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 植村くんと別れてからも、私は家に帰らなかった。
 わざと知らない道を通って、道なりに歩いて、知らない公園にたどり着いた。大型マンションに併設されている、子どもたちの小さな遊び場。
 植村くんの真似をしてブランコに座り、何をするでもなく、ぽつぽつとついていく幸せそうな窓明かりを眺めていた。
 スマホの電源は、植村くんと別れた直後に切っていた。
 だから、もし植村くんから電話が入っていたとしても今は気づかない。気づいて、また心が揺れたりでもしたら嫌だから。
 もう、植村くんには会わない。
 全部の記憶を忘れてもらわなきゃ。これ以上、彼に負担をかけないために。
 植村くんの記憶が消えるのは明日の二十四時。時間はまだまだ先だけれど、無心のままブランコに座っていると次第に心がしんとしてきて、植村くんとの縁が切れるカウントダウンも自然と受け止めることができそうに思えた。
 ただ、いつまでもここにはいられない。
 そろそろ家に帰らなきゃいけない。お母さんもそのうち帰ってくるだろうし、制服のままいつまでもこんなところにいたらそのうち補導されてしまいそうだ。
 一人で隠れる場所も寝る場所も選べない私は、どんなに強がっていても無力な子どもなのだと痛感する。
 植村くん、家に来てないといいけど……。
 意を決して立ち上がり、来た道を戻った。
 真っ暗な夜道は寂しく、気配といえばゴミ捨て場の隅から顔を出す野良猫だけ。
 猫は、一人ぼっちでも寂しいとは思わないのだろうか。しゃがみ込んで手を差し出してみたけれど、私の存在なんてどうでもいいと言わんばかりに逃げられてしまった。
 そのまま路肩に小さくなって、しばらく縮こまる。
 おそるおそるスマホを取り出し、電源ボタンを押した。
 今は二十二時。お母さんが家に帰るには少し早いけれど、もし帰っていたら部屋に私がいないことに気づいて心配しているだろう。
 もう帰っていて、私に電話をした履歴が残っていたら、折り返して植村くんが家まで来ていないか聞いておきたい。
 そうじゃないと、なんだか怖くて帰れない。
 スマホが起動すると、淡い青紫の壁紙が音もなく表示された。
 それと同時に、電話アプリに未読マークがついているのが目に入った。
 三件留守電が入っているけれど、お母さんからじゃない。さっきまで会っていたばかりの、あの人。
 ……こんな留守電、聞かなくていいのに。
 結局私は、心の奥で植村くんの連絡を待っているのだろうか。
 神社で別れてまだ数時間しか経っていないのに。
 やっぱり私は、弱い。

『明日はいつも通り、十一時に井澄神社だからな。絶対来いよ』

 今から三十分前のメッセージだった。
 念押しの、連絡。私の決意が固いことはわかってるはずなのに、それでも植村くんは引かない。
 でも、もう決めたから。
 何を言われたって、私の決心は揺るがない。
 気持ちを切り替えて、次の留守電を聞く。
 今から一時間前のものだ。

『さっき塚っちから電話来て、すげーことがわかったから。明日話すから、ちゃんと来いよ!』

 ……え?
 すごいことって……。
 何?
 呪いを解くきっかけになるくらいの情報?
 それとも……私を誘き出すための、ただのうそ?
 動揺してしまう。今まで池の調査をしてきて、有力な手がかりなんて手に入ったことはなかったから。
 でも……どちらにしたって、もう植村くんには会わない。
 塚本先生には申し訳ないけれど、何かわかったところで私の呪いを解けるとも思えないし。
 ごめんなさい、先生。
 せっかく調べてくれたのに……。
 最後の未読の留守電をタップしようと指を向ける。
 その時、画面に表示されている文字が〝植村陸〟ではなく、見知らぬ電話番号であることに気づいた。
 誰?
 今から三時間前の電話。お母さんなら番号を登録しているから画面には〝お母さん〟と表示されるはずだし、友達のいない私には他に電話をかけてくる人の心当たりはない。
 なんだろう。
 ただの、営業電話?
 タップしてスピーカーに耳を当てると、なぜかえも言われぬ不安感が襲ってくる。
 そして。
 その嫌な予感は、当たってしまった。

『もしもし、金内医科大学付属病院の山本と申します。笠井栞莉さんのお電話で間違いないでしょうか。笠井典子さんのことで、お話があるのですが』