「ない、ないわ!」

 ハーディスは愛犬達の朝の散歩から戻ると異変に気付いた。
 宝石箱の中に大事にしまっておいた赤い石のネックレスがなくなっていたのだ。

『ハーディ、この部屋、鼠が入ったようだぞ』
『そうだね、ソマリの匂いじゃない』
『ソマリはもっと優しくていい匂いだもの』

 自分の部屋に出入りを許しているのはソマリだけだ。

 それも簡単な掃除とリネン類の洗濯ぐらいであとはハーディスが自分で行っている。

 愛犬達の言葉にハーディスは顔を顰めた。
 こんなことをするのはアマーリアしかいない。

 あんなに沢山のドレスや宝石を贈られているのに、私がネックレス一つ持つのも気に入らないってことなの?

 ハーディスは奥歯を強く噛み締め、部屋を出た。

 向かうのはアマーリアの元だ。
 談話室でノバンに肩を抱かれて楽しそうに会話を弾ませている。

 その胸元にはハーディスの赤いネックレスがあった。
 キラキラと光りを放ち輝く赤い石は間違いなくハーディスがあの男性からもらったものだ。

 
 自分の胸元にあった輝きが今はアマーリアの元にある。
 それを見た瞬間、ハーディスの中でとてつもない怒りが燃え上がる。

「アマーリア」
「あら、なあに? お姉様」
「そのネックレスを返しなさい」

 素知らぬ顔で言うアマーリアを睨み、ハーディスは言う。

「人の物を勝手に持って行くなんて泥棒のような真似、よしなさい」

 人の部屋に無断で入り、宝石箱を漁るなんてコソ泥と同じだ。

 それも一度や二度じゃない。

 アマーリアにハーディスは繰り返し貴重品やドレスを奪われた。

 もう我慢できないわ。

「酷いわそんな言い方、少し借りただけよ」
「おい、ハーディス。何故、そんなにアマーリアを責めるんだ? 姉妹なんだから物の貸し借りぐらいで目くじら立てるなよ」

 涙目になるアマーリアの肩を抱き、ノバンはハーディスを睨む。

 返ってきたことなどないから言ってるのですが。

 奪われた物が壊されてハーディスの元に戻ったことならあるが、素直に返却されたことなど今まで一度もない。

「それに、これはお母様の形見なのでしょう? だったら、妹の私にも使う権利があるわ」

 ネックレスのチェーンを指で弄び、アマーリアは言う。

「それは人から頂いたものよ。お母様の形見ではないわ」

 お母様の形見であっても私が譲り受けたものを勝手に使っていいことなんてないのですけど。

 そんな常識すら通用しない二人にハーディスはイライラした。

「嘘よ。こんな素敵な宝石、一体誰に頂いたっていうの?」

 信じられない、と二人は目を丸くする。
 そう言われるとハーディスも返答に困る。

 ハーディスに贈り物をするような男性がいないことをアマーリアは知っているからだ。

 だけど嘘は言っていない。
 そうは言っても、名前をお聞きすれば良かったかしら。

 ハーディスはあの時、彼の名前を聞かなかったことを後悔した。

「ほら、答えられないんでしょ。やっぱり嘘じゃない」
「嘘じゃないわ。名乗らなかったのよ。でも素敵な方だったわ」

 闇色の黒い髪、石と同じ燃える炎のような赤い瞳、端正な顔立ちは思わず見蕩れてしまうほどだ。

 腕曲がってましたけど。
 あの腕は大丈夫でしょうか。

 今更だがハーディスは心配になる。
 しかし、今は自分の状況を心配した方が良さそうだ。

「婚約者がいる身でありながら、他の男と会っていたというのか⁉」

 思いの他、食いついたのはノバンだった。

 それはこちらの台詞ですが。
 その台詞をそのままお返ししたい。

「なんてふしだらな女だ! 余所の男を密会しただけでなく、高価な品まで受け取るだなんて! 信じられないっ!」

 私も貴方の頭が信じられないですけど。

 婚約者の妹とふしだらな行為をして朝帰り、誕生日やお祝い事でもないのに高価なプレゼントを贈り、アマーリアを口説いているのはどこのどなたかしら。

 ハーディスには誕生日ですら大したものを贈ってくれなかった。

 やけに似合わないドレスや宝石は全てアマーリアの元にいくことを想定して贈られた。

 ハーディスのために選んで贈られたものなど一つもなかった。

 なのに、男性から贈り物一つ頂いたくらいで何故にこんな理不尽なことを言われなければならないのだろうか。

 自分のために贈り物をしてくれたことも、優しい言葉すらもかけてもらった覚えもないのに。自分は婚約者を差し置いてその妹と好き勝手しているというのに。私が余所の男性から声を掛けられたり、贈り物をされることは許せないなんて傲慢過ぎるのでは?

「調度良い機会だ」

 ノバンはそう言って懐から何かを取り出し、ハーディスの前に広げた。

「ハーディス・ファンコット。君との婚約を破棄させてもらう」

 その言葉がハーディスの胸に重くのしかかる。
 何となく、こうなることは予想ができていた。
 だが、それは予想でしかなく本当にそうなるとは限らない。

 そう思っていた。

「まぁ、随分と準備がよろしいのですね」

 婚約を解消するための手続き書類には既にノバンの名前が記入されている。
 ノバンの名前が白く発光していた。

 貴族同士の婚姻は神殿からの祝福が不可欠だ。神殿から発行された聖力が宿る特別な書類にサインすることで成立する。

 婚約を解消するには提出した書類の模写に自分達の名前を重ねて書くことで解消となる。

「サインを。妹を泥棒呼ばわりするふしだらな女と結婚することはできない」

 呼ばわりではなくて正真正銘の泥棒なのですよ。
 ふしだらなのも貴方達の方ではありませんか。

 ハーディスは怒りで肩が震える。
 そして胸に押し寄せるのは虚しさだ。

 どんなにノバンがアマーリアを好いていても、貴族の結婚は家門の決め事だ。自分の気持ちだけの問題ではない。

 結婚すればノバンもアマーリアを諦め、アマーリアは他の家に嫁ぐ。

 そうなれば少しはこの家で穏やかに生活できるのではないかと思っていた。

 しかしそれは甘い期待だったようですね。

 もうずっと前から、ノバンはハーディスとの婚約を破棄するつもりでいたのだろう。

 ハーディスと婚約を破棄し、アマーリアと婚約をすれば自分の将来的な身分は変わらない。

 自分との将来のことなど少しも考えてくれていなかったのだ。

 ノバンと二人で領地を切り盛りしなければならないと思い、その日のために必死に勉強をして、人脈を広げ、出来る限り尽くしてきた自分が間抜けに見える。

 何もかもが無駄だった、ということですね。

 悔しくて眦に涙が浮かびそうになるのをぐっと堪えた。
 ハーディスはペンを執り、自分の名前をなぞる。

 すると名前が赤く発光し、宙へ浮かぶ。
 そして中央に亀裂が入り、書類はボロボロと崩れ落ちていく。

「これで婚約解消、君とは赤の他人だ」

 塵一つ残さず書類が消えた後にノバンは満足そうに言う。

 そしてノバンはすぐさまアマーリアの元へ駆け寄り、アマーリアを抱き締めた。
 こちらを見て意味深な笑みを浮かべる妹に何かを言う気力もない。

 ハーディスは二人に背を向け、部屋を出た。