それから、私たちは毎週土日に一緒に聞き込みをすることになってしまった。
聞き込むことは、植村くんがあの女の子二人組に聞いた内容と同じものだ。
〝この池で、どういう願いを、どういう条件ですれば願いが叶ったか?〟
それを、勿忘の池の来訪者に手当たり次第に聞いていくという不毛な作戦。どう考えても無駄でしかない、わけのわからない作戦。
また面倒なことが始まってしまった。
そんなことしても、意味なんかないのに。私みたいに、よっぽど非現実的な願いでも叶わない限り、どれが神さまの影響かなんてわからないないのに。
そもそも現状を変えたいと思っていない私が、なんでこんなことを……。
でも、植村くんを無視して周りの人に迷惑をかけるのは怖かった。
植村くんが家に乗り込んできて、お母さんと会ったりでもしたら心配のあまり卒倒してしまうかもしれない。学校に探しに来られても大迷惑だ。結局は、植村くんの言う通りにするしかなかった。
土日は井澄神社で落ち合い、池のほとりでぼうっと過ごす。人が来たら植村くんが聞き込みをする、の繰り返し。
でも、やっぱり誰に聞いても有力な情報なんて得られない。
願いが叶う法則性も特に見当たらない。
それでも続ける、植村くん。休日のまる一日を勿忘の池で過ごすわけじゃないけれど、ほんの数時間だとしても、来るまでの時間を考慮するとお互いかなりの負担なのに。
……植村くん。
なんでこんなことに、真剣に取り組めるんだろう……。
そんなくだらない日々が一ヶ月ほど続いた、ある日。
すっかり残暑の気だるさも過ぎ去って、気温的な意味では神社に通いやすくなった頃だった。
いつものように神社の近くまで来て石段を見上げる。
夕暮れの朱と相まって、わずかに色づくカエデたち。その向こうに石段の一番上の段が見えている。
なのに、いつも先に来ているはずの植村くんの姿が今日は、ない。
〝やばい、この前の中間の結果が悪すぎた。一学期も最悪だったからじーちゃん激怒してて、明日は一日部屋で勉強してろって言われてて、外出れないかも。でもじーちゃん夕方から近所で囲碁の会があるから、その時抜け出すとして、十八時に待ち合わせで!〟
金曜の夕方、電話が来て仕方なく出るとそんなことを言われた。だからちゃんと十八時に到着したのに、植村くんはまだ来ていないようだ。
植村くん、そんなに厳しいおじいちゃんがいたんだ。
いつもは誰にでも強気な植村くんが、おじいちゃんには逆らえずに机に向かっている姿を想像すると少し微笑ましくなる。植村くんにも勝てない相手が存在したらしい。
一方の私は、日頃からできるだけ勉強はしていて、先日の中間もなかなかの好成績だった。
勉強する理由は、うちが貧乏だから、片親の子だからとお母さんに恥ずかしい思いをさせないためというのもあるし、単に人との交流がないから勉強する時間があり余っているという悲しい理由もある。
今回は植村くんにかなり時間を取られたけれど、それでも勉強はしていた。
植村くん、池の調査なんかしてる時間があったらちゃんと中間対策したらよかったのに……。
呆れながら石段を上る。いつも植村くんが座っている一番上の石段にたどり着き、神社の前を通ってみたものの、やっぱり植村くんの姿はなかった。
池の近くにも人の気配はない。仕方なくベンチに腰を下ろし、手触りの悪いお尻の木目を撫でながら植村くんを待つ。
そして、ぼんやりと考えた。
もしこのまま、植村くんが来なかったら……。
今日の二十四時には、植村くんの中の私の記憶は消える。この一ヶ月と少し、一緒にいてああだこうだと言い合っていた記憶はすべてきれいに消えてしまう。
それもいいか、と思っていた。
今は十八時すぎだから、二十四時まではまだ時間はある。でも私はご飯の準備があるから少ししたら帰らないといけないし、植村くんの二の舞にならないよう勉強だってしなくてはならない。
いや、今夜だけはご飯の準備も勉強も放棄して、どこかの公園にでも潜んでいてもいいかもしれない。
植村くんに忘れられるチャンスなのだから。この時間から私を探し出したとしても私は学校にはいないし、うちの家に来て騒がれたとしても今夜だけはご近所さまに我慢してもらえばいい。
そうしたら、植村くんとはさよならなんだ。
私の呪いは解かれない。
ずっと嫌だった、植村くんの調査に付き合わずにすむ……。
そう思うと、なんだか感傷に似た、不思議な気持ちが心を満たした。
あっという間、だったな。
でもいつかこうなることはわかっていた。
一緒に暮らしているお母さんならまだしも、他人と毎日会い続けるなんてできっこない。恋人同士でも同棲していなければ毎日会うことは少ないと思う。
どんなに努力しても、トラブルひとつで私の記憶は消えてしまう。
明日になれば、植村くんとはまた他人。
池の調査なんてくだらない記憶は、一瞬で、消え去る。
〝人に忘れられるなんて、そんなの悲しいだろ〟
ふいに頭の中にあの言葉が蘇って、胸のどこかが痛んだ気がした。
……違う。
気のせい。
どうでもいい。そんなことより、私には守らなければならないものがあるんだから。
それは、いじめをかなり回避できている、今の生活だ。
本当に植村くんが私の呪いを解いてしまったら、またいじめに苦しむ生活が始まる。
中学のはじめの頃のような、地獄の日々が。そこまで戻ってしまったらきっと、私はもう自分の悲しみを無視することなんてできない。
今の生活を守るため。
ささやかな幸せを守るため。
植村くんはむしろ、そばにいてほしくない人。
私にとって、邪魔な存在なんだ……。
その時、ずさ、と背後で足音がして、反射的に振り返った。
聞き込むことは、植村くんがあの女の子二人組に聞いた内容と同じものだ。
〝この池で、どういう願いを、どういう条件ですれば願いが叶ったか?〟
それを、勿忘の池の来訪者に手当たり次第に聞いていくという不毛な作戦。どう考えても無駄でしかない、わけのわからない作戦。
また面倒なことが始まってしまった。
そんなことしても、意味なんかないのに。私みたいに、よっぽど非現実的な願いでも叶わない限り、どれが神さまの影響かなんてわからないないのに。
そもそも現状を変えたいと思っていない私が、なんでこんなことを……。
でも、植村くんを無視して周りの人に迷惑をかけるのは怖かった。
植村くんが家に乗り込んできて、お母さんと会ったりでもしたら心配のあまり卒倒してしまうかもしれない。学校に探しに来られても大迷惑だ。結局は、植村くんの言う通りにするしかなかった。
土日は井澄神社で落ち合い、池のほとりでぼうっと過ごす。人が来たら植村くんが聞き込みをする、の繰り返し。
でも、やっぱり誰に聞いても有力な情報なんて得られない。
願いが叶う法則性も特に見当たらない。
それでも続ける、植村くん。休日のまる一日を勿忘の池で過ごすわけじゃないけれど、ほんの数時間だとしても、来るまでの時間を考慮するとお互いかなりの負担なのに。
……植村くん。
なんでこんなことに、真剣に取り組めるんだろう……。
そんなくだらない日々が一ヶ月ほど続いた、ある日。
すっかり残暑の気だるさも過ぎ去って、気温的な意味では神社に通いやすくなった頃だった。
いつものように神社の近くまで来て石段を見上げる。
夕暮れの朱と相まって、わずかに色づくカエデたち。その向こうに石段の一番上の段が見えている。
なのに、いつも先に来ているはずの植村くんの姿が今日は、ない。
〝やばい、この前の中間の結果が悪すぎた。一学期も最悪だったからじーちゃん激怒してて、明日は一日部屋で勉強してろって言われてて、外出れないかも。でもじーちゃん夕方から近所で囲碁の会があるから、その時抜け出すとして、十八時に待ち合わせで!〟
金曜の夕方、電話が来て仕方なく出るとそんなことを言われた。だからちゃんと十八時に到着したのに、植村くんはまだ来ていないようだ。
植村くん、そんなに厳しいおじいちゃんがいたんだ。
いつもは誰にでも強気な植村くんが、おじいちゃんには逆らえずに机に向かっている姿を想像すると少し微笑ましくなる。植村くんにも勝てない相手が存在したらしい。
一方の私は、日頃からできるだけ勉強はしていて、先日の中間もなかなかの好成績だった。
勉強する理由は、うちが貧乏だから、片親の子だからとお母さんに恥ずかしい思いをさせないためというのもあるし、単に人との交流がないから勉強する時間があり余っているという悲しい理由もある。
今回は植村くんにかなり時間を取られたけれど、それでも勉強はしていた。
植村くん、池の調査なんかしてる時間があったらちゃんと中間対策したらよかったのに……。
呆れながら石段を上る。いつも植村くんが座っている一番上の石段にたどり着き、神社の前を通ってみたものの、やっぱり植村くんの姿はなかった。
池の近くにも人の気配はない。仕方なくベンチに腰を下ろし、手触りの悪いお尻の木目を撫でながら植村くんを待つ。
そして、ぼんやりと考えた。
もしこのまま、植村くんが来なかったら……。
今日の二十四時には、植村くんの中の私の記憶は消える。この一ヶ月と少し、一緒にいてああだこうだと言い合っていた記憶はすべてきれいに消えてしまう。
それもいいか、と思っていた。
今は十八時すぎだから、二十四時まではまだ時間はある。でも私はご飯の準備があるから少ししたら帰らないといけないし、植村くんの二の舞にならないよう勉強だってしなくてはならない。
いや、今夜だけはご飯の準備も勉強も放棄して、どこかの公園にでも潜んでいてもいいかもしれない。
植村くんに忘れられるチャンスなのだから。この時間から私を探し出したとしても私は学校にはいないし、うちの家に来て騒がれたとしても今夜だけはご近所さまに我慢してもらえばいい。
そうしたら、植村くんとはさよならなんだ。
私の呪いは解かれない。
ずっと嫌だった、植村くんの調査に付き合わずにすむ……。
そう思うと、なんだか感傷に似た、不思議な気持ちが心を満たした。
あっという間、だったな。
でもいつかこうなることはわかっていた。
一緒に暮らしているお母さんならまだしも、他人と毎日会い続けるなんてできっこない。恋人同士でも同棲していなければ毎日会うことは少ないと思う。
どんなに努力しても、トラブルひとつで私の記憶は消えてしまう。
明日になれば、植村くんとはまた他人。
池の調査なんてくだらない記憶は、一瞬で、消え去る。
〝人に忘れられるなんて、そんなの悲しいだろ〟
ふいに頭の中にあの言葉が蘇って、胸のどこかが痛んだ気がした。
……違う。
気のせい。
どうでもいい。そんなことより、私には守らなければならないものがあるんだから。
それは、いじめをかなり回避できている、今の生活だ。
本当に植村くんが私の呪いを解いてしまったら、またいじめに苦しむ生活が始まる。
中学のはじめの頃のような、地獄の日々が。そこまで戻ってしまったらきっと、私はもう自分の悲しみを無視することなんてできない。
今の生活を守るため。
ささやかな幸せを守るため。
植村くんはむしろ、そばにいてほしくない人。
私にとって、邪魔な存在なんだ……。
その時、ずさ、と背後で足音がして、反射的に振り返った。

