村くん……ありがとう。植村くん、私のこと何も知らなかったのに、二回も私を見つけてくれてたんだね」

 そういうと、また涙が溢れた。
 ——一度目は、中学一年生の頃。
 たった一人、学校の裏でお昼を食べていた時。
 ——二度目は、高校一年生の頃。
 駅のホームでコーラをかけられて、ショックと悲しみに耐えていた時。
 どっちの時も、植村くんにとって私はなにも知らない赤の他人だったのに。
 植村くんは、私を見つけてくれた。
 躊躇なく、私に声をかけてくれた。
 ただそれだけのことに、私がどれだけ救われたのかわからない。
 どんなにきつい言葉をかけられても。ぶしつけな態度を取られたとしても。
 心の奥で私は、私のことを見つけてくれた彼に、うれしさを感じていた。

「私……植村くんと会わなかったら、今でも一人きりだって思い込んでたかもしれない。理由もなくいじめに遭って、すべてを諦めてたかもしれない。私は植村くんと会えてよかったと思ってるよ。だから、謝らないで」

 孤独の海に沈んでいた。水面の向こうから見ていているくれる人はいたのに、私はその人たちを信じることができなくて、傷つきたくなくて、見ないようにしていた。
 それを、無理やり海の上まで引っ張り上げてくれたのが植村くんだった。
 それから、気づいたんだ。お母さんの他にも、私を見てくれる人はいること。世界をよく見たら、最低最悪の状況でも、どこかにやさしく私を見守っていてくれる人はいるってこと。
 一人だけど、一人じゃなかった。
 そう、感じさせてくれたから。
 きっと私は、出会った頃から……。
 植村くんのことが好きだったんだ。

「……ごめん、な」

 植村くんは呟くと、私が彼の手の甲に乗せていた手を拾い上げて、そっと握った。
 ゆっくりした、動作。
 子猫にでも触れるような、おそるおそるとした触り方。
 いつも距離は近いのに、本当に触れようする時は、やさしい。中学の頃に手をつながれた時もそうだった。

〝お前、人多い時たまに迷子になるからさ……。でも、手、暑かったら離すから言えよ〟