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「……なんでお前の願いは叶ったんだろうなぁ」

 植村くんが、勿忘(ワスレナ)の池を見つめながらつまらなそうに小石を投げ入れている。
 そういう不敬な態度が神さまを怒らせたのでは、と心の中で言い返しながら、私はまたベンチに座り、彩度の落ち始めた木の葉を眺めていた。
 次の週の土曜日。植村くんにまた井澄神社に集合するように言われ、私はしぶしぶこの場所に来ていた。
 植村くんの願いは叶わなかったことを報告し、そのまま帰りたかった。なんならもうこれ以上どうすることもできないことを伝え、この会合も終わりにしてほしかった。だけれど植村くんはずっと池のそばにいて、あれやこれやと考えている。
 なんで、植村くんの願いが叶わなかったのか。
 そんなの、私に聞かれてもわからない。正直どうでもよかった。
 とにかく、願いが叶わなかったことが私はうれしい。しかも先週の五日間は運よく多田さんから何も接触がなく、平穏に過ごせたので幸せだった。
 私には、これ以上望むことなんてない。

「なぁ、なんでかな。どうしてだと思う?」
「さぁ……」
「お前な、もうちょっとやる気出してけよ。自分のことだろ」

 逆ギレしてくる植村くんに、ため息で返答する。

「だって私、このままでいいと思ってるし……。……叶わなかったのは、私が望んでなかったからじゃないですか? 私はこの呪いが、そのままであってほしいと思ってるんだから」
「お前が望んでなくても、俺は望んでたけど?」

 神さまが考えていることなんか、私にわかるはずがない。
 いや、この池に住んでいるのが神さまなのかなんなのかも、本当は知らないけれど。

「俺の願いが自分の願いじゃなかったからか? それとも神さまが留守の時に願ったからか? あ、お賽銭が必要だったんかな」
「神さまの、ただの気まぐれじゃ……」

 このままでいい。
 このままでいいから、もう終わりにしてほしい。
 全部無意味。時間の無駄だから。

「えっと……植村くん」

 埒が開かないので、まじめに切り出す。
 ちゃんと話したところで伝わるかはわからないけれど。
 私に背を向けたまま池を見つめている彼に、声を整えて提案した。

「いい加減、生徒手帳返してください。それでもう終わりにしてください。私、本当にこのままでいいんです。呪いなんて解けない方が、私は……」
「……作戦、その2」

 植村くんはぼそりと呟くと、急に私の方に走り寄ってきた。
 そして腕を掴み、茂みの奥へと引っ張っていく。その勢いが激しすぎて倒れると、鼻先に落ち葉と土の匂いがぷんと舞い、急に山奥にでもワープしたような気分になった。
 顔を上げると、植村くんの体が急接近している。
 思わずその胸を押し返した。

「や、やめ……!」
「静かに静かに」

 襲われるのかと思いきや、植村くんは私の頭を強く押して姿勢を低くさせる。空気に呑まれてつい、言う通り口を閉ざした。
 植村くんがしゃがんだ体勢のまま、茂みの向こうを見つめる。
 私も静かに葉の隙間から覗くと、大学生くらいの女性が二人、楽しそうに歩いてくる姿が見えた。
 秋を先取りした、ブラウンやマスタードカラーの服に身を包んだ女の子たち。二人ともいけない秘密でも共有し合っているかのように、小さな声で笑い合いながら向かってくる。
 そして池の前まで来ると、しばらくそのきれいな景色を堪能してから、そっと両手を合わせた。
 お願いごとをしに来たんだ。
 さすがは、有名な〝願いの叶う池〟。
 何を願っているのだろう、少しの間静寂が訪れる。彼女たちはしばらくの間じっとしていたかと思うと、どちらかともなくお祈りを終え、目を合わせてまた笑い合った。
 そしてまた神社への道を戻ろうと歩き出した、その時。
 植村くんが動いた。

「あのー」

 いきなり茂みから立ち上がった植村くんに、ぎゃっ、と女の子たちが声を上げる。私は咄嗟に体を小さくして隠れた。
 バカ。
 こんな人気のないところで、見計らったかのように草むらから頭がまっきんきんの男が現れたら通報されかねない。
 案の定、あまりの驚きで茂みの向こうの女の子たちが騒いでいる。
 植村くんは茂みから抜け出ると、彼女たちを落ち着かせようと二人に近寄った。

「驚かせてすんません。俺、この池の研究してんす。歴史とかいろいろ、そーいうの。で、あの、今までにここで願いごとをして叶ったことがあったら、その時の状況のこと詳しく教えてほしーんですけど」

 植村くんのうそ話に聞き耳をたてながら、考えた。
 その時の状況のことを、詳しく……。
 そうか。
 植村くんは法則性を見つけようとしているのだろう。
 この池では、叶う願いと叶わない願いがあるようだから。どんな願いが叶えられて、どんな願いが叶えられなかったかがわかれば、その中に法則性が見えてくるかもしれない。
 願いごとをした時の時間。格好。人数。
 願いが叶った時の共通項を見つけたら、それに則って祈ることで、今度こそ願いは通じるのかも。
 ……いや。
 そんなにうまくいくだろうか?
 植村くんは無駄に備えられたコミュ力を駆使して、警戒していた二人とどんどん仲よくなっていく。はじめに私と会った時も躊躇なく話しかけてきたし、壁がない人というのは羨ましい。
 茂みの向こうでじっと待っていると、話を聞き終えた植村くんが戻ってきた。
 彼女たちは帰ったようだ。顔を出すと、もう誰もいなかった。

「あの二人、この辺に住んでる友達同士で、通りがかったついでにたまにお祈りしてるらしい。片方の人は二年前、大学受験の前にお祈りして無事第一志望に受かったって。休日の昼間に祈って、お賽銭はなし!」

 植村くんが仕入れてきた情報を披露されるも、ピンとこない。
 ベンチに座り直して首をかしげる。

「それは……お祈りのおかげというより、自分の力で願いを叶えただけじゃないですか?」
「……まぁな」

 どの願いごとが神さまの手によって叶えられたかなんて、人間側にはわからない。
 いや、むしろ神さまが叶えた願いなんてほとんどないのだろう。実際は本人の努力や運で願いが叶えられていて、それを事前に神さまに祈ったおかげなのだと思い込んでいるにすぎない。
 分析なんて、やっぱり無理だ。
 結局また振り出し。
 でも、植村くんはまだ諦めた様子はなかった。

「あの二人の願いはわからないけど、お前の願いは間違いなく聞き届けられてるんだ。一日で自分の記憶が他人から消えるなんてありえないからな。誰がなんと言おうと、この池が超人的な力を持っているのはたしかなんだ」

 植村くんの語りはいたって真剣で、私はというとつい冷めた眼差しで彼を見返してしまう。
 ただ、なんだか嫌な予感がしていた。
 植村くんはよし、と一人で頷くと、宣言した。

「調査だ」