*
帰りのホームルームが終わって外へ出ると、すぐに植村くんに電話をかけた。
でも、出ない。今すぐ話したいのに、何度かけても留守電になってしまう。
どうして。この前はすぐに出てくれたのに。
もしかしたら、電車にでも乗っていて今電話に出られる状況じゃないのだろうか。
もしくは、トイレに入ってるとか。また成績の件でおじいちゃんにスマホを取り上げられてて、電話に気づいていないとか。
それでも混乱する頭が、間を置かずに何度も電話をかけてしまう。
なんで。
どうして。
本当に、謹慎してるの?
あらゆる可能性が頭をよぎる。でも間違いないのはただひとつ、謹慎の原因は、植村くんと多田さんたちが会った日曜にあるということだった。
私が逃げてしまったあと、植村くんと多田さんたちは口喧嘩をしただけじゃない。他の何かがあったとしか思えない。
でも、なんで謹慎なんて……。
恐れていたことが起きてしまった。
誰かを巻き込んじゃいけなかったのに。
……私の、せいだ。
何度電話をかけても出ない。電話に出られない理由なんていくらでも思いつくのに、意図的に出ないんじゃないかという気持ちが抜けきれない。
駅へ向かう道を歩きながら、自分の体重が倍くらい重くなっているような感覚に囚われていた。
本当に自宅謹慎をしているなら、今頃家にいるはず。
植村くんの自宅まで押しかけてしまいたいけど、住所がわからない。知っていたところで、そんなことをしたら迷惑かもしれないけれど。
今……話したいのに。
気づくと駅を通り過ぎ、足が井澄神社へと向かっていた。
ここに通うようになって二ヶ月と少し、勿忘の池はすっかり〝植村くんといつも一緒にいる場所〟という記憶で塗り替えられていて、それだけでなんとなく足が向いてしまった。
ふらふらしながらも石段の前にたどり着き、一段一段を上っていく。
平日のまだ日がある時間に来るのは久しぶりで、なんだか知らない場所のように見えた。
植村くんのいない勿忘の池で、いったん頭を冷やそう。
そう思って来たのに。
雑木林をまっすぐに進んだ先にある、池のほとりのベンチ。そこに思いがけず、植村くんが座っている姿が見えた。
植村くんがちゃんと学校に通っていたら、いるはずのないこの時間。
植村くんはベンチに座り、緑の奥に隠れた夕空を見つめている。
「……植村くん」
呼びかけると、覇気のない顔がこちらを向いた。
すぐには私が誰だかわからなかったようで、植村くんは数秒私を見つめてから体を起こした。
でも、その表情は変わらず電源がオフになったスマホみたいで、いつもの騒々しさがない。
「……あれ。お前、なんで……」
植村くんの疑問に言葉をかぶせようとしたけれど、声が出なくなってしまった。
植村くんの脇に、教科書なんて一冊も入ってなさそうなぺったんこの鞄が放置されていたからだ。
他にも、脱ぎ捨てられたブレザー。コンビニで買ったらしい食べかけのおにぎりと、オレンジジュース。
私が何度も着信を入れたはずの、スマホも。
そして、表情だけじゃない——いつもとは違う植村くんの〝顔〟に、胸が張り裂けそうになった。
「……その、傷」
左顎の辺り。
アザができていた。
治りかけの、黄色いアザ。
……今朝も昨日も駅のホームで見ていたのに、気づかなかった。
向こうのホームまでは距離があるし、屋根があるから顔の細部までは暗くて見えない。
植村くんが、あー、と声を上げながら左の首筋を撫でる。
「……ケンカしちゃって。昨日、フリョーに絡まれてさぁ。あ、フリョーは俺も同じかぁ」
「うそ!」
つい大きな声が出てしまった。
植村くんが視線を背け、伸ばした足先を見つめる。
「日曜に会った子……多田さんが、言ってたの。植村くん、他校の生徒を殴って、謹慎になったって……」
他校の生徒。
それは日曜日、多田さんの後ろにいたあの男の子たちのことだ。
多田さんは、植村くんと男の子たちが言い合いになって手を出してきたのだと言った。そして植村くんと同じ高校の女子友達に協力してもらい、植村くんのその後どうなったかを教えてもらっていたらしい。
私がいなくなったあとに、そんなことがあったなんて……。
悔しくて、言葉にならない。
「……自業自得だよなぁ」
へら、と笑う植村くんに、また一歩近寄った。
パーカーの奥、まくられた袖の奥にもまだ治っていない紫のアザが見える。一方で、手の甲はきれいなままだ。
喧嘩をした人なんて見たことはないけれど、もし男の人三人を相手にしたとしたら自分の手もただではすまないはず。
「……殴って、ないでしょ……?」
動画を撮る、なんて言っていた多田さんから喧嘩中の動画を見せられなかったことからも、殴ったなんてうそだとわかる。
でもそれ以前に、私は植村くんのことを信じていた。
植村くんは人を殴ったりしない。怒りにまかせて行動せずに、ちゃんと言葉で解決しようとしていた。
私は中学の頃の植村くんを知らないけれど。今の植村くんは、まっすぐで、正直で、本当は……いい人。
反省した、と口にしていた植村くんが、また人を傷つけることなんてしない。
なのに、どうして謹慎になんてなるのか。
「……でも、最初に挑発したのは俺だから」
目を閉じて語る植村くんは、すべてを受け入れているように落ち着いている。
一方で、私はまた自分の感情に振り回されていた。
「……最初に、底辺、って言ってきたのは向こうだよ」
「そのあと、俺の方が強く詰め寄ったんだ」
「でも、殴ってない……。なのに植村くんが、どうして」
「もう決まったことだから」
「私が学校に言うから!」
植村くんが首を振る。
今は植村くんの方が、大人に見えた。
「謹慎一週間。お前が何か言っても味方してるだけだと思われるだろうし、その場にいなかったんだから証拠にはなんねーよ。手を出してようが出してなかろうが関係なくて、俺は風紀を乱したからこういう罰則なわけ」
帰りのホームルームが終わって外へ出ると、すぐに植村くんに電話をかけた。
でも、出ない。今すぐ話したいのに、何度かけても留守電になってしまう。
どうして。この前はすぐに出てくれたのに。
もしかしたら、電車にでも乗っていて今電話に出られる状況じゃないのだろうか。
もしくは、トイレに入ってるとか。また成績の件でおじいちゃんにスマホを取り上げられてて、電話に気づいていないとか。
それでも混乱する頭が、間を置かずに何度も電話をかけてしまう。
なんで。
どうして。
本当に、謹慎してるの?
あらゆる可能性が頭をよぎる。でも間違いないのはただひとつ、謹慎の原因は、植村くんと多田さんたちが会った日曜にあるということだった。
私が逃げてしまったあと、植村くんと多田さんたちは口喧嘩をしただけじゃない。他の何かがあったとしか思えない。
でも、なんで謹慎なんて……。
恐れていたことが起きてしまった。
誰かを巻き込んじゃいけなかったのに。
……私の、せいだ。
何度電話をかけても出ない。電話に出られない理由なんていくらでも思いつくのに、意図的に出ないんじゃないかという気持ちが抜けきれない。
駅へ向かう道を歩きながら、自分の体重が倍くらい重くなっているような感覚に囚われていた。
本当に自宅謹慎をしているなら、今頃家にいるはず。
植村くんの自宅まで押しかけてしまいたいけど、住所がわからない。知っていたところで、そんなことをしたら迷惑かもしれないけれど。
今……話したいのに。
気づくと駅を通り過ぎ、足が井澄神社へと向かっていた。
ここに通うようになって二ヶ月と少し、勿忘の池はすっかり〝植村くんといつも一緒にいる場所〟という記憶で塗り替えられていて、それだけでなんとなく足が向いてしまった。
ふらふらしながらも石段の前にたどり着き、一段一段を上っていく。
平日のまだ日がある時間に来るのは久しぶりで、なんだか知らない場所のように見えた。
植村くんのいない勿忘の池で、いったん頭を冷やそう。
そう思って来たのに。
雑木林をまっすぐに進んだ先にある、池のほとりのベンチ。そこに思いがけず、植村くんが座っている姿が見えた。
植村くんがちゃんと学校に通っていたら、いるはずのないこの時間。
植村くんはベンチに座り、緑の奥に隠れた夕空を見つめている。
「……植村くん」
呼びかけると、覇気のない顔がこちらを向いた。
すぐには私が誰だかわからなかったようで、植村くんは数秒私を見つめてから体を起こした。
でも、その表情は変わらず電源がオフになったスマホみたいで、いつもの騒々しさがない。
「……あれ。お前、なんで……」
植村くんの疑問に言葉をかぶせようとしたけれど、声が出なくなってしまった。
植村くんの脇に、教科書なんて一冊も入ってなさそうなぺったんこの鞄が放置されていたからだ。
他にも、脱ぎ捨てられたブレザー。コンビニで買ったらしい食べかけのおにぎりと、オレンジジュース。
私が何度も着信を入れたはずの、スマホも。
そして、表情だけじゃない——いつもとは違う植村くんの〝顔〟に、胸が張り裂けそうになった。
「……その、傷」
左顎の辺り。
アザができていた。
治りかけの、黄色いアザ。
……今朝も昨日も駅のホームで見ていたのに、気づかなかった。
向こうのホームまでは距離があるし、屋根があるから顔の細部までは暗くて見えない。
植村くんが、あー、と声を上げながら左の首筋を撫でる。
「……ケンカしちゃって。昨日、フリョーに絡まれてさぁ。あ、フリョーは俺も同じかぁ」
「うそ!」
つい大きな声が出てしまった。
植村くんが視線を背け、伸ばした足先を見つめる。
「日曜に会った子……多田さんが、言ってたの。植村くん、他校の生徒を殴って、謹慎になったって……」
他校の生徒。
それは日曜日、多田さんの後ろにいたあの男の子たちのことだ。
多田さんは、植村くんと男の子たちが言い合いになって手を出してきたのだと言った。そして植村くんと同じ高校の女子友達に協力してもらい、植村くんのその後どうなったかを教えてもらっていたらしい。
私がいなくなったあとに、そんなことがあったなんて……。
悔しくて、言葉にならない。
「……自業自得だよなぁ」
へら、と笑う植村くんに、また一歩近寄った。
パーカーの奥、まくられた袖の奥にもまだ治っていない紫のアザが見える。一方で、手の甲はきれいなままだ。
喧嘩をした人なんて見たことはないけれど、もし男の人三人を相手にしたとしたら自分の手もただではすまないはず。
「……殴って、ないでしょ……?」
動画を撮る、なんて言っていた多田さんから喧嘩中の動画を見せられなかったことからも、殴ったなんてうそだとわかる。
でもそれ以前に、私は植村くんのことを信じていた。
植村くんは人を殴ったりしない。怒りにまかせて行動せずに、ちゃんと言葉で解決しようとしていた。
私は中学の頃の植村くんを知らないけれど。今の植村くんは、まっすぐで、正直で、本当は……いい人。
反省した、と口にしていた植村くんが、また人を傷つけることなんてしない。
なのに、どうして謹慎になんてなるのか。
「……でも、最初に挑発したのは俺だから」
目を閉じて語る植村くんは、すべてを受け入れているように落ち着いている。
一方で、私はまた自分の感情に振り回されていた。
「……最初に、底辺、って言ってきたのは向こうだよ」
「そのあと、俺の方が強く詰め寄ったんだ」
「でも、殴ってない……。なのに植村くんが、どうして」
「もう決まったことだから」
「私が学校に言うから!」
植村くんが首を振る。
今は植村くんの方が、大人に見えた。
「謹慎一週間。お前が何か言っても味方してるだけだと思われるだろうし、その場にいなかったんだから証拠にはなんねーよ。手を出してようが出してなかろうが関係なくて、俺は風紀を乱したからこういう罰則なわけ」

