さらに生きて行く上でしんどいもの。
それは、『人間関係』
人は1人ではないとゆう事です。
いや、所詮は一人なのですが、嫌でも人間関係とゆうものは幼い頃からついてまわります。
それは『親』『兄妹』『友達』『その他』
もちろんいずれ出会う『恋人』も同じです。
恋の話は後ほどとして、人間関係ほどややこしく、めんどくさい事はありません。

血縁など一切無視して、自分以外を『他人』とするなら、最初に出会うのは『親』『兄妹』でしょう。
毎日を共にし、親からは教育とゆう名の人間製造が始まります。
親からはほぼほぼの、人間性を覚醒されます。
ようは、『性格』ってやつですね。
他にも箸の持ち方、挨拶、言葉、礼儀など教わるのではないでしょうか。
この家庭環境はかなり大切で、ここで作られた『性格』や『常識』は時に足を引っ張る事になったり、役に立ってくれるものになります。
最近では、親が子供を叱る事がないそうです。
昔話で申し訳ないですが、昔は親からゲンコツされるなんてよくあったのですが。

前に、こんな光景を目にした事があります。
仕事である大型店に行った時の話です。
店内のホールに、ハロウィンの飾り物が展示されていました。
そこにはロープが張られ
『危ないので触らないで下さい』
と大きく張り紙がしてありました。
そこへ、3歳位のヨチヨチ歩きの子供が向かって行ったのです。
もちろん、この子が字を読める訳もなく私は、危ないなぁと、思いながら様子を見ていました。
そこへ、母親らしき女性が近寄ったので、危ないからと行く先を止めたのかと思ったのですが、母親は「カボチャさんだよー」と言って、そのロープを持ち上げて、子供を展示品のステージへ上げたんです。
嘘だろ。と思う私。
そこへもう1人、女性が近寄ります。
見るからにその女性はおばちゃんで、母親の親なのでしょう。
そのおばちゃんが今度こそ止めるかと思いきや、おばちゃんは携帯を取り出して写真を撮り始めたんです。
そして、母親も加わり撮影会。
展示品はグラグラ揺れて倒れそうです。
すると、制服を着た警備員走って来て、注意しました。
丁寧に、分かりやすくその警備員が母親と祖母に話すと、2人は逆ギレ。
「写真くらい良いでしょう!ここは子供の写真も撮らせてくれないのね!」
「怖いオジちゃんがママとバーバを怒るから、帰ろうね」と。
呆気に取られるとはこの事だと思いました。
正直、こんな家族に育てられた子供はどうなるんだろうと、考えてしまいました。
この大型店では、他にもおかしな光景を目撃しました。
万引き防止の出入り口にあるセンサーによじ登ってはしゃいでいる小学生。
親は携帯を見てるだけで、注意もやめさせもしない。
親とはぐれて、大泣きしている子供を宥めて保護者待ちをし、ようやく引き取りに来てもお礼を言わない、商品を触って落として壊れた物を報告する訳でもなく、そのまま放置する。
子供はそれを見て、どう考えて大きくなってゆくのでしょうか。
教わるべき身近な教育者が、教育すら出来ない。
親の親、そのまた親から躾とゆうものをやり直さないと、今更、現代の子は変わりません。
『いけません』そうやって、教育されているのでしょうか。
もちろん、私も甘やかされ育てられました。
年齢、年代的に多少の躾の厳しさはありましたが、たぶん甘ちゃんです。
3歳までに80%脳は完成します。
『心』の成長も3歳頃までにその基礎がほぼ出来てしまうのです。
だからと言って親のせいにしても意味はない。
人間性は親を見て育つのであれぼ、親の嫌な部分も見て、自分は同じ様にしない事、気が付いた時から自分自身を躾ければいい。
別に親の2世になる事はない。

学生になったり、社会に出て、自分の甘さや勝手さなどを自分で気が付けられる、センサーを養うと良いですね。
親は子供が可愛いものです。
甘やかしたり、ワガママにしてしまうのも理解出来なくはありませんが、もしあなたが親ならば、いつか親になるのなら親として教育とゆう『財産』はきっちんと贈与して欲しいです。
人間関係は時に複雑すぎて、心を殺します。
きっかけは何であれ、誰かを傷付ける事もあれば、傷付けられる事もある。
それを、おかしい事だと思える『心』を養うのは環境です。
親としての責任、親になる覚悟。
これは、きちんと考えなければいけません。
優しくて理解ある親だとしても、同じ痛みを分け合える訳ではなく、痛みを和らげる事しか出来ません。
だから、親ばかりに頼るのではなく、あなた自身で自分を育てる事をして下さい。
でも、人はなかなか簡単に変われるものでもありません。
だから、どうかいつか親になる全ての人に言いたい。
親になる覚悟を、自覚をもち、我が子を育てて欲しい。
社会に出て、傷付くのは、大切なあなたの子供ですよ。