「ふう」

 端正な顔立ちの青年は溜息を零す。

 艶やかで夜の深い闇を思わせる黒髪は美しく、ガーネットのような赤い瞳は妖しさを秘めていて、顔に浮かんだが色気となって青年を引き立てている。

「大丈夫か? ゼノ」
「大丈夫に見えるかな?」

 ゼノの言葉に本日のパーティーの主催者であるヘラード・ヘンビスタは苦笑する。
 人前用の愛想の良い仮面と丁寧な敬語を脱ぎ捨てている。


 ヘンビスタ侯爵であるヘラードはノバンの兄だ。

 一通り、客人との挨拶を終えてヘラードはゼノと共に客室で緊張の糸を緩めている。

「まさかゼノが来てくれるとは思わなかった」

 ゼノは夜会などの人が多い賑やかな場は好まない。
 夜会に出るなら仕事をしていた方が気が楽だと思える。

 へラードが客人達と談笑している間、ゼノは女性達の視線の的だった。彼女達の好意の視線をなるべく避け、言葉を交わすのもダンスを踊るのも必要最小限に留めた。

「女性が嫌いなわけじゃないだろ? そのルックスを利用して女性を口説こうとは思わないのか?」

「知ってるでしょ。僕らは相手が誰でも良いわけじゃない」

 ゼノもへラードもこの国では極少数の神の生まれ変わりだ。

 強力な聖力を持つため、普通の人間に悪影響を与える。

 名もない天使や小さな神であれば普通の人間をパートナーに選べるがゼノやへラードのように高位神であるとなれば、パートナーも同等の聖力を持つ相手でなければならない。

 そうでなければ恋人を精神的にも肉体的にも壊してしまうからだ。

「そういえば、さっき庭に聖力持ちの女性がいたけどどこのご令嬢だか分からない?」

 ゼノは庭で出会った女性のことをへラードに話す。

 キラキラと輝く髪はまるで月のようで、エメラルドのような輝く瞳の女性だ。

 容姿以前に、気配に凄く吸引力のある女性だ。彼女の纏う空気は洗礼されていて居心地が良いと思った。

 彼女と別れてすぐに建物の中の濁った空気を吸い込んだら尚更、そんな風に感じる。

「聖力持ち? 招いた家門に天使や神の生まれ変わりは…………」

 へラードの記憶では今日の夜会に招いた家門に生まれ変わりがいる家は一つだけだ。

「もしかしたらファンコット伯爵家の姫かもしれない。うちのノバンと姉のハーディス嬢が婚約しているんだが、ハーディス嬢の妹が天使の生まれ変わりだと聞く」

 にこやかにへラードは言う。
 しかし、ゼノは首を傾げた。

「天使の? 君は会ったことある?」

「いや、まだだ。弟の婚約者ともまだ話したことがない」

 ノバンとハーディスの婚約は父の代からの取り決めでへラードは係わっておらず、ノバンがなかなか婚約者に合わせてくれないこともあって未だに遠目でしか見たことがない。

 家督を継いだばかりのへラードは侯爵としてまだ対面したことのない者も多く、今回の夜会は交流を深めるという主旨で行われた。

「弟は俺に劣等感を抱いているからな、婚約者を俺に紹介して婚約者の気持ちが俺に移るのを懸念してるんだろうな」

 華やかな容姿で神の生まれ変わりであるへラードは女性から声を掛けられることも多く、ノバンの恋の相手は漏れなくへラードに好意を抱いていた。

「先ほども婚約者と仲良くダンスをしているのを見たよ。彼女は随分とモテるようだ」

 彼女とダンスを踊るために順番待ちの列ができていた。
 見た所、華やかで可憐な容姿の女性だった。

「妹の名前は?」

 ゼノの言葉にへラードは目を丸くする。

 こんなにゼノが女性に関心を示すことも珍しい。

「確か、アマーリアと言っていた。弟は彼女とも仲が良いらしくて彼女の話題も多い」

「アマーリア…………」

 ゼノは何か考え込んでいる様子だ。

 まさか、これは本当に春が来たのかもしれない。

 女性に全く関心を示さない仕事人間のゼノが、初めて女性について自分に訊ねてきたのだ。

 へラードはなるべく顔に出さないようにテンションを抑える。

「そんなに素敵な女性だったのか?」
「相当な聖力を持っている。移動魔法で捻じれた腕を完璧に元に戻すほどだ」

「それは凄い……って、また移動魔法を使ったのか? 長距離移動は事故や怪我の元だから止めておけと言っているのに」

「便利なんだよ」

 空間と空間を繋ぐ移動魔法は便利だが、空間の歪に腕や脚を巻き込まれると大怪我をすることもある。

 今のゼノを見ても分からないが腕が捻じれたということは大怪我の部類だ。

「取り返しのつかないことになったらどうするんだ」
「あれほど強い聖力を使った医療術であるなら…………」

 へラードの言葉は届いていないようでゼノはぶつくさと何かをぼやいている。
 相当、彼女のことが気になるらしい。

 ここは一つ、年上らしくアドバイスでもしてやろうではないか。

「お礼に花か、贈物でもしたらどうだ? 忙しくて行けないのであれば従者に任せるのも良いだろう」

 多忙なゼノは職場を離れるのが難しい。

「そうするよ。じゃあ、ヘラ。僕はこれで失礼する」
「あぁ、来てくれてありがとう。玄関まで送るよ」

「いや、構わないでいい。君も疲れてるでしょ」
「ならせめてうちの馬車を使ってくれ。移動魔法は禁止だ」

 使用人に命じてゼノの案内を任せた。
 一人残った部屋でへラードは息をつく。

 そして身悶えた。

 あぁっ! 遂にゼノに春が! もしかしたら恋人ができるかもしれないと⁉
 今まで女性に興味関心を持たず、むしろ鬱陶しいと言わんばかりの態度だったゼノが⁉


 どうか、神様! ゼノの恋が成就しますように!


 へラードは天界にいるであろう愛の女神ヴィーナスに祈りを捧げる。

「これでゴッドファクト国も安泰か」

 今夜の夜会も忙しい合間を縫ってへラードのために来てくれたゼノは表向きはへラードの仕事仲間だが、彼の正体はこの国の皇太子であるゼルディノ・ゴッドファクトその人だ。